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寝台急行『銀河』と、夜行大垣行き

 
 『ムーンライトながら』という列車が、廃止になるというニュースが目に入った。

 何度乗ったか分からない、思い出深い列車だ。ただ、この名前になってからは数えるほどしか乗っていない。こんなシャレた名前が付く前の、『大垣行き夜行列車』の頃にたくさん乗っていたのだ。
 
 
 小学校低学年の頃、どうしてもブルートレインに乗りたくて親にせがんだ。その願いに、親はとっても困った(はずだ)。とっても高価だし、それに時間も費やす。たとえば新幹線に乗りたいというのであれば、ある程度の区間を乗って帰ってくることができる。しかしブルートレインだと、少なくとも一夜明けて朝停まる駅まで乗らなければならない。常識的に考えて、東海道のブルートレインであれば広島くらいまでか。
 
 そこで窮余の策として考え出されたのが、寝台急行『銀河』だ。
 
 『銀河』であれば、東京―大阪間の列車なので、ブルートレインよりは折り返しが楽だ。しかも、急行なので多少は安い。問題は、急行なので、厳密にはブルートレインではない。
 
 しかし、寝台列車だったので、ぼくは急行と特急の違いなど気にせず、素直に喜んだ。土曜の昼過ぎに新幹線で東京を出て、大阪でいろいろ電車を見て、23時すぎに出る『銀河』で帰ってくるというスケジュールだった。その日のことは今でも覚えている。
 
 それ以来、『銀河』にはよく乗った。学生時代の鉄道旅行に、仕事の出張。自分が乗るだけでなく、友人知人にも勧めた。大阪や名古屋で一泊しなきゃならないなら、寝台に乗って帰ってきちゃえばいいじゃん。そう言って。名古屋発が深夜1時くらい。呑んで、列車に乗り込んでしっかり横になって眠れて、朝には東京に帰ってこられる。勧めたうちの何人かは、絶賛していた。
 
 大垣行は寝台ではなく、座席だ。初めて乗ったのが中学生のときだったと思う。週末なのに初めから座れたので、18きっぷの使用期間ではなかったはずだ。以前の大垣行は18きっぷ使用期間は、土曜の夜など小田原くらいまで座れなかった。
 
 高校、大学でも乗り、出張がある仕事だったので、仕事でも乗った。しかしあるとき、背中が痛くて名古屋に着くまでまったく眠れなかった。しかも寒い日で、名古屋で降りたあと、役所の開く時間まで寒気と眠気と痛みで苦しんだ。それ以降、乗らなくなってしまった。
 
 もうまったく付き合いがなくなってしまった大垣行。『銀河』の廃止のときほどではないが、こういうニュースに触れるのはやはり悲しい。痛みなんか気にしないで、使用し続けていたらよかったなぁと思うけど、それはあのときの痛みを忘れてしまった今だから、思えることなんだろう。

書き物が好きな人間なので、リアクションはどれも捻ったお礼文ですが、本心は素直にうれしいです。具体的に頂き物がある「サポート」だけは真面目に書こうと思いましたが、すみません、やはり捻ってあります。でも本心は、心から感謝しています。