冬山惨澹として眠るが如し《翠曜日》vol.25
唐突ですが、これ読めますか?
姫²
じゃあこれは?
城²
さっき知ってわくわくしたことを我が物顔でそのまま横流し共有しております
ユーモアたっぷりの日本語、これの読みは「ひめじじょう」の「にじょうじょう」いや天才か!なんで2個も思いつくの笑
必死に捻ってなんかこれっぽいのないかなーと考えてみて、絞り出したのはこれ笑笑
インショ。(飲食店)
インショってなんやねん!美しさに欠ける!
5÷ (いつわる)
伝わらなすぎる笑笑笑
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どんなものあれ、時代によって概念は変化して当然なのだが、日々の生活でそれを意識しながら生きることは少ない。昨年受けた授業で、「旅」は昔と今とでは捉え方が大きく変わっているという話がされたことがあった。今の時代の捉え方を当たり前だと思って、昔から変わらないものだと思い込むのは視野の狭い考え方だと思うので、他の事例においても、時代や地域での差異まで考えが及ぶようになりたいと思う。
中世において、風景は旅の醍醐味ではなかったという。とても驚いたが、昔の旅はほとんどが徒歩だ。横を見れば美しい景色が通り過ぎてく…とかはない。今の自分に置き換えて考えてみると、新幹線に乗っている時は疲れもしない暇な時間なので、外を楽しむ余裕があるが、家から駅に向かうただの経路においては景色を楽しもうというマインドはあまりないな、と納得した。
郭熙の山水訓
春山淡治にして笑うが如く、
夏山蒼翠として滴るが如し
秋山明浄にして粧うが如く、
冬山惨澹として眠るが如し。
粧う…よそおう、と読む。山を擬人化した独特の表現。
この郭熙は北宋の人なので、11世紀ごろには山は風景として親しまれていたと言えるだろうか。
宮廷画家の中でも、お金より芸術そのものの価値を大切にする異端な考えの持ち主だったようだ。山に関する多様な季語は、有名な俳人も好んで使っていたようで、小林一茶も「君が世や風治りて山ねむる」を1792年(寛政4年)に詠んでいる。
というわけで
今日はそこそこ暖かいはずなのにそう言われすぎていたからか普通に寒かった
暑くなってもなぁと思って、ヒートテックじゃなくてキャミソールにしたから、そのせい。
旅テーマはだいぶ前の下書きの有効活用で、大学風に言えば【越境】的なテーマと繋がってくる気がしてて、個人的には舞台、特にお芝居ではなくダンスや音楽のもので「旅」が出来るかってことを今度一旦みんなで考えたくて🚙⚯(絶対伝わってないここふざけるとこじゃない)違う、私が考えたくて。だから気が向いたらここにはたくさん追記する
1月もう終わったけどこの調子で残り11回過ごすとなんと2025!絶対にこの調子で過ごすもんか…
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