見出し画像

【はかせ日記】21/3/28 今日の名言「小野さん!一歩前へ出ようぜ!!」(玉袋筋太郎) 原稿仕事、『小杉湯となり』立川こしらの本。熟読。K―1武尊の試合に感嘆。

悪童日記 2021年3月28日(日曜日)

4時30分起床。
さぁ頑張ろうぜ!!

noteに昨日の日記を更新。
タイトルは「サクラを見る会」。
井上咲楽ちゃんとの
歩き花見のご報告。

今日の名言──。

「小野さん! 一歩前に出ようぜ!」

      (浅草キッド・玉袋筋太郎)

最近、後輩芸人とからむことが増えた。
特にオフィス北野改めTAPの若手と
触れ合う機会が増えた。

最年少はガラパゴスのふたりの19歳だ。
父と子というより、
もはや祖父と孫だ。

しかし、19歳と言えば、
ちょうど、冒頭に書いた、
この言葉を放ったときの、
赤江くん(玉袋)と同じ年だ。

1986年の頃、たけし&たけし軍団全盛期。
殿や先輩たちの仕事は山のようにあり、
打ち上げ、パーティは毎日のように続いた。

たけし軍団は10人、
2軍のたけし軍団セピアは6人。
我々が所属する3軍、
浅草キッドブラザーズも5人。
その他にも殿の運転手の芹沢・秋山もいた。

殿&軍団はひっぱりだこで、
壇上で名前だけ紹介されることも多かった。

何処よりもヒエラルキーが強い社会で、
下のものは、常に馬群にまみれて、
「個」として見られることは少なかった。

殿から呼びかけられるのも、
「おい、軍団!」とか、
「下のもの」とか「若手!」とか、
十把一絡げが多かった。

そんなおり、
この男性マチズモ集団の中で、
漫才コンビを唯一組んでいた我々は、
「浅草キッド!」
と2人で紹介されることも多かった。

壇上で呼ばれても、
これだけ先輩がいるなかでは、
返事だけして、
前に出ることなく、
何も主張もなく、
モジモジとしてスゴスゴと、
後衛に回ることが続いた。

ある日、そんな状況のとき、
赤江くん(玉袋)がボクの足を叩いて、
「小野さん!呼ばれた時、
一歩前に出ようぜ!」
と耳打ちした。
「なるほど!」
瞬時でボクも理解した。

そして、30名くらいいる壇上、
点呼確認するような状況のなかで、
「浅草キッド!」と呼ばれると、
軍団のお兄さんよりも前へ出て、
マイクを通り越して、
壇上の一番切っ先に立った。

「なんだよ、お前ら!」軍団が突っ込む。
「コイツら、やる気あるなー」と殿。

それは毎回続けた。

とにかく名前を呼びれただけで、
軍団の若手で前へ出る奴がいること、
それだけで業界関係者からも
注目を浴びた。

今で言えば、
若手番組で全体を紹介する時に、
空気を読まないで、とにかく前に出る、
今で言うと、
「コウテイ」のような感じだ。

画像3

前へ出るからには、
何かを振られることになる。

その場へ向けてネタは、
常時仕込んでおくことになる。
ボクらは赤江くん(玉袋)が、
場違いなことを言って、
ボクが突っ込んでいたが……。
たいたい空振りだった。
が、場においてスカさない勇気だけは、
高く買われた。

画像2

20代で浅草キッドがМC(赤江くんは20代前半だ)
を任されるようになっていたのも、
そういうことの積み重ねがあったからだ。

今も若手とカラむと、
ネタだけやれば、
あとは「はい、はい」
と殊勝にしてればイイと
思っている人も多い。
特に第七世代以降は。

逆に言えば、だからこそ、
周囲を出し抜くチャンスなのに……。
と思ってしまう。

SNSを含めて、
自分が発信できる媒体が増えた。
そこで爆発的な知名度を誇る芸人も多いが、
そこをやろうともしない、
若手芸人も多い。
逆張りで、そうしている人もいるが、
本当に単なる無知で、
「向いてないから」とか、
「よくわからないので」
と敬遠するムキもある。
「バイトが忙しいので」とか。

それはそれでイイと思う。

浅草キッドは芸人になってからの
バイト経験はほぼ一年もない。
すぐに食えるようになったのもあるが、
なにより殿が、
「貧乏しててもバイトをするな!」
「舞台にかかわることだけをやれ!」
という指令があったからだ。
飯は先輩に奢ってもらって、
住居は毎日、居候でやりすごしたものだ。

もちろん当時は闇営業も日常にあった。

ま、実際、ボクなんかは、
浅草フランス座時代は、
フィリピン人との偽装結婚で、
戸籍を売ろうとした頃もあった
(未遂だけど)

バブルで不動産売買ブームの時は、
宅地取引者主任の免状の名義貸し、
をやろうとしたこともあった
(未遂だけど)

豊田商事の社員にスカウトされたこともあった。
(未遂だけど)

どうせバイトをやるなら、
ネタになるようなことをやって欲しい。

若手と交わるようになって、
そういうことを思うようになったなー。

「一歩、前に出ようぜ!」
は精神的なフレーズに思われるが、
物理的にホントに「一歩」だった。
それだけで、目の前の景色と運命が
劇的に変わることがある。

7時、食卓へ。

腸活発酵MIXはフルーツバージョン。

画像3

しっかり一本糞を本日も放出。

給料明細を開ける。
先月は、過去最低記録を更新したため、
一ヶ月間に渡る緊縮財政政策が、
我が家の財務大臣のママから強制されたが……。

今回は、ママが笑顔になって一安心。

原稿仕事。

新潮社WEBマガジン『考えるひと』へ。
○柳澤健 著『2016年の週刊文春』(光文社)
○森功著 「鬼才 伝説の編集人 斎藤十一』 (幻冬舎)
書評を仕上げるが、一度送稿した後、撤回。
もう少し推敲させて欲しい。と。
まだ熱が足らない。
もっと本を読ませる気にさせないと。

ボクが書いた一番熱い書評をAmebloにあげる。

フルスイングしろ!!

フルスイング利根川くんが栃木出張のため、
散歩仲間を探すが、雨が降り出し断念。

原稿仕事、メール作業を進める。
タツオとメール交換。

『藝人春秋3』を取り上げた、
土曜日の朝日新聞の書評について。

確かに、文庫が取り上げられることも、
異例なのだが、
新聞は漢字表記が統一されているため、
「芸」ではなく、
旧漢字の「藝」が使われることも異例だ。

noteに『ダンカンさんのこと』も書く。
2005年、ダンカン監督『7人の弔』
のパンフレットに寄せた一文。

スモール出版のダンカン本の取材に向けて。

12時、長男の昼食を任され、
スーパーのトーキュウへ。
もろもろと大人買いする。

画像4

クドカンの「俺の家の話」が終了した。
これからイッキ見することにする。

結局、TVerに入会するのが早いことがわかる。

SPIDERで『アメトーク』
ドラフト会議を視聴。
向井くんが「吉本の水道橋博士」
と言われているところなど。

18時に外出。

眼鏡屋の『ボストン』へ。
先日作ってもらったものを
既に紛失している。
部屋の何処かにあるのは確実なのだが……。

ボクが密かにジブリの鈴木敏夫さんと呼んでいる、
白髪の店員さんに念入りに視力検査をしてもらう。

画像5

「これだけ乱視と老眼の両方だったら、
毎日、お疲れでしょう。よく我慢できますねー」

と感心されるが、正直、わかってもらえて嬉しい。

思い切って、累進レンズ(遠近両用眼鏡)にしてみる。

持ち込みのEFFECTORのフレームで作ってもらうことに。

画像6

そのまま、『小杉湯となり』へ。

画像13

その前に、高円寺の道祖神にご挨拶。
90年代の『アサヤン』レギュラー時代。
毎週、VTRだしで、
「テリー伊藤さんのお眼鏡に叶うかどうか」
一喜一憂していた時期が懐かしく思い出される。

画像7

雨の中、全集中のつもりだったが……。

画像8

隣で井上学くんがAbemaのK-1中継を見ていた。
今日は武道館大会だ。
しかも、メインはスーパー・フェザー級タイトルマッチ、
王者・武尊と挑戦者レオナ・ペタスが激突。

井上くんは、堀口恭司とも闘った、
元パンクラスのバンダム級の王者だ。

じっくりと試合の見所を聞いてしまう。
井上くんは、ペタス有利の戦前の予想。

今年30歳の武尊は、勝てば、
一気に那須川天心戦が一歩前へ。
負ければ、引退を余儀なくされるような大一番。

「小杉湯となり」の和室の静寂のなかで、
いつもは、黙っているボクらだが思わず声が出る名試合。
壮絶な打撃戦、会場熱狂の中で武尊がKO勝利を飾る。

画像9

「あれだけ一歩前に出て
打ち合えるのが凄いです!」
と、井上くん。

正直、武尊の強さを見直したし、
俄然、那須川天心戦へ期待が高まる。

思わず、noteに書いた有料原稿を無料で上げる。

興奮冷めやらぬまま、井上くんと、
新しく出来た「小杉湯はなれ」の場所確認へ。
これは本当に隠れ家だ。

そのまま小杉湯へ。
今月、15回目。
いちご湯、ミルク風呂、水風呂、
3往復して、しっかりと整える。

番台で、福島産のお菓子を購入。
この銭湯では、
福島復興支援を継続的にやっていてエラい。

画像10

帰宅後、ZOOMで関口長官、ジョニー小野と緊急会議を開催。

キャプチャ

会議中にブッキング候補があったら、
その場で電話する。
保留、持ち帰りはNGルールで
次々と決定を出す。

明日から定期的に
youtubeの番組も始めることも決定。
TAPの若手も参加自由に。

https://youtu.be/ZexkL9MlFrI

画像13

今日は一日、
一歩前に出たことを満足して、
12時就寝。





サポートありがとうございます。 執筆活動の糧にして頑張ります!