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SEED FREEDOM感想

SEED FREEDOMを4回観ました。
その感想を書きたいと思います。

ネタバレ注意です!
また、いいところばかりを書いている訳ではないので、そういう感想が見たくない方はお戻りください。


自分は初代SEED放映時中学生だったこともあり、バリバリのSEED世代で、SEEDシリーズへの思い入れも非常にありました。
なので20年間、多くはないですがイラストなど描いてきました(pixivをご覧ください)。

劇場版はずっとずっと楽しみにしていました。ちなみに深夜0時の最速上映を見に行った勢です。
特に好きなのはDESTINY主人公シン・アスカでした。迷いを重ねて戦う姿が大好きでした。

感想は大きく2点で、演出は100点満点なのストーリーは賛否あります、です。

100点満点以上の演出面

これは観た方がみんな言われていることですね。
とにかくMSや演出がかっこよく、SEEDらしい外連味にあふれています。
ズゴックなどの驚きや過去作要素のファンサービスも大量にあり、それを探すだけで観た4回ずっと楽しかったです。
デスティニー(SpecII)がスクリーンで大暴れする姿は涙出ました。

このあたりは他の感想書かれている方とほぼほぼ同じです。

ストーリーの気になるところ

自分が気になった点は2点です。

  • キラとラクスの選択により世界から戦争はなくならず、苦しむ人は多くいることになるが、それをどうするかが明確でない

  • 関係性を重視したシンのキャラクターを自分が受け入れられない

戦争で苦しむ一般大衆をどうするかが分からない

まず1点目ですが、SNSに以下のポストをしました。これが自分の言いたいことです。

アルテミス内でイングリットがラクスに、戦争で苦しんでいる人々がいるのにそれを無視するのか、的なことを言っててそれに明確に回答はしてないと思ってる。(あなたはどうしたいの?と変化球返されてたけど)
結局、C.E.で戦争は無くならずコンパスは戦い続ける。けど明確に違うのはキララクには平和を求めて戦い続ける揺るぎない決意ができた、という状態なわけだけど、イングリットの言ってた通りその他大勢の人々が苦しみ続けるのはまた事実だと思う。
そこには暗黙の肯定をしてるのかな。
人が自由に生きる以上、闘争は避けられないのか。

初見ではまあそれでいいかと思ってたんだけど、何回か見てて何か辛い気持ちになってくる。

なにかを変える時、みんな身内を優先する。
例えば教育無償化が議論されてるとき、貰う権利のない世帯、既に権利を失った世帯は怒って反対するとか、そういうことを言いたい。社会全体として見れば益になることでも反発がある。
それで断念や妥協案を出すとしたら、それは適所適材の道を捨てて、「みんなで苦しむ」ということになる。
コンパスのあゆむ道はそれと同じではということを言いたい。

(以下略)

https://bsky.app/profile/suibari-cha.bsky.social/post/3kl4r5npc2u26

「戦争で苦しむ一般の人々をどうするか」について、キラとラクスの考えなどをエピローグで語られていれば腑に落ちるのですが、作中では問題提起のみであとは愛で何とかするというスタンスに聞こえました。

そこが語られていないとなると、自分は「みんなで苦しむ」世界より、そこに根本的な対策を打つ世界を望んでしまいます。
作中のデスティニープランも全面的に肯定するわけではありませんが、世界が少しでもましになるならそれもありかと思ってしまいます。
作中のテーマとは相反する考え方をしてしまってるのですがね…。

シンの新しいキャラクターを受け入れられない

2点目ですが、シンのキャラクターを正直受け入れられていないのです。

自分はDESTINYのメディアミックス含めて、迷い苦しみながら戦うシンの姿が好きでした。
一番好きなセリフは、「戦争のない世界以上に平和な世界なんて、あるはずがない」です。(原作ではなくボンボン版ですが…)

FREEDOMではシンはキラを尊敬してやまない、純粋無垢な少年のように描かれています。
ヤマト隊長大好きで、DESTINYとは対照的にほかのキャラクターに突っかかる様子もありません(アスランを除いて…笑)。

自分は、どうしてあれほど対立していたキラを慕っており、戦争に対して葛藤を抱えなくなったのか理由を描写してほしいです。
これはFINAL PLUSで憑き物が落ちたという考えが一般的だと思いますが、自分は多分そこについていけていないのです。

ガンダム00でも描かれていましたが、「戦争をなくすために武力を行使するのは、存在自体が矛盾している」という考え方もあります。
※ただ、キラとラクスは何も完全なる戦争根絶を考えているわけではなく、自分の身内だけでも幸せになるよう戦っていく、というスタンスだと解釈しています。そこがソレスタルビーイングとの違いだと思います。閑話休題。

いずれにせよシンは、戦争を止めるために戦争を行い続けること、そこに葛藤を抱かないのでしょうか?

さらに、シンがこの新しいキャラクターでSNS上で爆発的な人気を獲得し、たくさんのイラストが描かれているのもつらいです。
自分はFREEDOM公開後、イラストを描けていません。
生まれて初めて、いわゆる「解釈違い」的な考え方に遭遇してしまった気がします。
もちろん、公式が間違ってるとかは一切思っていません。間違っているのは絶対的に自分です。だからこそ辛いです。

あと持論ですが、FREEDOMシンは「関係性」を重視したキャラクターになった感じがします。
関係性を重視するというのは、設定が先行しているということです。キラを慕い、アスランには噛みつき、細かいことは気にせずもぐもぐご飯を食べるみたいな、キャラクター設定が先に存在していて、何をするか/したか(ストーリー)はあまり重視されないということです。
関係性がはっきりしていた方が、女性にはヒットする気がします。また、二次創作がしやすいです。総じて大衆に受けることになります。
他に関係性重視のキャラクターというとSEEDシリーズではイザークがいると思っています。

自分はキャラクターの行動を重視します。関係性は後からついてくるものだと思っています。
関係性を重視したキャラクターは、非常に冷たい言い方をすると、動かしやすい人形のように見える時があります。
自分の好きだったキャラクターがそうなっている感じがして、苦しさがあります。

総じて、観れば観るほど、自分が抱える辛さが増幅していく感じがします。

おわりに

以上、自分の感想でした。

SEEDシリーズ大好きで、100%波に乗り切れてはいない、こんなやつもいるんだくらいに思ってください。

議論歓迎なので、なにかご意見ありましたらぜひnoteのコメント欄でも、SNSでもコメントください。

ありがとうございました。

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