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埋もれた将棋名作ルポ『ライターの世界』(7)全7回

(作家湯川博士の埋もれた名作『ライターの世界』を掘り起こす、第7回)
 
 『ライターの世界』、全7回のうちの最終回。通常、最後というものにはなんとなく哀愁めいた感覚が沸く。「これで終わってしまうのかぁ」などと。しかし、これはまったく沸かない。早く終わらせて次のを紹介しなければ、という逸る気持ちばかりだ。湯川師匠の文章はそれほど多く、哀愁など沸かせているヒマはない。
 
 棋書というのは、ようは将棋というゲームの教科書だ。一般的な将棋の記事は棋士を紹介するものや、勝負(名人戦や竜王戦)の場面を描くものだろう。それらは将棋を知らない人でも読めるように書くが、棋書は将棋を詳しく知っている人に向けて書く。将棋の場合、この、棋書と一般向け記事の割合がスポーツとは違う。草野球をやっている人向けに書いた技術書は、そう多くない。野球に関する書籍や文章は、ほとんど一般人向けに書かれたものだ。
 
 その、棋書というものの変遷を、このルポではうまく追っている。湯川師匠の文章力もあるが、これに関してはいい具合に時期が当てはまったこともあるだろう。棋書の黎明期が、わりと直近なのだ。師匠がルポライターとして名を売り出した頃に、ちょうど時期が合っていた。
 
 棋書というのは、極端に言えばネタバラシだ。公開すればそれだけ、その技術を持つプロ棋士が損をすることになる。棋書に書いてあることをアマチュアが自力で発見するのは容易ではない。ぼくは覚えたての小学生の頃、振り飛車を指そうにも指せなかった。6六歩で角道を止めて7七で相手の飛車先の歩を交換させない。凡人であるぼくは、それを自力で発見できなかったからだ。振ったあとに、歩や角を交換されてめちゃくちゃにされた。
 
 これは極端に単純な例だが、しかしネタバラシはありがたみや神格化を消す。また自身の地位を下げる。だから、バイトの仕事手順から国家の軍事機密まで、隠しているのだ。まだロックンロールが世に出る前、ブルースマンたちはギターテクニックを見せまいとうしろを向いてライブをしていた。
 
 湯川師匠のルポ『ライターの世界』は、最後の章になる。

 中原シリーズを出版している版元の池田書店にも話を聞いた。
 
―― おたくは、大山、中原、谷川と名人ばかり出していますね。
「えぇ。おかげさまで」
―― 谷川名人の本は、名人自らが筆を執ったと評判ですが。
「えぇ。『スピード将棋』以下3冊出していますが、名人がお書きになっています。ライターの方と比べると、密度が濃いというか、やや難しいというか。程度は高いですね。ですから、中原・大山シリーズの読者が初段以下とすれば、谷川シリーズは初段以上ということになりましょうか」
―― 作り方で気をつけていること。
「手数を短く、同じページに必ず図面と解説が入るよう。読者対象はあくまで初中級クラスを中心に。いちばん数が多いようですから。でも谷川シリーズも売れてますから、これからは上級者層も頭に入れていかないと……。ウチでは校正は3校までやり、著者にもよーく目を通していただいています。ライターの取り扱いに関しては、著者とライターの側のことで、出版社が口を挟む問題ではないと思います。ウチではまだまだこのシリーズは出していく予定です。今の読者は、目が肥えていますから名前だけではダメです。しっかりしたいい本じゃないと、長生きできないでしょう」
 棋士で自分で書く人は少ないが、山田道美九段(故人)と加藤一二三九段は有名だ。若手では田丸昇七段が4冊出している。
「昔、鈴木英春さんたちと『棋悠』という同人誌をやりまして、あれから取材したり書いたりすることを覚えました。その後近代将棋の編集手伝いをしたのも大きな経験になりました」
―― 近代将棋の「駒とハンドバッグ」なんか面白かったですョ。ところで棋士の方は、原稿はしんどい、稽古で将棋指してた方がいいという方もいますが。
「私は逆でして、稽古は人間関係にけっこう気を使いますが、原稿は机に向かっていればいいのです。ウンウンうなって書くのが好きなんですよ」
―― 小学館発行の子供向けの本はけっこう売れているようですが、初級用はプロにとって難しいんじゃないでしょうか。
「書き手の棋力というより、編集的なセンスの問題でしょう。私も近代将棋で経験したのが、役に立っています」
 田丸さんのように、プロであっても編集感覚を身に付け、書くことが苦にならない人は貴重な存在であろう。面白いものを期待しています。
 ライターの世界も関さんの体験した草創期よりは、ずいぶん整理され、棋書も出せば売れる時代から中身の時代になってきた。他の分野から比べると地味な世界だが、ライターの方々には頑張っていただきたい。
 実はこのレポートを書くにあたってさしさわりもあると思い、匿名で書こうと思っていた。しかし、なにも隠すようなことではない。かえってそういう書き方をすると、棋書ライターを光の奥へ追いやってしまう恐れがある。より良い環境でいい仕事をしていただきたいという気持ちで、すべて本名で書かせてもらった。

 
 このルポは、こう締められている。ライターとも名乗っていない学生アルバイトが無記名で書き散らかした時代から、編集にまで目が行き届くプロ棋士が名前を出して発行する時代となっていく。それは時代の流れもある。ネタバラシ以上に、そのネタを金を出してでも買いたいという人がいなければ、商売にならない。高度成長期では、将棋の腕を上げるために金を出す一般人が多数いなかったのだろう。アマ強豪なら、棋書がなくても自分で定跡や手筋を発見できる。
 
 現在、棋書は一つの産業になり、棋書を専門にした版元もある。将棋ペンクラブ大賞では技術書部門が第19回からできて、いくつもの棋書を世に広めてきた。
 将棋の手は変化が多くて紙面ですべてを追いきれず、今後は紙の物ではなくなってしまうかもしれないが、今しばらくは練られた棋書が刊行されていくと思う。

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