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カメラのこと

どうしてももう一度手に入れたいカメラがある。

僕の写真活動は携帯のカメラを除けばフィルムカメラから始まっている。35mm、中盤、大判といくつか使ってきた。といっても大判で撮ったのはほんの数回だし重たくて自分にはこれを持って写真を撮ってうろつくことはできないと思っているので、世の中の数あるカメラのほんの少しだけしか使ったことにならないし使いこなせていたかどうかははっきりいって怪しい。

その中でもとっくに手放してしまっているのにどうしても忘れられないカメラがある。

どうしてそんなに引きつけられるのかよくわからない。初めて使ったカメラでもないし、その当時思い入れがあったわけでもない。むしろ手に入れておきながらその頃の自分の撮影スタイルやテーマとはどうしても噛み合わなかったのでほとんど使っておらず、持っていてもしょうがないと判断して新宿のカメラ屋で売ってしまった。

わからないといっておきながら、この時に使いこなすことができなかったことをカメラに対して申し訳なく思っているのかもしれない。ただ、確信が持てないし、本当に申し訳なく思っているのか自信がない。

特別な高級機でもないし、機能的に優れているわけでもない。その時欲しくなった理由はオークションでカメラを競り落とすという行為がしたくてたまらなかったからだ。カメラであり撮影が可能ならばなんでも良かったわけでもない。それでしか最適解のあるレンズの組み合わせがあるわけでもない。でも、どうしてもほしいカメラをオークションで競り落とす行為って当時の自分にはとてつもなく「それ」っぽい行為で、それをクリアした先の世界が自分のステージを上げると思っていた。

結果的には上がらなかったしなんにもならなかった。そのカメラを使うためにいつものコダックのフィルムやら、普段使わないフジのフィルムやら、謎の海外製フィルムなどそれなりに揃えてはいた。でもほとんど撮らずに売ってしまった。

それでも落札してカメラが届いてから新宿へレンズを買いにいき、フィルムをセットしてファインダーを覗いた瞬間の景色が違って見えて、もう一度この興奮ができるんだなと、震えた。歩いて家に帰るまででだいぶ興奮しながら夢中でシャッターを切っていた。当時の家から新宿まで、歩いて1時間半くらいだ。フィルムは3本くらい撮った。(写真学生の中にはフィルム何本撮ったかを異常に気にする人がいるので追記しておきます。)

原体験的な興奮を覚えて撮り続けた経験としてはなかなか「それ」っぽい感じじゃないだろうか。ただあとが続かなかった。何より自分が持っているとおしゃれアイテムっぽくてどうしても許せなくなってしまった。当時の僕は尖っていて、そんな連中みたいに見られることは死ぬよりも許せないことだった。

売値は1600円だった。

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