ごめんねともだち。

絵本が好きだ。

子供の頃から絵本が好きで、児童書が好きで、小説が好きだった。
暇な時は部屋で朝から晩まで、風呂に入ってる間も読んで親に怒られていた。


最近読んだ本でいいなと思った本がある。
「ごめんね ともだち。」

オオカミとキツネが主役のともだちシリーズの1つで
キツネと遊んでいたオオカミが、自分が勝てないことをキツネのせいにするところから始まり、2人は大喧嘩、お互い仲直りしたいと思っていても素直になれずに……という話。


オオカミは不器用である意味まっすぐなのだが、この本ではキツネをインチキ呼ばわりしたり、自分からごめんねと言い出せなかったりと読む人にとっては悪いところばかり目立つ。

逆にキツネは、いんちき呼ばわりされても自分が言ってしまった悪口を気にしたり、自分が謝れば解決したのにと悩んだり、オオカミに邪険にされているのに関わらず、オオカミのことを大切に思っていて優しい。(ここら辺のキツネの思いは、シリーズ第1冊目のともだちやを読めばわかるかもしれない)


お互いに寂しさを心に抱きながら、ふとしたきっかけで仲直りするのだが、私は読んでいてポロポロと泣いてしまった。


子供の頃は、けんかしたり仲違いしてもごめんねと謝って、元通りになれた。
友達のままでいることが出来た。

だが大人になると、けんかしたり仲違いしてしまうと、簡単に元には戻れない。
一度でもけんかするともうこれっきりになったり、今まで通りにはいられなかったりする。

それは大人が悪いというわけではなく、世の中を生きる為に自分達が身につけた処世術だったり、自分に悪影響を及ぼすもの、嫌なものを遠ざけるためにしていることだったりする。
なので、それは仕方のないことだと思う。

それでも、子供の頃より他人に見切りをつけてしまうのが早くなってはいないかと思う。
誰かと繋がっているよりも、1人でいる方が気楽だし心地よい。
何かを乱されることも、嫌な思いをすることもない。
だから、嫌なことをされたら、嫌な思いをしたらすぐにさよならをする。

それが本当に必要な時もあるだろう。
自分に近づいてくる他人、仲良くして欲しそうにする人が全員善意だけの存在や友達になりたい人達ばかりではないのかもしれない。

でも、一度でもけんかした相手を許さずに、そのままにしてこれっきりにしていいのだろうか。
お互いの違いを認め合ったり、また共に許していくことは無理なのだろうか。
全部そんなに簡単に離してしまっていいのだろうか。

自分の心を守ること、大切にすること。
それはもちろん大事なことだ。
でも、自分を大切にすることは他人を蔑ろにすることではない。
自分も他人も大切にすることは、難しいけれど出来ることなんじゃないだろうか。

自分も他人も互いに助け合ったり、支え合ったりする部分がある。
一度、二度、三度?
何度でもいいのかもしれない。
自分も相手もお互いを必要としているのなら、
ごめんね。
そう言って、また始めてみることもあっていいんじゃないだろうか。

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