見出し画像

かつてのUHFが、洋楽ファンを増やした(2)

(マガジン『ギャグ説のロック史』)
 
 横浜出身の友人がいて、飲んだ時などに「さすがハマのシティーボーイ」、「ハマのボーイはちがうなぁ」などとからかっていたが、「そのカッコ悪いキャッチフレーズだけは、お願いだからやめてくれ」と懇願された。
 
 友人のお願いも、もっともだが、「ハマの~」という言葉、一応世間で意味は通じる。「ウラワの~」とか「チバの~」というのは、その言い回し自体がない。
 
 だからまぁ、東京を取り巻く県としては、神奈川はちょっと先進的だった。洋楽に目を付けたのも頷ける。
 
 
 80年代に入ると、洋楽では、ミュージックビデオが続々制作されるようになった。プロモーションビデオというものだ。単に音源を聴くだけでなく、映像をセットにするというものだ。
 
 流行りだしたプロモーションビデオでは、映画さながらの迫力あるもの、テレビドラマのように物語になっているもの、カメラワークや特撮を駆使したものなど、見ごたえある、「作品」と言えるものが次々出てきた。
 
 70年代にもそれはあって、映像というものを意識していることは感じるが、それでも多くは、演奏しているだけの映像だった。
 80年代にプロモーションビデオを流す番組が出ると、迷彩をつけるためか、70年代のものも挟み込まれたが、多くが演奏のシーンがメインとなっている。ブロンディの「Heart of Grass」、クイーンの「愛という名の欲望」、ナックの「マイ・シャローナ」、ロッド・スチュアートの「アイム・セクシー」など、これらはぎりぎり80年代に届かない、1979年のヒット曲。映像的な色合いはあるものの、やはりバンドメンバーの演奏が中心だ。
 ストーンズだって、70年代のミュージックビデオは演奏シーンばかり。演奏から外れたのは、「友を待つ」が最初だったのではないか。
 
 80年代のそれは、バンドであっても演奏シーンがないものが多い。バックのメンバーがほとんど映らなくて、だれがメンバーだか分からないほどだ。スティーブミラーバンドの「アブラカダブラ」とか、シカゴの「Stay The Night」とか。カルチャークラブの「君は完璧さ」も、そうだ。
 
 とにかく、見ごたえあるミュージックビデオが出てきて、それを「TVK」がたくさん流した。金曜の夜など、夜中から朝まで通して。それまでUHFチャンネルというのは、深夜は番組を終わらせ、「砂の嵐」か「虹」に専念していたのだ。
 
 そしてまた、単にそれらを輸入して流すだけでなく、洋楽のチャートものをやっていた。
『Billboard Top40』だ。
 それがなにより、プロモーションビデオの認知度が広まることにつながったと思う。
 
(つづく)


書き物が好きな人間なので、リアクションはどれも捻ったお礼文ですが、本心は素直にうれしいです。具体的に頂き物がある「サポート」だけは真面目に書こうと思いましたが、すみません、やはり捻ってあります。でも本心は、心から感謝しています。