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埋もれた将棋名作ルポ『泪橋のバラード』その2 (全7編)

 
 この連載の「その1」では、『泪橋のバラード』の舞台となった足立区を書いた。

 ぼくがこのルポを推すのは、読んで名作だからだが、その客観的な理由の他に、足立区に個人的な思い入れもあるからだ。人はなにかを「推す」とき、多くは個人的な思いも含めるものだ。
 
 足立区には親の菩提寺がある。親の兄弟がみんな青梅線沿線なのになぜ足立区に先祖の寺があるのか分からないが、このことで子どもの頃は、「先祖の寺というのは遠いところにあるのが普通」だと思っていた。
 
 春と秋には親戚何人かで墓参りに行くのが恒例行事だったが、小学生の頃、それが楽しみで楽しみで指折り数えたほどだった。大好きな「電車」に乗れるからだ。
 
 三鷹まで中央線に乗り、東西線に乗り換えて大手町まで。そして千代田線で足立区に向かった。東西線がL特急あずさと並走するのに興奮し、大手町の迷路状の通路で、この周辺にたくさんの地下鉄が走っているんだなぁと心ときめかせた。出かけるにあたって親戚のおばさんたちに配る手書きのパンフレットを毎度作ったが、あの頃から書くことが好きだったのだ。コピー機などなくても人数分作った。
 
 (その1)では小見出しに触れたが、今回(その2)からは、ルポの内容に入る。書き出しは、こうだ。
 

 「テツ夜OK、台東将棋クラブ」の案内広告は、前から知っていて頭のどこかにあった。住所と最寄駅から、クラブの場所も見当がついていた。
 5、6年前のことになるが、あの加賀敬冶さんとしゃべった時も、ここらしきクラブのことが出てきていた。
「……ワシがアマ名人獲ったころや。東京やら川崎やらに行きましてね。最後に金がなくなって、南千住の方の、小さなクラブに流れまして。それでも1ヶ月くらいはしのいでましたよ。……あのころはオモロかったなぁ。ワシも若かったしねェ」
 加賀さんは大学を中退して、将棋の道へ踏み込んだ人。強くて、「鬼の加賀」なんて言われていた。でも人柄は、シャイなかわいい憎めない人で、ま、最後には酒やらなんやらで、命を縮めたんですが。
 広告の、「テツ夜OK」という文字から、いろんな事を連想し、また場所柄からも、ドヤ街の真剣(賭け将棋)クラブというイメージを持っていた。そしていつか機会があったら行ってみようと、広告の切り抜きを、手帳の後に貼りつけておいた。

 
 誤字など、どうしても手直ししないと読みにくいという部分以外、原文ママだ。
 「入り」に鬼加賀を使うことで、将棋に詳しい人にこのクラブの雰囲気をなんとなく分からせる。プロ裸足の落語家で《芸名・仏家シャベル(ほっときゃ喋る)》、とくにマクラが上手い湯川博士師匠ならではの、粋な小技だ。いい文章というのは、まずなにより「つかみ」がいい。
 
 鬼加賀こと加賀敬冶は、新宿の殺し屋・小池重明が大阪に乗り込んで壮絶な番勝負をしたことで有名な関西のアマ強豪。そのことが何人もの作家の手で書かれている。
 
 ルポはこの「入り」で一旦区切れて、小タイトルが入る。そのタイトルがまたいい。「静かな酔っぱらい」というものだ。

    静かな酔っぱらい
 
 その晩は、取材の最後が日暮里で10時ごろ終り、翌日が日曜で割合ひまだったので、思い立って行ってみることにした。日暮里から常磐線に乗って、2駅目。三河島の次である。
 広告によれば、国電南千住駅下車10分とある。距離にして約700メートル。南千住駅に降りると、私の後を誰かが追ってくる気配。思わず振り向くと、バシャ―ッという音とともに、若い女性がホームに嘔吐。しきりに連れの女性が背中をさすっている。よほど、こらえていたのだろう。
 ホームは高いところにあって、涼しい風が吹き抜けている。駅を降りて通りに出たが、私の知っている南千住駅は、もう10年くらい前になる。まるで変わっていて、あの間の抜けたような、大踏み切りがない。聞いてみると、目の前にある地下道、大歩道橋なんかの、冷たいコンクリート建造物が、大踏み切りの跡だとのこと。それさえ分かれば、あとは簡単。山谷までは一本道だ。
 今、山谷と書いて、思わず、アレッそうかと思い出した。山谷という名称は、どの地図からも公示物からも消えている。大阪の釜ヶ崎も同じような。山谷は玉姫、釜ヶ崎は愛燐という名称になっている。
 山谷は、浅草観音の裏側にあたる地区で、東京最大の簡易旅館街である。ほとんどが、日雇い労務者で、その日暮らしの人が多い。宿代は最低500円のベッドから、鉄筋風呂付き個室の2000円くらいまで。新宿の高層ビルや、ターミナル駅の近代的な地下街、地下鉄なども、ここの人たちの労働力に負うところ大である。

 
 日雇い労働者の巣食う街のすさんだ雰囲気を、それらしき言葉を使わないで状況だけで分からせる。師匠ならではの芸だ。
 師匠は飛ぶ鳥を落とす勢いの情報センター出版局からデビューしたが、同出版社からベストセラーを飛ばした「椎名誠さんや木村弁護士のように売れなかった」とよく語ってくれるが、ぼくは師匠の文章はあの時代にはまだ早かったと思っている。バブルの時代にこれほど乾いた文章はそぐわない。それにしても、国鉄……。
 
(その3)につづく



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