20210830のメッセージ
20時の夕拝中に、頭の中にメッセージが入ってきた。
『しょうがない。しょうがないんだ。』
『お前はわかっていたんだろう?』
『ただ、お前は素直に行くんだろう?』
『じゃあ、それでいいんだ。』
『わからないやつは置いていくしかないんだ。』
『辛くても耐えるんだ。』
『もう後戻りできないから。』
『しっかりお前が子どもたちの道標になるんだ。』
『もっともっと世界は偏る。』
塔子「10月にしっかりご参拝させて頂きます。」
『そうしてくれ』
塔子「10月に御参拝のお許しを頂けます様に、御守護よろしくお願い致します。」
『わかった。』
以上が、メッセージ内容である。
打たない、と言っていた人たちがどんどん打ち始めた。
本人からも聞けば、又聞きすることも。
打つ、打たないが分断を生むならば、
「もう少し様子をみたい」で良いのではないだろうか。
10月の御参拝場所と順序を決めた日にメッセージを頂くということは、自分の決めたことに責任を持って行動する。
我を捨て、執着をせず。
私は1人だが一人ではない。
惟神の精神で。
主のままに、素直に、ありのままに。
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