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23.安倍普三と総理の椅子

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「眼の前に安倍晋三がいる!!」

 2017年2月14日、夕刻。
確か前日までトランプ大統領との首脳会談、今日の午前中は予算委員会で答弁をしていたはずなのに何故此処へいるのか?
目黒雅叙園・飛鳥の間でボクは目を白黒させていた。
この日、催されていた「おさみ・瑠美子夫妻 幻の金婚式」は金婚式を前に残念ながら逝かれた瑠美子夫人(笹るみ子)を悼み、そして、なべおさみを励ます集いだった。

 ボクは息子のなべやかんの兄弟子として招待を受けたわけだが、昭和の名芸人・なべおさみの面目躍如、各界の大物が勢揃いの大宴会であった。
 ボクの右隣は元『週刊文春』編集長の花田紀凱夫妻、前席には五木ひろし、大村崑、そして中央にポツンと空席がある。そこに座るのは誰あろう日本国総理大臣とのこと。
 当日まで明かされなかったゲストの出席が知らされるとSPたちが物々しく一斉に蠢き出した。

「昨日までトランプとゴルフをしていた人が、ここへ現れる……?」
俄には信じ難い展開だったが、次の瞬間、風のように安倍総理が来場すると、色めき立つ招待客をよそにそのまま登壇。
父・安倍晋太郎から2代に渡る、なべおさみとの絆を情緒たっぷりにスピーチし会場中を聞き入らせた。

その後、総理はボクの眼前に着席。列席者と順番に記念撮影をする総理の視野にはボクも入っていたはずだが、目礼すらなく、しばらくして側近から何か耳打ちされると短く頷き途中退席した。
ちょうど金正男の暗殺が報じられた日だった。
 ボクは総理が去った席を見つめ、以前に面会した時のことを想った。

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2004年9月15日──。
当時、司会を務めていたTBSの深夜番組『アサ㊙ジャーナル』では我々、浅草キッドはTBS政治部に派遣された新米記者という設定だった。
 2001年の小泉政権誕生以降、劇場型政治は大いに人気を博し、視聴率向上に貢献。テレビでも政治家バラエティが多々作られていくこととなる。

 今でこそ珍しくない芸人と政治家の絡みは、この番組が嚆矢だった。
この日、安倍晋三自民党幹事長が番組に2回目の出演を果たした。
 初対面はその2年前、第一次小泉内閣の官房副長官時代。
当時まだ47歳でソフトな顔立ちではあるがガチガチのタカ派で、既に「ポスト小泉」の呼び声も高かった。しかし番組では、持論の憲法改正などの堅い話には進まず、子供時代の家庭教師が、あの平沢勝栄議員だったという話でひときわ盛り上がった。
 そして、2年後、2回目の取材。
 恐れ多くも自民党総裁室に通され、余興として「総裁の椅子」にボクが腰掛けるときろから取材はスタートした。
 途中、話が脱線した。
「前回、この番組に出られた時には『気分転換にビデオで映画を観るのが趣味』と仰ってましたが、最近、映画を観る機会はありましたか?」
「この前、劇場で久しぶりに『ディープ・ブルー』を観ましたね」
「えっ?『ディープ・ブルー』ですか? あのぉ幹事長、『華氏911』は、まだご覧になってないんですか?」

 当時話題だったマイケル・ムーア監督の『華氏911』について、あえて話を振ってみた。同作品は、カンヌ映画祭のグランプリを受賞していたが、その反米・反ブッシュのメッセージに対して、小泉総理が「政治的な立場が偏った映画は、あんまり観たいとは思わないね(略)ブッシュ批判、小泉批判、批判ばかりしてもいいことはないんじゃないの」とコメント。一本の映画の感想が、全米だけではなく日本の政治家にすら「踏み絵」となっていた。
「それは趣味の問題ですからね。仕事で観るって言うなら観なきゃいけないですけどね。ま、別にいいかなって感じですかね」
「別に観なくても……と?」
「はい。それより『ディープ・ブルー』のシャチとかアザラシを……」
「いやぁ、ボクは是非、安倍さんの『華氏911』の感想を聞きたかったですけど……」
〝気分転換に観る映画〟を、なんで一介のチビ漫才師に強制されなければならないのか? とでも思ったのだろうか、突然、安倍幹事長に〝スイッチ〟が入ってしまった。
「マイケル・ムーアも大金持ちになっちゃってね。『米国にはアメリカンドリームは存在しない!』と言ってるんだけど、『アンタがアメリカンドリームじゃないか!』っていうことなんじゃないの?」
 安倍幹事長の、このおちょくった言い方に対してボクは笑い流せず、引っかかった。
未見にもかかわらず作品批判をする一方、どこかで聞いた風な監督批判までまくし立てたからだ。確かに前作『ボウリング・フォー・コロンバイン』も『華氏911』も、持たざる者、弱き者に寄り添う視点が、結果、監督に巨大な名声、巨万の富をもたらす結果になり、そこに批判もある。

「米国でもそういうことを仰ってる方もいますが、マイケル・ムーアは資産を沢山寄付もしているんですよ」
「それは使い切れないくらいありますからねぇ……」
 双方譲らず、水掛け論のような緊張状態が続く。
「観ていただいてから意見を……」とボクが切り上げようとすると、
「(ムーア監督の小泉批判を)でもそれは余計なお世話じゃないの?」と語気を強くして言い放った。
 身も蓋もないこのバトルは熱気を帯びた。その室内の温度も「華氏451」ほどであっただろうか……。
ボクは気を改めて話題を変えた。
「以前に『ギャング・オブ・ニューヨーク』を観に行かれたら、偶然、小泉総理がいらしたそうですね?」
「そう。女房と『ギャング・オブ・ニューヨーク』を観に品川のシネコンに行ったら、警察とかSPが沢山いるんですね。当時、私は官房副長官だったので、官邸で顔見知りのSPに『総理来てるの?』って聞いたら『……お答えできません』って」
「それは向こうも任務だし、そう答えるしかないですよね」
「SPもニヤニヤとそう言うしかなくてね。それで席に着いたら、私の後ろが5列ぐらい空いていて、もしかしたら?と思ったら、小泉総理が『オウッ!』とか言って入ってきて、後ろに座られた」
「小泉総理の例の調子で! すごい偶然ですね」
 そして〝すべらない話〟を語るかのように安倍幹事長が言った。
「それで、小泉総理が『席、結構、空いてるんだなぁ』とか言うんですよ……」
「総理の椅子のまわりが……」
「違いますよ! 総理!空いてるんじゃなくて空けてるんですよって!」

 その後、安倍晋三は小泉純一郎に代わり、自民党総裁室の空いた椅子に座ることとなった。しかも2度。
今まさに、解散総選挙で空席に戻った「総理の椅子」――。
その座り心地をボクは想い出した。

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【その後のはなし】

  2020年8月28日、12年12月の第2次内閣発足から約7年8カ月を持って安倍晋三内閣総理大臣は潰瘍性大腸炎の再発を主な理由として辞任、総理の椅子を譲った。

 日本のこの8年間の「分断」の象徴でもあった。
 A級戦犯岸信介の孫と言う肩書きは、その存在だけで、全共闘世代の錆びつ
いた怒りを焚きつけるに十分であったし、ましてや改憲を標榜しては、様々な陣営が激しく何かに付けて糾弾する存在であった。

 しかし、この本で後に出てくる「野中広務」の章でも触れるのだが、ボクは 芸人として、舞台上の狂人性と、舞台を降りた時の人間性のコレクトネスの共存のバランス感覚の上に生きている。政治家も芸能人も、それぞれの虚実の皮膜を見抜き、芸人としての感覚で皮肉ったり、おちょくったりしているだけの話で結局はどの陣営にも属しない。
 松任谷由実が自身のラジオで、総理をねぎらったことに「死んだほうがいい」とまでのたまえる某大学の専任講師とやらの発言には首を傾げざるを得ない。

 安倍総理の野党への退任の挨拶では、笑顔で互いに深々とお辞儀をしたりす
る姿が報じられ、また議員会館の廊下でばったり宿敵と遭遇した辻元清美議員が「お疲れさまでした。あれだけ激しくやり合ったので寂しいですね」と声を掛けると「次は菅さんとやりあって下さい」と苦笑いされたと、ツイッターに投稿するなど、そのノーサイドの光景が各所でみられた。

政治家はいがみあって戦っているのではなく、国を良くするために論戦をしているという、基本的な姿を何かにつけて分断している人々は忘れてはならないのではないか。

しかし、今、米国では、トランプの2024年立候補が算段されていたり、
安倍3選すらも、あり得るという輩もいるのである。

総理の職を辞した。
それは「絢爛たる醜聞」であった。

 


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