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『藝人春秋2』の書評 14/君、生き急ぐことなかれ……『藝人春秋2』 に寄せて By中学の同級生・K

『藝人春秋文庫

 2021年2月9日、3月9日と2ヶ月連続して発売となる『藝人春秋2』上下巻の文庫化が『藝人春秋2』と『藝人春秋3』です。
 2017年発売の単行本版『藝人春秋2』上下巻には多くの書評が寄せられましたが、そのなかから順次紹介して行きたいと思います。

 14回目は、ボクの中学時代の同級生で歴史作家で元官僚のK(名前は匿名)くんです。媒体は書簡によるものです。

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君、生き急ぐことなかれ……『藝人春秋2』 に寄せて

                        By同級生K

 今回の作風は、浅草キッド名義時代の作品からから続く「ルポ芸人」路線だが、橋下、徳田、石原と政界周辺ネタが主流を占めている。
 特に下巻。
 「ボーイズ」のAさんへのプロテストが底流にあるのだろうが、こうした路線になったのは「ルポ芸」が一つ間違えれば漫才同様に名誉毀損ネタになるからだろうか。
 その点、公的性質があるゆえ名誉毀損についてはハードルが低い政治方向にシフトしたのは、媒体が「文藝春秋」であることと相俟っての方向付けだったかもしれない。
 ただ、政界相手とて綿密な取材は必要で、発症は「ルポ芸」達成の代償なのだろう。そういう意味では、目下連載中の藝人春秋が軽めの路線に回帰していることには安堵を覚える。
 ルポ芸の対象を芸界から政界へとシフトさせつつも、作品のレベルはしっかりしている。
 特に三浦雄一郎の参議院選立候補辞退の話は、政治史上は1挿話に過ぎないかもしれないが、当時の参議院全国区選挙戦での自民党の戦略を垣間見れるという点で、良質なオーラルヒストリーになっていると思う。
 御厨貴の批評も気になるところだ。
 なお、自身が「参議院の候補」「県知事候補」(『ムラびん』 138、163頁)と称しており、新たな「潜入先」として政界を模索しているようだが、これは立場上、余りお勧めしない。

 上下2巻を読んでみて、良質の原稿を書き続ける、しかも週刊で書き続けるというのは相当な負担だと改めて思う。
 しっかりした裏取りをしつつ旬を考えてネタを出し入れするとなると、下手な学術論文より過酷な作業を強いられていると思う。
 原稿料と単行本化による印税がどの程度かはさておき(文芸賞の名誉というのもあるかもしれないが)健康を害しての執筆はマネーゲームとしてはおそらく赤字だろう。

 しかも「芸能界に潜入中のスパイ」であることをカミングアウトすることで良質な情報の流入量は明らかに減るだろうし(意図的なリークは増えるにしても)、先行きを見据えた収支も余り良くないかもしれない。
 ただこうした所為は「書きたい」と欲望がある限りは自動的になされてしまうもので、何とも仕方ないのである。
 「よごれの魂」も含めて、これも芸風だから微調整はしつつもこの路線で突き進むしかあるまい。ただ、この域まで達したライターが次の戦場をどこに求めるのかは、連載中の藝人春秋でもまだ見えていない。

 自分としては、上巻24頁や182頁辺りの「掛詞の集中砲火」が大好きなのだが(最近、個人的に受けたのは「永六輔の永眠」)、「大家」となってしまうとこうした遊びはできないかもしれない。
 それは何とも寂しいが、これも余計なお世話だろうか。

 本文のタイトルが不吉になったのは、ホームページやツイッターでの言動から、貴公がなんとなく生き急いでいると感じているからだ。

 自身の年表作成も穿ってみれば「生前葬」的な臭いがしなくもない。
 育ち盛りの子どもを3人抱えて「少しでも残したい」という必死さもほの見えるし、抱えているスタッフに対する責任もある。

 また、記憶力や肉体の衰え、病気、年上の親族の衰えを自己投影しての不安感と色々なものが背景にあるのは分かる。
 それが全て焦燥感や「生き急ぎ」を当方に感じさせている。

 ただ、それに対する正しいアドバイスなど無いというのも分かつている。

「思いに体が付いてこない歳なので精々ご自愛下さい」
 という当たり障りの無い何も言っていないに等しいコメントしかできない。
 貴公もそんなことはとっくに分かっているだろうし、60過ぎまでは安穏とできるサラリーマンに一番言われたくない科白だろう。

 ただ歴史家としての立場からは
「健康で長生きした者が最終的には勝者」
 というのが真実と思えるので、屑になっても、小さくなっても「光り輝いて」いれば良いのだから、
 「光」の安定供給も少しは考えて下さいと願うばかりである。

 なんとなく暗い締めになったが、これ以上書くと更に馬鹿がバレるのでここで欄筆する。

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 Kは岡山大学教育学部附属中学校時代から、クラスの歴史を綴る幼年期から史家体質の書き手であった。
 東大から議会関連の官僚、政治史研究者と進んだ。
 その一方で絶えずボクを歴史家の目で見つめ、新刊のたびに書簡による書評を送りつけてくる。
 半世紀近くの文を通じた交流を続ける友人だ。
 そしてこの手紙も、その後のボクの体調不良からの休養を考えれば予言的でもあるのだが、その予言が箴言にはならないことも予測済みなのだ。
 (やはり、怪我や病は自分もちなのだ)

 彼の『藝人春秋1』の書評も実に秀逸なので、ここに記録として、敢えて残しておきたい。
 この書評は確実にボクの次回作(つまり『藝人春秋2』)に影響を与えていることを実感する文章だ。

 そして、甲本ヒロトや中川智正の「14才」も描いている。

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我々はまだ「春秋」に富んでいる…「藝人春秋」に寄せて By.K

             2013年1月28日 同級生Kからの手紙より

「藝人春秋」とタイトルを聞かされて「春秋」の方に着目してしまった。

 歴史学徒の端くれとして言えば、「春秋」は古代中国の歴史書で「史記」より古いというのがまず浮かぶ。
 先に「お笑い男の星座」を「史記」になぞらえた我が身としては「史記」の後に「春秋」が執筆されてはどうも収まりがつかない。

 ただ、「藝人春秋」の性格は「史記」ではなく、やはり「春秋」だ。
 「お笑い男の星座」が「口承文学」の影響を色濃く引き継ぐ「史記」の性格を引き継ぎ、ある意味「哄笑文学」ですらあるのに対し「藝人春秋」は、ルポ芸人である博士が「報告文学」としてきっちり書いており、古代中国の「魯」の史官が綴った「報国」史書である「春秋」に系譜は近い。

 この本はやはり「春秋」で正しいのである。

 ただ、内容は、当然「お笑い男の星座」より進化(深化)している。
 「星座」と同様に、掛詞や縁語、隠喩はきっちりちりばめられているが、「報告」を邪魔することもなく、ある種のリズムを与えながら穏やかに収まっている。素材を殺さない「老獪」さを確かに身に付けた。
 また、文章に締まりを与えているのが、文学的な香りがする漢語系を効果的に入れていることで、目に付くだけでも「草廬三顧(72頁)」「俚諺(194頁)」「滂沱の涙(293頁)」などとお笑い文学はおろか普通のルポでも中々目に付かない言葉が並ぶ。

 「キッドのもと」で「ルポライター芸人」をカミングアウトした博士名義の第一作としては肩書きに恥じないもので、早くもある種の水準は凌駕しつつある。
 「男の星座」は大宅壮一ノンフィクション大賞にかすったが、この本のレベルであれば当たるかも知れないと思う。

 余談だが、同賞は我々の附中同期生だった川口(旧姓も現姓も島田)有美子が「逝かない身体」で2010年に取っている。 

 島田は1C、2Cで2年途中に転校した。
 博士が取れば中学同期で2人受章という希例になるのだが。

「春秋」と聞いてもう一つ思い浮かんだのが「春秋に富む」という表現。
「春秋に富む」の言葉が浮かんで頭から消えなかったのは、「藝人春秋」の中でもう一つの底流をなしている甲本の「14才」のせいだと思う。
「14才」については既に「お笑い男の星座2」の「江頭グランブルー」で言及していたから、博士の意識の底流でもあるのだろう。
 博士は最近、附中についての語りを増やしているようで、その辺は何となく感得される。

 「14才」の時の一大イベントは中学3年に成り立ての5月の修学旅行だった。博士も甲本も中川智正も私もみんな14才だった。

 博士は別府の宿で「英文で小説を書きたい」「芥川賞を取りたい」と夜話で語り、甲本は長崎の宿で私と並んで浴場の戸口に佇み、中川智正は女の子にアタックして振られていた。

 「14才」と聞くと、あの濃縮された3泊4日が思い出される。まさにあの頃こそが「春秋に富んでいた」時代だったのだなあと改めて思う。

 嗚呼、それから幾星霜。50才になった我々が「春秋に富む」とはお世辞にも言えまい。

 ただ、「稲川淳二編」を読んで、博士はまだ「春秋に富んでいる」と感じた。
 この編は異色でもあり圧巻でもあるのだが、初出が2002年冬でそれから十年寝かせているということに思い当たることがあった。
 まさにその10年間に、博士は結婚して三児を授かって育児をこなし、また、父親の死に遭い自らも大病を患うという経験をしてきたのだ。

 多分、10年前にそのまま出していれば「稲川淳二編」はここまでの傑作にはならなかっただろう。
 傑作の背景には、博士の「今までとは違う全く新しい10年間の人生」があったのだと思う。
 それが博士の「老成」、「熟成」を感じさせる一品に象徴されている。

 今後も我々の身の回りには厄介が起こり、それで経験値がアップして行くのだろうが、それが藝に反映されて、「老獪」に「老成」できればまだ「春秋に富む」と居直ってもよいのだろう。
 そういう意味では、50才になっても「終わっていない」どころか「まだ何も始まっていない」のである。

【その後のはなし】

 2008年12月に博士のところに持っていった「●●の●●革命」は、国内では余り日の目を見ていないが、なぜか韓国人に気に入られて韓国語訳が出てしまい、2012年10月にはその縁で釜山の国際学術会議に呼ばれて発表までさせられるというオチがついた。
 久々に読んだ「お笑い男の星座1」の最後の殿の台詞に「この商売は自分が星だと思っていればいい。ちっちゃくて星屑だろうが、この人だけには届かせようと一生懸命輝くことだ」とあったが、「しょぼくれながらも輝いていれば、思わぬ所にも光は届くんだよな」と改めて感じた次第だった。

 そして、中川智正の死刑が確定して1年が過ぎた。
 ケツの友人の窪野君(仮名)は相変わらず東京拘置所に通って、面会を続けている。
 博士が甲本のルポしている一方で、窪野君は相変わらず「机の中の作家」として中川智正をルポしている。
 この面会がいつまで続くが分からないが、当分終わりそうにないし、その意味では「春秋に富む」のだろう。

追伸:ケツが博士の出演ラジオを独房で聞いていたら、附中の話題になって、「何年かかかって東大に入った奴も居た。面白い奴だけどね」と言っていたとか。相変わらず、記憶の片隅に残して貰っていて光栄です。

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