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『藝人春秋2』の書評 8 /「素敵な物語が読めて幸せだったよ」 By「さらば映画の友よ!」柴尾 英令

 2021年2月9日、3月9日と2ヶ月連続して発売となる『藝人春秋2』上下巻の文庫化が『藝人春秋2』と『藝人春秋3』です。

 2017年発売の単行本版『藝人春秋2』上下巻には多くの書評が寄せられましたが、そのなかから順次紹介して行きたいと思います。

 

8回目は、3年前に突然、亡くなられた作家の柴尾英令さんです。

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『藝人春秋2』を読んで……By柴尾 英令

                2017年12月14日「Facebook」より

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 ぼくらは肉体と物語とともに生まれてきた。

 老いてやがて死を迎える肉体。
 ときに想像の荒野を開拓し、未踏の大地を幻視させる物語。

 肉体は鍛錬と精進によってその能力を高める。物語は経験を糧にして豊かなことばとともに、視野を広め、見えなかったものを見せてくれる。

 肉体と物語は不即不離である。

 成長し、老いる肉体への観察ぬきで、物語の豊穣は完成しない。
 夢を見るための物語ぬきで、人は明日を健康に迎えられない。

 肉体と物語は貪欲である。
 なにかを達成すれば、より高い目標を求めるものだ。

 肉体と物語の指標と基準は、他者との比較によってなされる。
 同じ年齢、同じ出身、同じ性別。同じ人間。
 そんな他者を観察し比較することで、自分の価値を決めていく。

「藝人春秋2」は、昭和37年に日本で生まれた小野正芳という人間が他者の生み出す物語に惹かれ、水道橋博士となった物語に戸惑い、それでもよって立つべき肉体が織りなす物語に納得するために歩んできた55年が生み出した肉体と物語のランドスケープ・スペクタクルだ。
 
 自分自身の正体を知りたい。
 直接間接を問わず、自分の関わった人と行動について納得したいという欲求は誰にでもあるだろう。
 だが、水道橋博士のそれは度を越している。

 猪瀬直樹や石原慎太郎、三浦雄一郎の正体と同列に、武井壮、寺門ジモン、タモリといった面々も等価に並べ、その正体を納得いくまで、追求していく。

 彼らが結果として生み出す物語と、彼らが織りなしたいと熱望する物語。    多くの人物評伝は物語に合焦させることが多いのだが、『藝人春秋』の場合は、肉体への記述が多いことが、興味深い。

 脳もまた肉体の一部であるから、老いとともに物語の精度を侵食させていく。石原慎太郎と三浦雄一郎の確執と距離は日本の政治史の一エピソードであるとともに、肉体の説得力に意味を持たせている。

 肉体的相似形を自身の時間差のあるロールモデルとして提示した田原総一朗とのエピソードの数々は、過剰なまでに自身を曝け出すことの理由と意味をみせてくれる。

 もどかしくも呪わしい、橋下徹、やしきたかじん、関西テレビ業界の暗雲に対する「正体を見せろ」、「納得できない」の行動を伴う連呼は、日本を覆う"肉体性なき物語"の暴走を告発する。

 冷戦期に書かれた諧謔味あるファンタジーとしての「007」のメロディを"肉体性なき物語"に対抗する"物語"として配置しながら、「正体を見せろ、ブロフェルド!」と切り込んでゆく蛮勇に喝采を送りつつ、初老の男のはにかんだ愛情の表出に、ぼく自身の物語も新たなメロディを奏でだす。

 岡村靖幸と岡村隆史。
 現在進行系の水道橋博士自身の物語の中に、ふたりのオカムラがいてよかったね。

 そして、あなたの物語を遍照する太陽として「殿」がいてよかったね。

 そんなすてきな物語を読めて幸せだったよ。

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 柴尾さんは1962年生まれの同じ年で、ボクが年を経てから友達、そして親友になった数少ないひとりだったが、2018年4月2日、55歳で突然の孤独死で逝った。
 お見舞いに行く暇すらなかった。
 その喪失感はあまりに大きかった。

 さくまあきらさんの『桃太郎電鉄』のゲーム作りのスタッフとして出会った。読書量、映画鑑賞数などが膨大で街中の知識人として慕った。
 そして氏のブログに書き込まれた映画評に惹かれた。
 ボクが主宰した『メルマ旬報』の創刊と共に映画評論の連載をお願いした。
 柴尾さんは何時も板橋ワーナーマイカルで映画を見ているので、そこへ行くと偶然出会い、よくご一緒した。
 その後、よく遊んでもらったが、忘れられないのは、春スキーの雪山で3歳の長男と遭難しかけたときだ。
 あの日、ハン・ソロのように現れて、そして、ボクの無茶から危機一髪のところを献身的に助けてもらった時のことは生涯忘れられない。

 ⬇ その日の日記。

 無茶と言えば、柴尾さんは、ボクの生放送降板事件や一連の行動を論理だって理解していた数少ないひとりだった。

 文庫化された、この一冊、『3』の最後に解き明かされる町山智浩さんの渾身の解説を読ませてあげたかった。

 2018年8月4日のHATASHIAIの日は柴尾英令さんのお別れ会の日でもあった。
 さらば映画の友よ!
 あの日、ボクは柴尾さんと一緒に戦った。
 負けてしまってゴメンナサイ。
 でも、柴尾さん、俺、逃げなかったよ!

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