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埋もれた将棋名作ルポ『泪橋のバラード』その3 (全7編)

 1986年に書かれた将棋ライター湯川博士の名作ルポ、『泪橋のバラード』を紹介している。
 
 小タイトル「静かなよっぱらい」は、こう続く。
 

 南千住から5分くらい歩くと、明治通りにぶつかる、交差点には、「泪橋」と書いてある。大田区の鈴ヶ森近くにも同じ地名があって、これは村松友視さんの、小説のタイトルにもなっている。こちらも、刑場が近かったので、その見送りに行く家族にちなんでついたのだろう。普通は、涙と書くが、泪の方が、実感がよく出ている。目に一杯、水が溢れているようである。
 泪橋交差点を渡ると、ちょっと雰囲気が変わる。道端に座り込んでいる人や、フラリフラリと歩いている人が、増えてくる。私もよく酒を飲んで、フラリフラリと歩くことがあるし、盛り場でいやと言うほど酔っ払いを見てきた。でもここの人と違うのは、たいてい陽気にしゃべったり唄ったり、あるいは仲間とつるんでいるとかしていることである。
 ここではつるんで酔っている人は少ないし、唄は歌わない。大声で喋って歩く人もいない。黙ってフラリ、そしてジッと座り込むだけ。
 簡易旅館街は、夜遅くとあって、どこも明かりを暗くしてあって、街全体が、静かに薄暗く、それでいてよそ者を嫌っているような、雰囲気を感じてしまう。
 目指すクラブは、清川二丁目交差点の近くにあった。大きなガラス戸はピッタリ閉められていて、その内側に厚い黒いカーテンがドッシリさがっていて、中を窺うことができない。
 私はそっと細目に開け、重いカーテンの裾を下からめくり、腰をかがめて中にすべり込んだ。中で指していた数人の人が、こちらを向いた。入り口で靴を脱いで黙ってクラブに入った。

 
 当時のこの辺りの雰囲気が、分かる。なんとなく足を踏み入れるのに躊躇してしまう、危険な気配が漂っている。それも、歌舞伎町のような威勢を張った連中から受ける圧力とは違う、ヤケになった人たちからのそれ。
 
 その街の中にある、将棋クラブ。深夜営業や24時間営業の店というものは、開いていることを知らせるために派手な入り口になっている。「もう店なんかやってないだろう」と人々が思ってしまう時間に客を来させようとしているのだから、派手にアピールして当然だ。
 しかしこのクラブは、24時間を謳っているのに締め切って中の様子を見せない。終夜営業が、儲けようという意図からではなく、この場所が持つ性質からの惰性的営業であることが分かる。
 
 惰性的な長時間営業の店では、イチゲンは歓迎されない。むしろ敵視される。でも湯川師匠は、入り込んでいく。上記ルポ中の「重いカーテンの裾を」という部分、重量的な重み以外の、気分から来る重みも感じさせる。退廃した部屋の汚れを長年吸い取った重みと、居付いている人間の「よそ者は来るな」という念が、カーテンを重くしているのだろう。
 

 ルポは次に、「真夜中のクラブ」という平凡な小タイトルに移る。
 

    真夜中のクラブ

 クラブは約10坪で板敷き。真中に細長いゴザが敷いてあって、その上に将棋盤が並んでいる。部屋の隅に、便所と流しがついている。将棋の他に囲碁の盤も積み上げられている。壁には張り紙があって、「酔った人、賭け将棋はお断りします」とある。
 ちょっと普通の道場と違うなと思ったのは、壁際に積んである座布団の数が異様に多いことだ。その理由は、指しているうちに分かってくる。
 盤の前に座るが、誰も何も言ってこない。仕方ないから隣の将棋を観戦。将棋が2組、囲碁が1組だ。黙って見ていると、観戦しているうちの一人が、「指しますか」と言ってくれた。
 この人は、髪をオールバックにしていて、鼻がちょっと赤く、目玉がギョロッとしている。赤鼻のトナカイで、トナちゃんと呼ぶことにする。歳は多分私と同年代で40前後。
 盤はすべて足付きで、駒はプラ駒。足付きといっても、盤の線はすり切れて薄く、玉の定位置近くはササラ立っている。トナちゃんの先手。黙って四間飛車。私は棒銀。
「あの、席主さんは?」
 人の良さそうな感じなので、思いきって聞いてみる。
「12時過ぎないと来ないよ、ここは」
 壁の料金表には、「午後6時から12時まで500円。午後10時から午前7時まで600円。1日…… 600円」とだけ書かれている。ついでにもうひとつ質問。
「ここは真剣はやらないの」
 これには脇で我々の将棋を観戦していた、白髪の品の良い顔立ちのおじいさん(といっても多分50歳くらい)が答えた。
「昔はねネー、けっこうやったんですよ。1万くらいのもネー。今の席主になってからはダメになったンですよ。私なんかは好きなんですけどネー」
 おそらく、旧制中学か、専門学校でも出ていると思われる、インテリ風の人だ。言葉も穏やかで、私なんかよりよっぽど丁寧である。若い時は池部良のようだったと思うが、今は縮んで多々良純に近くなっている。どんなことからここに流れてきたかはわからないが、将棋歴は相当古そうである。この人は純さんと呼ぼう。
 トナちゃんは慣れた手つきでどんどん指してくる。棒銀に対して、5七金というのがちょっと見なれない。私、飛車を圧迫して悪かろうはずはない。6五歩と突いて、大分差しやすくなったと思う。トナちゃん苦しまぎれに、4五歩(A図)。

泪橋のバラード3

 以下は7四飛、3七角、7三桂がピッタリで勝勢。しかし良くなると喜んじゃうのが将棋の常で、この後少しもつれたが、緒戦は勝たせてもらった。トナちゃんさっそく玉を5九に置いて、続行を宣言。
「他のクラブだと、いちいち名前を書いたり、1局ずつ相手を変えられたりで、面倒だよな」
「そうそう、ここはいいよ」純さんがすかさず相槌を入れる。

 
 ここまでが、「真夜中のクラブ」。 
 
 湯川博士師匠がクラブに入る。閉鎖的な空間に飛び込む緊張感が伝わってくる。こういう場所に乗り込むには、ある種の呼吸が必要で、いきなり話しかけてはいけない。迷い込んだ蠅か羽虫のように、彼らの周囲で様子を見るに限る。すぐコミュニケーションをとろうとすると、疎まれて後々まで敬遠されてしまう。湯川さんは将棋ジャーナルのネタ拾いとして行ったのだから、解け混んで話を引き出す必要があった。
 
 これでクラブに隠れた「くすぶり」でもいれば将棋の記載も盛り上がるが、緒戦は図を載せたほどの緊迫感が生まれない。乱暴に6六銀などとやっちゃってもいいくらいだ。あんまり一方的に抑え込んじゃうと、次に相手してくれる人がいなくなる。
 
(その4)に続く

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