26年越しの開封:広末涼子「MajiでKoiする5秒前」
広末涼子さんについて語りたい!
あの頃の「初期衝動」のまま、猛烈に語りたい!
語りたぁああ"あ"あ"い!
■未開封だった「MajiでKoiする5秒前」を開封する
今年の2月4日と5日、実家の広島県へ帰りました。
実家が老朽化し、近々引っ越しをするらしく、昨年末に「自分の部屋を片づけに来なさい。来なければ部屋の物は全部捨てるぞ」と親から脅しの連絡があったので、実家に残してある広末涼子グッズを助けに行くため、私はノコノコと帰ったわけです。
で、持ち帰った広末涼子グッズの中に、広末涼子さんが歌手としてリリースしたCD、それにVHS (!) もありました。
そして、過去の私は、それらを「未開封のまま」にしていました。
「聴く用」「保存用」みたいに複数枚買ってたわけではないです。
田舎の中学生だった私が、お小遣いで買えるのは1枚だけ。
その1枚が「大事過ぎて」開封せずにとってあったわけです。
そして、有識者の方ならば、↑の写真の中に「MajiでKoiする5秒前」のCDがないことにお気付きと思います。
「MajiでKoiする5秒前」は。。。
買ったときの袋すら開封してませんでした。
美しいものを美しいままで。過去の自分よ、分かるぞ、その気持ち。
で、よく見ると。。。
初回購入者特典の何かなんだろうけど、今回初めて気付きましたよ、マジで。
一体、何が入っているのか?
。。。開けます。
入っていたのはCDの他に、特製プラスチックカードと、レコーディング風景の生写真でした。
注目したいのが裏ジャケ。すごく良い写真です。あえて白黒。よく見ると、裏ジャケではカップリング曲「とまどい」の方が表題曲「MajiでKoiする5秒前」より上に、大きく強調されていることが分かります。
あぁ、こんな素敵な裏ジャケと特典が入っていたんだなぁ (遠い目) 。
CD本体は「未開封のまま」なので、完全な開封ではないけれど、今回はここまで。
というか、もうずっと「未開封のまま」大事にしていくことに決めたので、これらのCD、VHSについては、私の葬式で流していただきたい (真顔) 。
■「広末涼子、ポケベルはじめる」の、地域性
というわけで、開封は終わったのですが、まだまだ語りたいので、「もう少し付き合っても良いよ」という方や、「開封以外の話もウェルカム」な方、続きも読んでいただけると嬉しいです。
おおっ、読んでいただけるのですね。
ありがとうございます!
良いことがありますように。
そもそも、私が広末涼子さんのファンになったのはヤングジャンプのグラビアがきっかけでした。
アイドル史的に、広末涼子さんブレイクのきっかけは、1996年2月に始まったNTT DoCoMoのポケベルのCM「広末涼子、ポケベルはじめる」からなのですが、広島県では、そのCMが流れてなかったんですよ。
広島県は当時「NTT DoCoMo中国」の配下にあり、広末涼子さんが出演していない、全然別のCMが流れていました。
すなわち、あの頃のNTT DoCoMoとは、実質的に「NTT DoCoMo関東 (一部甲信越地域含む) 」であり、「広末涼子、ポケベルはじめる」のCMも、基本的に関東地方でしか流れていませんでした。
YouTubeもない時代、言わば、広末涼子さんは関東のローカルアイドルだったのです。
1996年、春先に関東ローカルのCMで火がついた広末涼子さんの人気は、瞬く間に全国区になり、夏には田舎の中学生だった私も、そのビッグウェーブに飲み込まれたのでありました。
1996年8月10日 (土) 。中学二年生だった私は、広末涼子さんが表紙のヤングジャンプを買いました。
それは私にとって、初めての「青年誌を買う」という体験でもありました。週刊少年ジャンプ (少年誌) は毎週買っていましたが、グラビアが載っている「青年誌を買う」ハードルは、田舎の中学生には高かったんですよ。
大人の階段登りました。
■広末涼子「とまどい」が鳴り止まない
で、今年の2月。
実家に帰り、部屋を片づけ、懐かしいヤングジャンプを回収した後、久しぶりに地元の町を歩きました。
実家はもうすぐ全然違う町へ引っ越すので「この町を歩くのも最後かぁ〜」なんて思いながら散策すると、思い出があちこちでフラッシュバック。
何度も「あ”あ”あ”ー! ここ! ここ!」って、大声で叫んでました (心の中で) 。ちなみに、思い出した中の1つが寺田事件。
そして、私の頭の中では、ず~~~っと広末涼子さんの「とまどい」が鳴りっぱなしでした。
先ほど少し触れましたが、「とまどい」は、1997年に歌手デビューした広末涼子さんの1st シングル「MajiでKoiする5秒前」のカップリング曲です。
明るくポップでキラキラな表題曲とは好対照な、竹内まりやさん作詞作曲の美しいバラード。
歌詞の概要は、思春期を迎えたことで、幼なじみの「あなた」との間に、目に見えない「距離」ができてしまった。できることなら、あの「夏休み」に戻って、手をつないで笑い合っていたい。そんな内容です。
若干16歳の広末涼子さんに、歌の中で、あえて「昔」を回想させる、ノスタルジックな良作です。
ふーん、そんな曲あるんだ、と思った方は是非聴いてみてね。
■よみがえった「広末涼子のがんばらナイト」
今回、広島県へ帰った1番の収穫は、毎週水曜日23:25からやっていたラジオ番組「広末涼子のがんばらナイト」を録音したカセットテープが多数見つかったことです。
その中に、水曜日の通常回とは別の、スペシャル回もありました。
1997年4月20日 (日) 夜20:00から放送された、広末涼子歌手デビュー記念スペシャル回。
実は、このスペシャル回も、広島県では放送されていませんでした。
当日の朝、新聞のラジオ欄でそのことが分かり、東京に住む親戚に録音をお願いして、後日カセットテープを送ってもらい、何とか聴くことができた思い出の回です。
そのスペシャル回で、広末涼子さんが、こんな話をする場面がありました。
「私は今、ずっと夢見てた芸能活動をさせていただいてて、それがきっかけで地元高知を離れています。
(中略)今夜は、そのときを振り返って、ある1人の男の子に向けて、手紙を読もうと思います」
トップアイドルが公共の電波を使って、"私信" です。
今だったら「その男、どいつだー」って、特定祭りで炎上でしょう (「推し、燃ゆ」です) 。
スマホもSNSもなかった、1997年だから成立した企画ですね。
で、読まれた手紙が。。。めちゃくちゃ良かった。
地元高知県に残した、幼なじみの男の子へ向けて
「夢は見つかりましたか?」
「何かに一生懸命になってるとき、カッコ良かった」
「お互いがんばりましょう」
というメッセージ。
そして、番組では続けて、あの「とまどい」が流れました。
あああ。
26年ぶりに聴き返したスペシャル回、おっさんは、この場面で完っ全に「高知の幼なじみの男の子」になってました。
「お久しぶりです」
「だらだら、毎日平々凡々と暮らしてんじゃないのかな」
「そんでは、またね。バイバイ」
始まりから最後まで、全部の言葉がぶっ刺さりすぎて、もう号泣。
おっさんは、日常に堕落した生き物です。
生きることは、堕落すること©坂口安吾「堕落論」
なんというか、このスペシャル回もそうですが「広島県にいると聴けない番組がある (観られないテレビ番組やCMも多々ありました) 。東京に行きたい!」
中学〜高校と、そんなことをずっと思っていました。それが自分の原点だったことを思い出しました。
そんで、広末涼子さんを追いかけて、聖地巡礼で早稲田大学を受験し、とんでもない目にあった話は、ほくゆさん (※) のポッドキャストで話したのでここでは割愛。
ちなみに、ブレイクのきっかけとなる「広末涼子、ポケベルはじめる」というテレビCMが始まった月:1996年2月1日の新聞には、こんな大きな広告が載ったそうです。
これが、全国区への原点。
最後に。
2002年春、私は、もろもろの夢が叶って上京し、住民票も東京に移します。
そして、広末涼子さんが歌手デビューして20年後の、2017年1月9日 (月・祝) 。
池袋サンシャインシティ噴水広場で、「MajiでKoiする5秒前」をオマージュした歌詞を歌うアイドルグループを好きになりました。
マジでなんちゃら5秒前©ばってん少女隊「ばってん少女。」
堕落したおっさんの心に、あの頃のみずみずしい気持ちを思い出させてくれる、素晴らしいアイドルグループです。
が、しかし!
そのアイドルグループは、九州・福岡を拠点に活動するローカルアイドルで、九州ローカルの番組出演、ライブ開催のたびに「東京に住んでて観られない!」と、余計な所まで昔と同じことを繰り返すようになります!
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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