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フィジー留学体験記①

閲覧ありがとうございます、三隅と申します。

普段は大学生をしているのですが、実はわたくし昨年の夏休みに「フィジー」という国で2週間ほど語学留学をしておりました。

(2週間で何が変わるねんというツッコミの声が聞こえてまいりますが、そこは一旦置いておきましょう)


長ったらしい前置きは辞めてさっさと本題に入りたいとは思うのですが、これは実際に書いていた日記をベースに作成しています。

なので若干グダったり、おい今の絶対伏線やろ!っていうところをフツーにスルーしたりもします。悪しからず。

留学を考えてる、フィジーに興味のある方の参考に少しでもなれば幸いです^^


サンセットinフィジー…



9/1【1日目】

いよいよフィジーに向かう日の朝。しかし実感が沸かない。

最近はずっとそうだが、あまり眠れなかったため6時くらいに起きた。

最終のパッキングや掃除をしながらフィジーのことを考える。


なんで私が、中学2年生2学期の中間テストで英語25点を叩き出したこの私が留学なんて大それた行為を思いついたのか。
それは1冊の本が原因だった。

図書館で何気なく手に取った、



「世界でいちばん幸せな国フィジーの世界でいちばん非常識な幸福論」



という本。

これを読み、私はこの国に興味を持つようになった。


出典:https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784902097986


なぜならその時、私は幸せじゃなかったからだ。


コロナ渦入学し休学し、収まった頃に復学した結果、私はまっったく馴染むことができなかった。

地元から遠く離れた県での慣れない一人暮らし。バイトはスーパーのお惣菜作成。
気づけば今日一日誰とも喋っていないなんてこともザラだった。

そんなときに見つけた、幸せそうな島の住民達に憧れを抱いた。


しかし、私は衝撃の事実を知る。


この島ではかつて食人が行われていた。


しかも遠い昔の話ではなく、19世紀ごろまで実際に行われていた。(1867年にイギリス人宣教師が被害にあったという記録も残されている)



出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0



そういった恐ろしい行為があった国が、どうして急に世界一幸せな国になったんだろう。

一度気になりだすと頭から離れなくなってしまった。

そして気がついたらフィジー留学の相談会に参加しており、申込みしてしまっていた。







筆者は実は、日本を出たことがない。

それなのに急にフィジーって大丈夫だろうか。でも休学中の旅館住み込みバイトで金はある。


まあええや、やってみよう!の精神で当日を迎えたのだった。




バスに乗り松山空港に向かう。

和やかな町の風景を見ながら、本当にいいところだよなあなんて思う。

いい町なのに馴染めない自分が辛かった。



松山空港から成田空港に向かう。

成田はデカかった。松山空港の5倍はあった。月もやたらとデカかった。



飛行機に乗ると、フィジー人の乗務員さんが迎えてくれた。頭に花を刺していて可愛かった。



しかし、離陸後しばらくしてから入国カードを渡された。どうやら降りるまでに書かねばならぬようだ。







えーっ、筆記用具もパスポートも上の荷物の中なんだけど。

隣の人が早めにトイレに行ってくれたからすぐ取れたけど、書くものあるんなら先に言ってもらわないと困るわ。







ぶつぶつ文句を(頭の中で)言っていると機内食が出てきた。

機内食はめっちゃ美味かった。特にチョコレートムースが良かった。

食べかけに見える?それは幻覚です




夕食後飲み物を貰おうと乗務員さんに声をかけた。

「ウォーター、ワン」とガッチガチの声で話してしまった。

仮にもこれから留学するのに先が思いやられる。がんばろう...




〇分かったこと〇

・座席は通路側を選ぶ(出入りしにくい)

・茶水は乗る前に飲んでおく(ペットボトル持ち込めないしってケチったら機内でそんな貰えなくて喉乾く、死ぬ)

・入国カード書くための筆記用具、パスポート、チケットは手元においておく



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