「大阪」で徳の高い・寝そべり族は実現する

はじめに

人間が3つのことしか覚えられないのは小池百合子・東京都知事が近年に明らかにしたところであるが、私の前回の記事では2つまでしか明らかにしてこなかった。

今回は3つ目について語る準備ができたので、一体どういうことなのかを書いた。

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目次


3つ目の要素について

「マイペース」「友愛」「人道」「義理・人情」などいろいろな候補が上がったが、どれもいまひとつ決め手に欠け、何なら友愛は特定人物の顔が浮かぶのでよろしくない。

何かいい感じの包括した言葉はないかな…と考え事をしながらコンビニに出かけていると、現住所が大阪府であることに気が付いた。いや、もちろん知ってはいたが当たり前すぎて全く意識の外にあった。

AIによる「大阪らしさ」の回答

「徳の高い・寝そべり」だけでは「自分だけで良いのか?」という弱点がやはりあった。ニュースなどで目にする、人間の酷い行いや人生の行き詰まりに対する回答としては、かなり不足しているのである。

聖なる大阪は存在しない

人間に100%の潔癖さを期待されている現在の世の中である。ちょっと考えればわかるが、それができる人間は少ない。

いろいろな思想を検討する際に、上記の違和感はずっと付きまとっていた。右に寄ると「美しい国」とか言い出すし、左に寄ると「平和と友愛」とか言い出す。どちらも非現実的な聖なるもので、実際に苦しむ人間を無視している。

そういう意味で「聖なる大阪」は存在しない。私の言う「大阪」らしさは目に見えないが、何故か読者はリアルに感じ取ることが出来るはずだ。それが人間がお互いに大事にしたい精神性の一部なのかもしれない。

大阪は人を救済するのか?

右左に寄ってどっちもダメなら、宗教は役に立つのか検討してみた。私としては役に立つ判定なのだが、世間の皆様の視線は冷ややかなものがあるし、何なら私は葬式仏教や人間の自主性を失わせる怪しげな人たちは大嫌いである。

結局のところ、救済の役に立たないのであれば宗教法人ではなく行政でどうにかする方が効率が良い。どうしてそうなったか詳しい歴史は不明だが、現実として大阪市は生活保護のメッカとなっている。

いろいろと教理的な文句もあるだろうが、現実問題として生きている人間を最も救済しているのは「大阪らしさ」なのである。これは経済的にも人間の精神的にもそうだ。大阪はお笑いのメッカでもあることから、明らかにそうだ。

どうしてイメージが悪いのか

これは不祥事の報道が影響している。最近もいろいろと芸能界ではニュースになっているが、まるで大阪らしさに主たる原因があるような報道である。

これは若干の間違いであり、人間そのものが原因である。全ての不祥事がそうだ。そして、不祥事の後始末が、実際には大事である。

この報道のように、個人店で5000円を4000円に値切るのは愚としか言いようがない。何なら強引な値切り交渉は大阪らしさと言われても仕方がない。

しかし、店主は赦したのである。なんと徳の高いことだろうか。ここで大事なのは「許した」訳ではない。これが自然とできるのが、大事なポイントである。

人間のダメなところを包括する大阪らしさというのは、一見するとダメであるが、人間が人間らしく生きるのには良いのである。

大阪な徳の高い寝そべり族をしよう

既に大阪では、機運を高めるために「寝そべり」の像まで設置している

いや、実際には万博のアピールのためで関係は全くない。この像の俗称は「命の輝きくん」というのも全く偶然だがおもしろい。世間から万博はダメダメと言われながらも、生き生きと寝そべっている。これが人間の目指すべき境地ではないだろうか。

そういう訳で「大阪な、徳の高い・寝そべり」を皆さんにおススメしている。

おわりに

どうしてバーチャル住民は道頓堀が好きで何個も建設しているのかという不思議があったが、これは「大阪らしさ」が好きなのである。

実際に全ての人が大阪に住むのは難しい、というか家賃が上がって私が困るので「バーチャル大阪」に皆さんは住んでほしい。きっといい大阪人に出会えるだろう。

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