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◇今月の隊員さん◇ 第85回:好々爺Qさん

【プロフィール】--------------------------
男性、60代、職業:新聞記者、東京都在住 (出身は福岡県)
ツイッター●https://twitter.com/kokoya9
隊員歴●2017年6月から
主なアイドル遍歴●榊原郁恵、松田聖子、岡田有希子、広末涼子、綾瀬はるか、私立恵比寿中学など多数
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 好々爺Q (こうこうや・きゅー) さんは、東京都在住、62歳の男性隊員。note (※1) にて、数多くのアイドルについての記事を書いており、中でもばってん少女隊と私立恵比寿中学が、現在の推しグループだ。
 1960年生まれで、現代のような「アイドル」が日本に誕生した1970年代 (※2) から、長年に渡りアイドルを愛し続けてきた彼に、その思いを語ってもらった。 

※1 記事掲載時はLINE BLOGだったが、サービス終了に伴い、現在は過去記事を含めてnoteに完全移行済 (2023年 7.1追記) 。

※2 アイドルの系譜は、1971年デビューの南沙織さんを起点として論じるものが多い。例として、中森明夫『アイドルにっぽん』(新潮社、2007年) 、香月孝史『「アイドル」の読み方』(青弓社、2014年) 、さやわか『僕たちとアイドルの時代』(星海社新書、2015年) など。


■ばってん少女隊との出逢い

 noteばってん少女隊私立恵比寿中学など、好きなアイドルについてのブログを書いている、好々爺Qと申します。
 ばってん少女隊については、2017年にリリースされた、1stアルバム「ますとばい」の頃から応援しています。
 もともとアイドルについては1970年代、10代の頃から好きでした。ただ、少しの間、アイドルから離れていた時期があって、AKB48とか坂道グループが出てきたときはほとんど興味がなかったんですよ。
 一方で、娘が私立恵比寿中学を好きだったんです。2017年、メンバーの松野莉奈さんが急逝され、娘がすごく落ち込んでて。だけどある日、落ち込んでいたはずの娘が、リビングでテレビを観ながらゲラゲラ笑ってるんですね。観ていたのは私立恵比寿中学の舞台「エクストラショットノンホイップキャラメルプディングマキアート」でした。
 なんとなく横で一緒に観ていたら、これが本当に面白い舞台で、このグループはただ者じゃないなと思って。眠っていたアイドル熱が再燃していき、ブログを始めて、私立恵比寿中学にどんどんハマっていったんですよね。

 そこから姉妹グループのばってん少女隊の存在を知りました。色々調べたら、ちょうど6月に1stアルバム「ますとばい」がリリースされる時期で、聴いてみたらすごく良くて。
 アイドルなのにスカというジャンルの楽曲が新鮮だった上に、我が故郷、福岡のアイドルグループ。これは応援せないかんばい、という気持ちで、ばってん少女隊私立恵比寿中学とを、並行して推していくことにしたんです。


■そらら推しは永遠です

 ばってん少女隊の初現場は「ますとばい」購入者限定のシークレットライブです。「ますとばい」に封入されている応募券で当たった人だけが観られるライブでした。
 東京と福岡で1回ずつあって、現在、私は単身赴任で東京に住んでるんですけど、当時は福岡に住んでいたので、福岡会場 (2017年 7.17@ベイサイドプレイス博多) に行きました。
 6人が一生懸命「ますとばい」全曲を披露する、思い出深いライブでしたね。
 特に、最後にメンバー全員がお見送りハイタッチをしてくれたのが、私にとって人生初めての、アイドルとの “接触” でした。AKB48が「会いに行けるアイドル」というコンセプトで売り出して、今では当たり前になってますけど、私が10代のころは、アイドルはテレビの中の人でしたので、直接ハイタッチして触れ合えるということに、もう本当にドキドキしたというか、衝撃でした。

 きいなちゃん (春乃きいな) は、私の妻と同じ長崎出身で、最近でもInstagramで妻の実家の最寄り駅 (JR千綿駅) で撮った写真をアップしてくれたりして、とても親近感を感じてます。ハイタッチのときに「うちの女房も長崎出身なんよ」と言ったら、「え〜、本当ですかぁ〜!?」と反応してくれたのが嬉しかったですね。

 地元のアイドルの良さは、その辺を歩いていたらフッとすれ違うかもしれない。そんなアイドルって、私には人生初めての経験なわけですから、それがばってん少女隊を推そうと思った最大の要因ですね。

 それから色々なイベントに行くうちに、そらら (星野蒼良) の、なんというか、あまり表には出さないけれど、常にどこかに「自分」を持っている感じが良いなと思ったんですね。
 私自身の性格にも通じるものがあって、それから彼女が卒業するまでの約4年間は、そらら推しでした。
 そららが卒業するときは、ばってん少女隊は今後どうなってしまうんだろう、と思っていましたが、りるあちゃん (蒼井りるあ) 美舞ちゃん (柳美舞) という、本当にすごい新メンバーが加入し、グループとしてさらにパワーアップする、奇跡みたいな進化を遂げてくれて。
 ただまぁ、私の中で、そらら推しは永遠です。


■アイドルを推す原体験〜郁恵ピーターパン〜

 今振り返ると、「推す」という行動を、初めてしたアイドルは榊原郁恵さんでした。
 ホリプロタレントスカウトキャラバンの第1回目の優勝者で、アイドル雑誌「明星」に彼女の芸名募集のページが載っていて、「あ、可愛い女の子だな」と思ったのが出逢いです。
 プロフィールを見ると、学年は彼女が一つ上なんですけど、誕生日が私と同じ5月。親近感を覚えて、それから毎号「明星」に彼女の情報が載ってないか気にするようになり、歌手デビューされてからは、毎年、1年間にシングルを4枚、アルバムを2枚という、きちっとしたペースでリリースされていくんですが、そのレコードを全部買って、カセットテープにダビングして聴いていました。
 あと、昔はとにかくテレビです。毎朝、新聞の番組表を隅々までチェックするわけですよ。特に歌番組。出演者に「榊原郁恵」とあれば大変です (笑) 。
 私が福岡の高校生だった1970年代、一般家庭には録画機能付きのビデオなんてまだ普及してなかったですから、もし観逃したら一生観ることができない (笑) 。
 そういう時代でしたから、テレビで榊原郁恵さんを観ることができた日は、もう本当に幸せな気持ちになれる、そんな感じでしたね。

 芸能界、テレビ好きが高じて、テレビや演劇、ラジオなどの番組制作スタッフを養成する専門学校に通うため、高校を卒業した1979年の春に東京に出てきました。翌年の春、1980年代を代表するアイドルになる松田聖子さんが歌手デビューし、同じ年の秋に、1970年代のトップアイドルだった山口百恵さんが引退される、そんな時代ですね。
 念願だった榊原郁恵さんのコンサートを観に行ったりしましたが、特に思い出深いのが、彼女が主役を務めた、ブロードウェイミュージカル「ピーターパン」です。
 1981年に始まり、現在まで2020年を除いて40年以上続いている、ホリプロ期待の若手タレントが起用されるミュージカルで、有名なところでは高畑充希さんなどが歴代のピーターパンを務めています。
 榊原郁恵さんは、その初代ピーターパン。1981年は8月2日から30日まで合計50回上演されたんですが、私はアルバイト代を全部つぎ込んで14回観に行きました。
 会場は、今はなき新宿コマ劇場です。榊原郁恵さんのピーターパンは生き生きとしていて本当に素晴らしかったし、おまけに音楽は生演奏でした。舞台のすぐ下にオーケストラが待機していて、そこで生演奏ですよ。

 1番の思い出は。。。これはネタバレを含むので、知りたくない方は次の章まで読み飛ばしてください。今でもやっている演出です。
 ミュージカルの最後、演劇が終わるとカーテンコールがありますよね。出演者が横並びになって観客席にお辞儀をし、お客さんたちは拍手喝采で迎えます。
 で。。。ミュージカル「ピーターパン」の最大の見せどころは「フライング」という、ピーターパンが宙に浮いて飛ぶシーンなんですけど、演劇中は「横移動」だけ、つまり、ステージ上のエリア内を飛んで移動するだけなんです。
 ところが、演劇が終わって、カーテンコールで観客席に向かってお辞儀をした後。。。ピーターパンが「前へ」、ステージを飛び出て、観客席の上へ飛んできてくれるんです。
 テレビや雑誌の中の、”向こう側の世界” にいた榊原郁恵さんが、本当に目の前に、手を伸ばせば届くんじゃないかと思うくらい、私たちの近くまで、ふわりと飛んできてくれるんですよ。
 あの光景は、一生忘れないと思います。

『ピーターパン』 日本上演40周年記念映像/0:29〜から郁恵ピーターパンの映像があり、1:52〜からカーテンコールでお客さんの上へ飛んでくるシーンがあります。


■書きかけで終わった、過去のブログ

 東京にいたころは、そんな風にアイドルのコンサートや舞台をよく観に行ってましたけど、ずっと "おひとりさま"でした。一人で会場へ向かい、帰り道「楽しかったなぁ」という思いを噛みしめて、一人でその日を終える。
 当時は、アイドルファンだと言えば「何をそんなものにうつつを抜かしてるんだ」っていう風に思われるのが普通の時代でしたから、知り合いにバレるとまずいみたいな、そんな雰囲気でしたね。
 だから、アイドルは一人で密かに楽しむものでした。
 専門学校を卒業した後は、東京の映像制作会社に就職したんですけど、営業部署に配属されまして、制作現場には全く携われず、営業の成績も。。。自分にあってなかったというか、苦労しましたね。それで、27歳になる年に会社を辞めて、福岡へ帰って来ました。
 福岡では喫茶店の雇われマスターのような仕事もしてたんですけど、本を読んだり、文章を書くのが好きだったこともあり、30代半ばで、とある業界新聞の記者募集の試験を受けたところ、幸運にも採用していただきました。収入的にも安定したタイミングで結婚し、長男、長女、そして次男と三人の子宝に恵まれて現在に至ります。
 人生、山あり谷あり、色々ありましたね。

 その間も、アイドルはずっと好きでしたけど、今のように現場へ行ったり、アイドルについて文章を書くということはほぼありませんでした。
 1回だけ、今やっているブログとは全然別のブログで「私の青春時代のアイドル:榊原郁恵さんについて、今度じっくり書きたいと思う」という、予告記事を書いたことがあったんです。もう10年以上も前のことですが。
 そしたら「いい大人が、何を書いているんだ。そんなことしてる暇なんかねえだろ。いいかげんにしろ」みたいなニュアンスのコメントを頂戴してしまいまして。その言葉が、氷の刃のように刺さったというか、すごくショックを受けてしまったんですね。
 話が少しずれるかもしれませんが、後にアイドル現場に通うようになってお逢いする、「今月の隊員さん」にも登場された、hiroyukiさん (Twitterアカウント名:一途なDDさん ※) 。彼は私より一つ年上のアイドルファンで、「言いたい奴には言わせておけ。好きなものは好きなんだ」というスタンスで、長年に渡り、アイドルについての思いをブログで綴られていましたが、当時の私は、hiroyukiさんのようには、なれませんでした。
 結局、榊原郁恵さんについての記事も書く気力を失ってしまい、時代はAKB48などがブレイクして「アイドル戦国時代」と言われるようになっていくんですけれど、私自身は、そこに乗れず、アイドルから距離を置くようになりました。

※◇今月の隊員さん◇第20回:一途なDDさん
https://suhaigenba.blog.fc2.com/blog-entry-147.html


■アイドル現場で逢いましょう

 2017年、松野莉奈さんの訃報と、娘が観ていた私立恵比寿中学の舞台をきっかけに再びアイドルにハマっていったという話は、最初にお話しましたが、昔とは変わったことがいくつかあります。
 アイドルについてブログを書くようになったこと、アイドルに会いにいくようになったこと、そして、現場仲間ができたことです。

 松野莉奈さんの訃報を聞いたときに、真っ先に思い出したのが岡田有希子さんのことでした。1986年に、その短い命を絶ち、私たちの前から突然いなくなったアイドルです。
 ブログでも書いたことがあります。

1986年4月8日。ユッコは自らその短い命を絶ち、私たちの前から突然いなくなってしまいました。

その後は、その娘の歌を聴くことはもちろん、テレビの歌番組を観るのも辛くて遠ざけていました。

亡くなる直前に発売されていたレコードのジャケットを見て「どことなく笑顔がぎこちないな」と感じていたことが「悪い予感」だったと気付いた時にも、何も出来なかった遠くの一ファンであった自分が悔しくて仕方なかった。

<中略>

そこに、娘がファンだったエビ中のメンバーが急死したというニュースが入り、改めて昔ファンだったいまは亡きアイドル歌手が私の目の前に蘇って来たのです。

「だから何?」

といわれるかも知れませんが、りななんのことがあってからのこの3カ月ちょっとの間で、分かったことが一つあります。

それは、31年前に亡くなったアイドル歌手も、私の心の中で確実に生き続けていたということです。

note/好々爺Q/2017年5月16日

 ブログを書き始めた理由は、それまでずっと、アイドルについての思いを自分の中で閉じ込めていましたが、松野莉奈さんのことがあって、どう感じたか、そしてこれからどうしていきたいか、私は本当は、こう思っているんだっていうのを書かずにいられなかったんですね。
 今はつらいかもしれないけれども、松野莉奈さんのことを「忘れないでいる」ことで、みなさんの心の中で、彼女は生き続けます。だから、なんていうかな。。。メンバーは何年か後にはきっと強くなれるだろうし、乗り越えていってくださいみたいなことを伝えたかったわけです。
 私立恵比寿中学と、そのファンの方を含めて、みんなを応援したかったということです。

 ブログを書いたことで、共感のコメントをくださった方々と現場でお逢いして、現場仲間もできました。最初にブログをフォローしてくれた方たちとLINEグループを作っていて、そこで思いを共有したり、情報交換できているのはすごく楽しいですね!

 また、娘がね、就職して今は東京にいるんですけど、今年の7月の「虹ノ湊」のリリースイベント (2022年 7.9@ららぽーと立川立飛) へ一緒に行きまして。娘は私立恵比寿中学以外の接触イベントに行くのは初めてだったんですけど、やっぱり色んなアイドルファンの方々と横でつながってるんですよ。
 娘の知り合いの方と推しのMカードを交換してもらったりとか、Twitterのアカウントを交換しあって、一緒に写真を撮ったり。「エビ中ばっしょー部」というグループを作って、また新しい仲間が増えました。
 同じものが好き同士で、つながりが広がるというのは、昔の私からは考えられない「推し方」というんですかね。みんなで好きなアイドルのことを語りあって交流できる、今の時代というのは、本当に良い時代だと思いますよ。
 2017年にまたアイドルを好きになったことで、青春時代を思い出させてくれた。。。というよりは、新しい青春が、また始まった、という感じですね。
 ちなみに、現在の推しは蒼井りるあちゃんです。彼女を観ていると「人生の春」を感じます。

 新規隊員さんにお伝えしたいことは。。。自分の「好き」という気持ちを隠さないでほしいです。そして、知りたいと思ったらどんどん知ってほしいと思います。ばってん少女隊のみんなも、本当に色んな歴史を乗り越えてきて今があるので、その歴史を知れば知るほど、もっともっと「好き」になるんじゃないかと思います。
 これからも現場へ通い続けます。みなさん、アイドル現場でお逢いしましょう。





【隊員さん募集】
 当ブログではお話を聞かせてくれる隊員の方 (18歳、高校卒業以上) を募集しています。
 特別なエピソードは必要ありません。「ありのまま」で大丈夫です。
 接触厨も楽曲派もOK。楽しみ方は人それぞれ。(でも周りの迷惑には気をつけてね)
 DDの方も“隊員の日”があるなら立派な隊員です。
 ご協力いただける方は
https://twitter.com/SuhaiGenba までDMでご連絡ください。


<「今月の隊員さん」について>
 この企画は、タワレコオンラインで連載されていた「アイドルのいる暮らし」へのリスペクトをこめたパクリ企画です。
 福岡県のローカルアイドル・ばってん少女隊のファン (通称:隊員) にはどんな人がいるのか?
 どんなきっかけで隊員になったか、普段はどんな生活をしているのか。
 「風変わりな人」として伝えられがちなアイドルファンの姿を、もっと真っ当に伝えたくて、隊員の方にガチでインタビューしています。


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