21/7/9 昼・村松友視さんとの対談と夜・太田光総理と立ち話。
博士の悪童日記 7月9日(金曜)
村松友視&関連本
6時半起床。
昨日の日記を書く。
朝食も抜いて、
今日はギリギリまで
村松友視&関連本がどれほど読めるか。
寝不足なのだろう。
何度もコックリコックリする。
途中、『ラジオビバリー昼ズ』を聞く。
ボクも松村邦洋くんに、
高田先生への貢物と手紙を託したのだが……。
太田総理も事あるごとに、
先生との手紙のやりとりをしているのに
毎回感心。
⬆毎回、17歳の頃と答えていた、
この写真の詳細、日付がわかった。
ちゃんと「本業」のなかに買いいている。
以下、『本業』より。
その村松友視氏と俺が初遭遇するのは、
高校3年生の時だ。
新日本プロレス サマーファイトシリーズ最終戦後、
俺の地元、倉敷で追撃戦が急遽、組まれた。
『私、プロレスの味方です』が出版された、
数カ月後の1980年7月25日のことである。
会場の倉敷市民体育館は、駅から遠く離れ、
瀬戸内海寄りの水島地区にあり、
地方でもより辺鄙な場所にあった。
もはや新日本プレレスというより、
新日本紀行といった風情である。
その日のメインが
猪木&長州組 vs
バッドニュース・アレン&シン組。
何故、こんな水島くんだりまで
村松友視はやってきたのか?
今もってわからぬが、
まだ、顔も知られていない頃だろうが会場に。
そのダンディーな中年男性の姿を見つけると、
俺は声をかけて、仲間と一緒に写真を撮らせてもらった。
突如、少年ファンに囲まれ、
ご本人も「よくわかったねぇ」
と照れながらの一枚であった。
写真を見るたびに、よくぞ、当時の段階で、
その顔を見て、村松友視と認識できたものだと、
我ながら感心するのである。
そして30年の歳月が流れた。
思春期に俺に影響を与えてくれた人には、仕事柄、
もはやほとんどの人と対面を果たしてきたと思う。
しかし、村松友視氏とは、リングスの会場などで、
すれ違ったり、会釈をしたことは有るが、
いまだ会わないままだ。
一昨年、俺はロッキング・オン社から、
書評本『本業』を出版した。
(略)この書評本の『本業』に対して、
『男の隠れ家』2006年2月号で
『2005年最も印象に残った本』として
書評に選んでくれたのが村松友視氏であった。
短いスペースだが、
「そこで取り上げる矢沢永吉
から杉田かおるを経て、佐野眞一を通過し、
野中広務にいたって杉本彩に舞い戻り、
そしてビートたけし世界さえめぐる、すべての
〈タレント本〉に対するアングル、スタンス、距離感に感服」
との一文を頂いた。
この書評は嬉しかった。
それは俺が本を書くことで、まるで30年も前の過去の
暗闇に投げたキャッチボールの返球が帰ってきたかのような、
時を超えた感慨を覚えた。
そして、この『本業』の文庫版には
村松友視さんが解説を書いてくれた。
その手紙の生原稿のコピーは、ボクの宝物だ。
その後、『ファイター・評伝・アントニオ猪木』も紹介し、
その本に書かれた「イノキ前夜」
の村松友視の竹中労体験について詳述している。
(この本はまだ文庫化されていない)
この本の竹中労の描写に殺られて、
ボクは『ルポライター事始』を
読むことになる。
そして、この本に強く影響を受けた。
それを思うと、
村松友視さんはボクの人生の道先案内人だったのだ。
そして、4月22日のBOOKSTAND.TVで40年ぶりに再会。
このときの話だけでは、
気が済まないので、
「アサヤン」の出演オファーをしたところ、
ОKをいただいた。
すぐに阿佐谷ロフトを抑えたのだが、
空いていた、その日、6月26日が、
猪木 vs アリ戦45周年の日だということは、
後から気がついた。
大興奮で村松友視さんにFAXを送り連絡をつけ、
出演が決まり、
そして、ターザン山本にも連絡をつけた、
ターザンは大興奮だった。
ふたりは、30年来くらいぶりとのことだ。
それが、発表後に、その日が81歳ご高齢の
村松友視さんのワクチン接種日に重なり、
大事を取って欠席になった。
その代役は?
そのときに猪木が頭に降りてきた、
「バカになれ!」
そしてバカなふりをして古舘さんに連絡。
快諾を受けた。
古舘さんと村松さんは、
昨年、猪木さんを囲んで、
30年ぶりの再会をしている。
6・26の前に古舘さんは、
6・24に『トーキングブルース』の舞台がある。
まさか、そのチケットを作家の相沢くんが
「博士が見るべき」と譲ってくれた。
ひとりで客席に、
その舞台の演目、
『実況講談・アントニオ猪木』を見て、
演者のひとりとして鳥肌が立つほど、
打ちのめされた。
そして、6・26の「アサヤン」が実現。
当日、ターザンは何故か意気消沈。
「ボクは古舘さんと口を効くのははじめて」
などと言い出す始末。
そして、本番では、
新日本のパキスタン遠征で
村松友視さんと、ふたりが、
どちらが同室であったか論争になったのだ。
昨日も古舘伊知郎さんと一緒のラジオも、
夢の始末書のような一時間だった。
そして「明日、村松友視さんに会う!」
ことを伝えた。
猪木磁場が活発だ!
今年になってから、
猪木磁場が活発になり、
急速な展開を示しているのだ。
編集者・作家の一面を持つ、
村松友視さんは、今も読みつがれる、
名著の『夢の始末書』があり、
そして、編集者時代の村松友視さんを描写しているのに、
嵐山光三郎『昭和出版残侠伝』がある。
あの頃の、情報センター出版局の勢いは忘れられない。
その時代が書いているものがないかと思っていたら、
三田文学の最新号に村松さんが『天使』という短編を寄せていて、
まさに『私 プロレスの味方です』が生まれる前夜を描いていた。
それを読んでわかったのは、
『私、プロレスの味方です』のプロモーションで、
編集者時代に『ワールドプロレス』に出演していたのだ。
その時の聞き手が若き日の新人アナであった古舘伊知郎。
そこで、古館さんから「プロレスとはどういうものですか?」
と聞かれて、村松さんが「人生のようなもの」と答える。
そのプロレス=人生という例えが気に入り、
ボクの日記には、
当時、『プロレスとは人生の縮図だ。
終わりのない大河ドラマだ』
という例えが何度も出てきているのだ。
そんなこんな新発見がありながら、
14時30分、
ドルフィンソング三木がお迎えに。
ホテルアラマンダ青山へ。
車中も、ずっと読書しながら。
村松友視さんは、
河出書房の大田女史と共に、
既に入られていた。
小西Pも私物を持ち込む。
猪木アリ戦の石坂浩二さんが描いたポスターも。
背景に飾る。
着替えて、すぐに本番に。
村松友視さんと対談
ノンストップで2時間。
古館さん、ターザンさんのパキスタン論争は、
両者、共に正しいことが判明。
ターザンさんを主人公にした中編小説が、
存在することも判明。
発表されていないらしい。
ターザンさんへの優しい眼差しにもグッとくる。
40年の熱き想いを伝える。
途中、何度も感極まる。
何時か、
猪木さんと村松友視さんと二人で客席で並んで、
古舘伊知郎さんの
トーキングブルースの『実況講談、アントニオ猪木』
を聴いて欲しい。
とのボクの「夢の始末書」を受けとってもらう。
素晴らしく充実した時間だった。
古舘伊知郎戦、
村松友視戦と連夜に続き、
開放感が半端なし。
幹太(みきふとし)と夜散歩
帰宅後、雨降りだが、
三木くんと夜散歩へ。
アド街ック天国
ダイソーで三木くんの最新モードの手提げかばんを購入。
カレーマニアの間に高円寺NO1の声も上がる、
大江カレーへ。
3種のなかからこちらの2種に。
また、嚥下障害が発生して、
たくさん食べられなかったが流石の出来。
今度は、またチキンも食べよう。
小杉湯へ。
「月曜から夜ふかし」コンビなので、
一応、恥ずかしい。
食事も済ませ、風呂上がり、スッキリしたところで、
夜散歩の延長戦へ。
「なんでですか??」と三木くん。
「お笑いは、逆に行かないと……。
汗でビチョビチョになって
布団にくるまるのがいいのよ。
とずぶ濡れのまま、Clubhouse を開けながら。
「なんで?こんなことするんですか?
目的地はどこですか?」
「目的地は、君が住んでいる荻窪まで」
「高円寺に荷物があるから、ボクまた往復ですよ」
と再三、三木くん。
スコッチのハイボール缶も開けながら。
と、路地を曲がったところで、
「おお、太田くん!」と。
ぴょん吉Tシャツの太田総理の送迎に遭遇。
「何してんですか?」
「若手と散歩」
三木が挨拶する。
「アサヤンの出演依頼したけどいってないよね?」
「全然知らない」
というところで、マネージャーが
「全部、スケジュールNGです」と。
「じゃあ、曜日を変えて、また」との立ち話。
「もう体調は?」
「元気ですよ!」
と猪木声で答えて別れる。
三木くん、
「初めて太田さん見ましたわ!!」
と大興奮。
雨の夜の散歩でも良いことはある。
そのまま、高円寺に引き返したと見せかけて、
中野のセントラルパークまで歩く。
すっかり、出来上がって、
恒例の撮影会。
すっかり酔っ払って、もう帰りたくない。
南国風のCM撮影も。
帰宅後、何時の間にか、無法松が風のように来宅。
真面目に芸論も語っていたようだが、
何時までやっていたのかは覚えていない。
気がつけば就寝。
新番組スタート
「水道橋博士の異常な対談」がYoutubeのサブチャンネルでスタートしました。是非、ご覧ください。
第1回ゲストは、「週刊文春」元編集長・新谷学氏
第2回ゲストは、作家・元東京都知事 猪瀬直樹氏
第3回ゲストは、田原総一朗氏
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ライブ情報
■タイパン
【7/17】#2 さらば10代!ガラパゴス THE LAST SHOW
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