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1手30秒! Part1

 
 先日、中原誠16世名人の新春座談会のことを書いた。
 

(将棋ペンクラブ 新春座談会  2015年 中原誠十六世名人) 
 
 
 

「この話には後日談がある!」というのはエッセイなどによく見る定型句だが、ぼくのこの回想録には後日談がない。文字起こしした文章を幹事の湯川さんに送り、座談会の当事者お二方に読んでもらい、すんなりOKが出て、手直しもなく会報に載った。特段語るべき後日談は、だからないのだが、しかし、前日談ならある。
 
 それは、座談会を行う少し前のことだ。当日の大雪は予想していなかったが、中原先生はお身体が不自由なのでぼくがサポートする場合を想定していた。それで、当日遅れたりしないようにと、木村先生の弁護士事務所を事前に把握するべく、ちょっと前に伺わせてもらった。
 
 そこで、せっかく来るのならと、事務所で将棋を指すことになったのだ。
 
 木村先生は大学在学時に司法試験に合格、落語はプロ裸足、著作多数の万能型天才だ。だからぼくなんかがかなうはずがないのだが、意外にもこれまでの対戦成績はほぼ互角といったところだった。
 
 通常、互角の星であれば、ライバルと言えるかもしれない。しかし木村センセイのライバルはぼくではなかった。ぼくとの対局なのにぼくがライバルでないとは変な話だが、実際ぼくはライバルではない。ぼくと対局するときの木村センセイのライバルは、『チェスクロック』なのだ!
 
 将棋を知らない人は、それがなにか分からないだろう。『対局時計』と書いた方が分かりやすいかもしれない。将棋や囲碁、チェスなど、ボードゲームをするときに、お互い考える時間が公平になるようにする機械のことだ。
 
 時計は1台に、対局する人数分、つまり2つ付いている。上記表題の画像はデジタルだが、アナログのもある。使い方は、たとえば1手につき30秒と設定すると、指す方の側の時計が30から減っていく。0になると時間切れで負けで(ピーッとかなりの音が鳴る)、それまでに指さなくてはならない。指したら、その指した手で(逆の手で押すのは反則)時計の上のボタンを押す。すると自分の時間が止まり、今度は相手の時間が減っていく。相手が指してボタンを押すと、自分の時計がまた30から減っていくということになる。
 
 時計を使わないときの対局では先生が星を伸ばし、時計使用時にはぼくが連勝する。そんなカタチで互角となっていた。
 
 対局時計には、情けがない。やさしさもない。ただただ冷徹に秒を刻んでいくだけだ。また刻むだけならまだしも、合図の音も鳴らすのだ。時計は10秒ごとにピッと音を鳴らす。1分で設定すれば、50秒、40秒、30秒、20秒の地点でだ。そして10秒以下は、1秒刻みでピッピッと鳴らす。それが、真剣に考えている人間にどれだけの重圧をかけることか!
 
 センセイは秀才だ。考えに耽る深さがちがう。入り込んでしまう。そこにもってきて、齢(よわい)を重ねてちょっと機械に対してアレときている。そんな諸々から、対局時計と非常に相性が悪い。機械の遠慮会釈ないピッという催促音に焦り、悪手を指してしまう。指したあと時計を押し忘れてしまうこともある。センセイは大会にも出ているので、対局時計の訓練のため、指そうと言ってきたのだ。
 
 その日はまだ事務所が終わってなくて、センセイにはむずかしい案件の電話が何本かかかってきていた。そのちょっと空気の張り詰めた一角でお茶を飲んで待つぼく。いいのだろうか、こんな世の中のために動いているセンセイの仕事を止めてしまって。事務机の上に置かれた盤駒を見ながら思った。
 
「いやぁおまたせ」
 
 電話を終えたセンセイが前に座って対局となった。さすがセンセイ、あんな電話のあとでも平常心なんだなとおどろいた。
 
 時計は、ぼくが幹事のMさんから借りてきたものだ。ぼくも一般の人から見たらかなりの将棋キ印だが、さすがにチェスクロックまでは持っていない。それでMさんから借りてきた。熱烈な羽生さんファンのMさんは、自宅に3畳の対局室があるのだ。
 
 その当時センセイは四間飛車1本だった。ぼくも振り飛車しか指さないので、しぜん、相振り飛車になる。将棋を知っている人なら分かるだろうが、相振りは定跡の定まっていない力戦形で、戦いの始まる前から時間を使う。つまり、時計慣れした人に有利な流れになるのだ。
 
 やはり、まだ中盤の辺りから秒読みに入った。この日は持ち時間10分の1手30秒だったので、当然持ち時間なんてすぐなくなって、秒読みに入ってしまう。アマチュアの大会はだいたい持ち時間30分だから10分はとても短い。
 
 ピシッと先生が指したあと、腕組みをする。時計を押す気配がない。ぼくは一瞬ためらって、「センセッ!」と時計を指し示す。「オオッ」とセンセイがそこでボタンを押して、時計が『2』で止まる。センセイ優勢の局面だったが、あと2秒で先生が負けだったのだ。
 
 指し手は断然センセイの方が洗練されている。それを時計君が互角に引き戻してくれる。そんななか、指し手が進んでいく。
 
 ぼくは再び「センセッ!」。大会では相手が教えてくれないので、ぼくがこうやって言ってたのでは練習にならないのだが、でもセンセイを前にしらばっくれてることなんてできっこない。その後センセイに悪手が出てしまい、ぼくは勝ちを拾った。
 
 「縁台将棋」という言葉がある。縁台で将棋を指すという直接的な意味ではない。近所の仲間や友人で、気軽に一局指すという意味だ。まだパソコンもゲーム機もなかった頃の言葉。縁台将棋には、時を刻む審判など不要だった。もっと気楽に、一方は腕組みして考え込んで、もう一方は「いつまで考えてんだよ」と文句をいい、雑に騒がしく将棋を楽しんでいた。
 
 ぼくはそんなノリが好きなのだが、訓練であれば仕方がない。ぼくは勝ったが、申し訳ない気分だった。終局後に時計を止めなかったので、ピーッと鳴り響いた。それを止めて感想戦に入ったが、時計に追われていたせいか、なかなか2人とも、指し手を思い出せない。指し手が曖昧であれば感想戦の意味がないということで、ぼくとセンセイは2局目を指し始めたのだった。  (まだ続くけど、2000文字を越えたので次回へ!)


 



 

書き物が好きな人間なので、リアクションはどれも捻ったお礼文ですが、本心は素直にうれしいです。具体的に頂き物がある「サポート」だけは真面目に書こうと思いましたが、すみません、やはり捻ってあります。でも本心は、心から感謝しています。