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38・ 政界の黒幕の藪の中 野中広務

 老兵死す──。
 2018年1月26日、元自民党幹事長、野中広務逝去。享年92歳。

 1925年京都生まれ。旧制中学校卒業後、国鉄職員となり召集で陸軍に。戦後は地方自治に邁進し、1983年の衆院補選に57歳で初当選を果たすと、わずか11年で国家公安委員長まで登り詰めた。
 政治思想は弱者に寄り添ったハト派で、2003年の政界引退後も「反戦」「反差別」の権威として存在感を放った。
 それ以上の氏の詳しい功績、事件簿は各社の訃報に譲るが、おそらく、いくつかの記事の中では2008年元日のフジ『まだまだ日本はよふけ謹賀新年SP』で、笑福亭鶴瓶、南原清隆、香取慎吾と共演した際の温和な一面も振り返られただろう。

 しかし、強面で知られた野中広務という黒幕の素顔の魅力をテレビで引き出したのは、TBSの深夜番組『名門!アサ㊙ジャーナル』が2004年に先んじていたことを極私的な想い出と共に振り返りたい。

 現在も継続中の同番組は、もともと政治家とのトークバラエティとして、小泉純一郎内閣全盛期の2001年10月にスタートした。
 我々浅草キッドの役柄は、TBS所属の政治部記者。
 背広に腕章、メモ帳を片手に国会から首相官邸、与野党本部まで駆け回り、5年間でのべ200人以上の政治家をインタビューした。

 ボクは成人して以降、選挙でも「アントニオ猪木/スポーツ平和党」と書いたことしかなかった程度のノンポリで、当初は「オフレコ」の意味さえ知らずブログにありのままを綴り、叱責されたこともあった。
 番組のテイストは自称「ヨイショ付き政見放送」。
 各人の政策論ではなく、その人間性を伝えることを主旨としたが、立ち上げ後、しばらくは政界で警戒され出演者を探すのに往生したものだ。
 しかし回を重ね、知名度や好感度に効果が認められ始めると、一転して政治家からの出演希望が相次いだ。
 取材した数多の政治家の中で最も緊張した人は? 
 と何度も聞かれてきたが、答えは一択、野中広務だ!

 2004年3月5日──。
 永田町、砂防会館の野中事務所に向かうロケバスの車内には尋常ならざる緊迫感が漲っていた。
 当時の年齢は78歳、前年9月に行われた自民党総裁選では派閥の結束を無視して小泉純一郎に票を投じた議員を非難し、その際に用いた言葉「毒まんじゅう」で同年の流行語大賞を受賞した。

 とはいえ、テレビ局を管轄する逓信委員長時代には、あの「シマゲジ」こと島桂次NHK会長を更迭した過去もある冷酷なる大物だ。
 事前に台本をチェックするためにTBSから本物の政治部記者が数人もロケ現場に随行した理由も頷ける。かつ相手は大のインタビュー嫌いで談話中に笑顔などは皆無の堅物として知れわたっている。
 ボクは番組開始以来、最も時間をかけて記事、自伝、評伝、関連書籍を入念に読み込んだ。
 会館の執務室で対峙した野中の、妖怪ぬらりひょんの如き姿形、猛禽類のような鋭利な視線に竦められカチカチになりながら第一声。 
「ついに野中さんにこの番組に出て頂いて……硬派なタイトルがついていますが、中身はバラエティ番組です。よろしいでしょうか?」
「ま、仕方ないですから……ここに座った以上は……」
 場が凍りつく。壁際には本物の政治部記者の面々が張り付いている。
「あのー、実はそこにいる政治部の方からガンガン言われまして。
「何を?」
『言葉に気をつけろ!』と。『あんなことやこんなことは聞いたらダメだ』って……。でも、そんなことはないですよね?」
 ボクはあえて中央突破を試みた。
「それはわからんですよ。私、気に入らなければ途中で帰っちゃいますから!」
「では、最後まで居ていただけたら、今日は合格ということで……」
「フフフ……」
 初めて野中の表情が緩んだ。

 この掴みで打ち解け、その後の2時間は和気藹々に進んだ。
 煮ても焼いても食えない旧弊の政治家の代表、郵政族のドンとして小泉政治に抗った。そんな抵抗勢力のラスボスのようなイメージが時間と共に氷解していき、自らの出征体験に基づく反戦への想いを背負ったハト派爺さんの後世へ伝えるべき想い出がたりの場となった。

 あれから14年──。
 野中広務の訃報を取り巻く、党派を超えた人々の回顧と賛辞。
 そしてそこへの反証は、氏が単なる清廉潔白なハト派ではなく、反面では〝黒ハト〟いや〝オフホワイトハト〟であることの証明ではないだろうか。
 野中は、先述のシマゲジ事件にしても、郵政族のドンの顔にしても、官房機密費にしても、出自と差別への闘争にしても、民主的な過程を経て登りつめた。
 そしてまっとうに与えられた権力を適切に使い切り、議員として与えられた党の要職において、その責務を全うした。
 
 田原総一朗は「野中さんの最大の功績は、沖縄問題を解決した事だ。
野中さんは沖縄の全ての島を回り全ての島で飲み、島の人々とじっくり話した。その結果、県知事も名護の市長も辺野古基地を承諾した」
 と追悼ツイートしたが、
「野中さんは下戸だったから、それはフェイクだ!」
 というツッコミも散見される。
 辛淑玉との対談『差別と日本人』では、野中と犬猿の仲であるはずの石原慎太郎の差別発言を摘発したい辛に対して、
「昨夜、石原と飯を食ったんですよ」
「あれはまたいい男だから」
 と擁護。また、南京事件に対する作家・百田尚樹の見識を「国会に呼んで責任を追及すべきだ」と批判しつつも「『永遠の0』を2回も読んで涙を流したのに!」と怒りの中に細やかな配慮を見せる。
 つまりは、批判と評価の峻別を徹底した。そこを全て一緒にして、あるべき意見が一面的に収斂することこそが、氏が忌むべき差別につながることだと考えていたのだろう。

 この連載のなかで、ボクは「ボク自身は思想的に右でも左でもない」と書いた。
 告白すれば、我々は過去に放送禁止や差別を確信犯的にネタにしてきた漫才師だ。しかし、野中にも両義性があるように舞台におけるブラックネスと人間性のコレクトネスの共存は我々のような職業には必須のバランス感覚なのだ。
 虚実の皮膜、本音と建前を世間や客前で随時出入りする感覚と言うべきだろうか。

 あの日、『アサ㊙ジャーナル』の収録を終えて執務室を出た野中が取り囲んだ秘書や政治部の記者に向かって「これからはオフレコだよ」と断った上で「彼らはプロの聞き手だったよ!」と一言漏らした。

 14年前、野中広務が発した言葉の褒賞が、どれほどその後の我々の仕事への激励となったことか。
 長い時を経て歴史が下す政治家への評価は、今後も毀誉褒貶、言った、言わないの議論を伴うだろう。
 だからこそボクは声を大にして、真実は藪の中でも両論併記を広むべきと駄洒落るのだ。

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                 (挿し絵・江口寿史)

【その後のはなし】

 2001年より、長く浅草キッドが冠レギュラー番組として司会をつとめてきたTBS『アサ秘ジャーナル』シリーズは2018年に終了した。
 政治バラエティ番組としてスタートした番組だったが内容は変遷し、最終的には教育現場をレポートする番組で、その役割を終えた。
 浅草キッドとしても最長寿番組だっただけに感慨もひとしおながら、一言で言えば「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」だ。

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 実は同 タイトルの本をボクは書評で取り上げている。
『本業』の中に収録しており、また内容的には本稿に重なるだが、先に書いた「藪の中理論」で言えば、別角度よりの両論併記の追悼文としてここに掲載しておきたい。

 野中広務『老兵は死なず 全回顧録 』 (文藝春秋)

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 先日、俺たち浅草キッドが司会するTBSの政治バラエティー番組『アサ秘ジャーナル』 に、あの野中広務・元官房長官が初出演した。
 多くの視聴者にとって野中氏は小泉政治に対抗し引退を余儀なくされた抵抗勢力の黒幕、その大方の印象は「悪役」「老害」のイメージに違いない。

 また野中氏は昨年9月の自民党総裁選では「反小泉」の先頭に立ったが、逆に小泉支持を表明する幹部議員が続出。その際に発した「毒まんじゅう」という言葉は昨年の流行語大賞を受賞した。

「毒まんじゅうはうまく食った人も静かに食った人もおる。食いそこなって大変な傷を負った人もおる」と言い残したが、その本人がマスコミ的には、「煮ても焼いても食えない」政治家の代表でもあるのはまぎれもない。

 当日、ロケ先には異例なことにTBS政治部の記者も貼り付き、事前に台本も検閲され、異様な緊張感に包まれた。それもそのはず78歳のこの大物政治家はインタビュー嫌いで知られ、特に談話中に笑顔などは皆無の強面なのである。
 それどころか、かつてはテレビ局を管轄する郵政族の首領として君臨し、逓信委員長時代には、あのNHKの元会長で普通の代議士など平気で怒鳴りつけたことで知られる「シマゲジ」こと島桂次を更迭した過去もある。俺たちが何か失言をして、しくじるのでは……と局側が心配するのも無理はない。

 そして、この難攻不落の強敵のため、俺たちが事前に目を通した資料のなかでも、特に興味深く読んだのが本書である。

 この本は、96年1月の橋本内閣組閣から今年の引退表明まで、橋本・小淵・森政権の最側近として支え権力の中枢にいた本人の回顧録だ。
 一寸先は闇の政界で、時には政敵を蹴落とし、時には合従連衡する、その権謀術数ぶりを自ら明かしている。
 例えば小渕政権で官房長官就任の舞台裏。

「総裁室にやってきた私に、小渕さんはいきなり『官房長官をやってほしい』ときりだした。私は言を左右にして逃げた。すると小渕さんは突然、椅子から降り、総裁室の床に座り込んだ。日本国の次期首相が、私の前で床に跪いたのだ。仰天している私に向かって、小渕さんは『頼む。小渕恵三が頼んだんだよ。やってくれ』そう言うと頭を下げた」

 このくだり「凡人」小渕総理の「平凡」で在らざる、首相への執念が鬼気迫る。
 また実に興味深いのは、氏の非情なる政局運営能力の、その手の内である。
 かつては同じ派閥に居たにもかかわらず、経世会を分裂させ、政界混乱を招く元凶になったと国会で「悪魔」とまで呼んだ仇敵・小沢一郎に対し、
「個人的感情は別として、法案を通すためならひれ伏してでも」とまで前言を翻し、多難な自・自・公の連立政権作りを進める過程には「変節」と謗られられながらも「個」を捨てた高度な折衝・調整能力を窺わせる。

 そして、あの「加藤の乱」に際し加藤派と山崎派の議員の選挙区事情を調べて加藤派の独立は無理だと判断してから、鎮圧を決断する過程に、その調査能力を武器にした政治力が際立つ。
 かくも、氏の政局の切り回しぶりは冷徹、非情極まりないが、その一方で政治信条は一貫してリベラル・ハト派であり、自衛隊派遣を織り込んだ「イラク復興支援法」の採決も、あえて退席したのも記憶に新しい。

 魚住昭著『野中広務 差別と権力』(講談社)松田賢弥著『闇将軍』(講談社)などの評伝を読めば、自身の宿命に血の涙を流しつつ、岩に爪を立てるように這い上がってきた政治家が持つ弱いものへの眼差しを見てとれる。

 また、本書の中で俺が驚いたのは昨年の総裁選では打倒小泉の「奇策の秘策」として、あの舛添要一の擁立を検討していたこと。
 160万票を集めトップ当選を果たした舛添先生ではあるが、まだ1年生の、しかも参議院議員である。
 子泣きジジイ(野中)がネズミ男(舛添)に耳打ちする水木しげるの画が浮かんできそうな光景だが「これはかなりいい線を行くと思っていた」と本気で画策に動いた顕末も明らかにしている。

 ちなみに番組収録の際、第一声を「先生、あのー、実はそこにいる政治部の方からガンガン言われまして」と俺が中央突破を仕掛けると「もし、気に入らなければ帰るよ!」と実に魅力的な笑みを浮かべた。
 その後は、局側の心配をよそに、対談は和気藹々に進み、野中氏の興味津津な語りに盛り上がった。
 途中、政界デビューは遅かったが、短期間に政界の権力中枢を上りつめたため、常に誹謗中傷を浴びてきた野中氏は「男のジェラシーは醜いぞお~」とシミジミと呟いた。
 その発言を聞きながら、俺は政局とは「リアル・渡る世間は鬼ばかり」であり「男のためのワイドショー」であると思った。
 また、俺なりに野中氏の政治家生活を「劇場型」ならぬ「四角いジャングル的」に喩えると……。

 インディー出身で中央進出が遅れたプロレスラー・ノナカが遅すぎるメジャーデビューを果たし、その実力(道場でのガチンコの強さ)で脚光を浴びるがベビーフェイス・コイズミの登場により「5カウントまでは反則OK」の権謀術数型レスラー・ノナカは退場を余儀なくされる。
 ただ「反則」といいつつ、その中にも予定調和のルールがあったのが旧型プロレスだが、コイズミ型の「格闘技系」は旧型ではタブーだった「フルコンタクト(直接打撃)」に何のためらいもない。
 そこは「党議拘束」「派閥」といった古い日本の政治モチーフに拘る旧型プロレスを全うしたノナカは苦々しい。
 しかも、昔からの自民党の在り方としてはデビュー(初当選)時はベビーフェイスで、当選・役職を重ねるにつれてヒール味を帯びつつ、より古いヒールを追い落として王者になるというパターンだった。
 しかし、コイズミだけは王者になってもヒール臭を帯びない訳で、ノナカとしては彼の存在は自分が、その存続のために滅私奉公してきた「自民党プロレス」の終焉を意味し、自己否定されているようで強い拒否感があるのではないか──。

 以上は俺流の解釈だが、こういう見方や政治への関心の持ち方は、
「勧善懲悪のわかりやすい図式を描き、橋本派議員、あるいは族派議員は『絶対悪』、小泉さんはそれを打破する『正義の騎士』という図式である」
 と野中氏が嫌悪した二元論の肯定だろう。

 それでも俺は「悪役」側もマスコミを忌避することなく逆にマスコミに積極的に発言する政治を待望する。
 そもそも、この雑誌(日経エンタテインメント!)に、この本を取り上げることが場違いなのかもしれない。
 しかし、俺たちがエンターテイメントに溺れるなか、懸案の個人情報保護法によって、雑誌で自由に発言する権利がいつの間にか制限されそうになっていたり、自民党の代議士が、こぞって出演拒否を逆手にテレビ局の自主規制を引き出したり、そして、なによりお国のためならまだしも何故かアメリカのために自衛隊は派兵される。
 国民の大きな選択が国会閉会中に決定されるとは、ますますワンフレーズの「正義の騎士」による議論不在の政治になってはいないだろうか?

「老兵は死なず」と言う限り「陰の総理」「守旧派」「抵抗勢力」と呼ばれた、この「黒幕」の言葉を、むしろ今後は表舞台で聞きたいのだ。
          (日経エンタテインメント!2004年5月号より)

『本業』のその後のはなし

 その後の野中広務氏は……。
 この日、収録後、政治部の記者に向かって「彼らはプロの聞き手だったよ」と褒めてくださり、我々の大きな自信になった。
 一方で引退と共に過去の〝影〟の部分も明るみに。
 食肉偽装事件、日本歯科医師連盟から自民党旧橋本派への1億円ヤミ献金問題など新聞、週刊誌報道に野中氏の名前も散見される。
 〝まんじゅう〟は喰わなかった野中氏だが、とんだ虫歯があったものだ。
 が、その口を噤むことなく発言を続けて欲しい。

                水道橋博士『本業』(文春文庫)より


 

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