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舞神光泰『笑え、笑うな  笑うな、笑え』

『笑え、笑うな 笑うな、笑え』

「ちょっと待ってくださいよ~!」

大きな声で笑みと不安を浮かべながら敵意が無い事をあらわして、周りに正当性を訴えかける、これがいつからか芸人の代名詞になったのだろう。市川は周りの芸人が大声ではしゃいでいるのを見ながら、1人黙々と酒と冷えたフライドポテトを口へ運んでいた。ライブが終わり着替えて帰ろうとしたのだが、今時珍しい全員参加の飲み会があるとかで、終始居心地悪そうにしていた。ご丁寧にテーブルを指でトントン鳴らしてヒマだとアピールまでしている。

「お前さ、ホントに客笑わせる気あんのか?」

さっきまで下らないバカ話をしていたのに、急に矢が飛んでくるから飲み会というのは油断が出来ない。ゲラで1番下っ端のアザラシがトイレに行ってから、1分も経たない内にテーブルの温度はみるみる下がっていたし、市川はこうなるのは時間の問題だと分かっていた。

「あるに決まってるじゃないですか」
わざととも言えるほどふてぶてしく答えたのは、ダーティ市川。本名、市川航。6年目29歳の芸人だ。芸人にしては整った顔で、デビュー当初は人気があったが、ネタと態度が尖っていたため、もはや着いてくる客は顔と理解者面をしたいファンだけだった。

「前々から言おうと思ってたんだけどさ」

ポリエステルラバーの弓場は肘を机に乗せて、完全に市川を睨んでいる。「俺らが若かった頃は、先輩がちょー怖くてさ、歯ブラシで一発芸やれって横並びにされて」とお決まりの何度も聞いた話を繰り返していたのに急に焦点が定まってきている。周りの芸人がケンカ腰の態度にソワソワしているのに対して、テーブルの対岸にいた市川も肘をついて身を乗り出している。

「お前さ、先輩に対する敬意がないよな」
「ありますって」
「だったら、人の出番の前であんなネタやらねーんだよ!」
「ボクのネタと敬意なんて関係ないじゃないですか」


普段から人を見下しているような市川だったが、この日は拍車がかかっていた。

「劇場では空気が大事なの! なのにお前は自分の事しか考えてない!」
「ボクが面白いと信じてるネタやってなにが悪いんすか」

市川の言葉と態度に周りの芸人たちもピリピリしだしていた。やっかいな事に市川は客を持っていた。たった20人ほどではあるが市川が出ると必ず来る20席は埋まるのだ、100人にも満たない劇場でライブ活動をする事が多い芸人たちにとっては、そこそこ優秀な客寄せであるため、ネタや空気に関しては強く出られないのが常態化してしまっていた。

「だったらお前のネタの何が面白いか説明してみろよ」

弓場はもうキレていた。普段から怒りっぽい性格のツッコミ、11年目でテレビにも数度出た事がある。そして久々のライブに出てみたらとんでもない空気の中でネタをやらされた。劇場でのライブは自由競争であると同時に一蓮托生でもあるから、無闇に温度を下げる事は許されない。

「そんなのも分からなかったんですか」
ため息をわざとらしく吐いた後、アゴを上げて語り出した。

「簡単に説明するとですね、性的不能になったアンドロイドの発明家が、前回は理想の女性を作ったじゃないですか、でもね今回は浮気している妻のために男性型を作って、浮気相手の男を抱かせて、しかも同時に妻が寝取られるのを見て、罪悪感と嫉妬と興奮に駆られながら自分が再起するのを感じるっていう」

市川が熱を持てば持つほど、周りの空気は冷えていった。

「それで客が笑うわけねーだろ! なにが前回だ、ボケ! てめぇの単独だったら別にどうでもいいよ、今回は10組出てるの、お前の出番は6番で中盤のダレ場を盛り上げる役割があるの、なんで6年もやっててそれが分からないかね」

最初はたしなめようとしていた後輩芸人たちも、完全に弓場の意見に同意していた。

「だいたい、てめぇについてる客も気持ち悪いんだよ、あのネタ見て笑うでもなくて、泣くってどういう情緒してるんだよ」
「それはボクも思いましたけど、別にそれは、相手方の感情ですからどうでもいいじゃないですか。でも面白くなかったですか? 今日のネタ」

反省した態度を取ればいいものも、市川はプライドの高さから更にくってかかるようになった。

「弓場さんだって、今日のネタの入りおかしかったじゃないですか、ポリエステルラバーなんてそこそこの知名度で見た目のインパクトないのに、相方の小瀬木さんじゃなくてアザラシ連れって『お前誰だよ!?』って、勝算あったんですか? あのツカミ。その後何事もなかったように普通に漫才始めてましたけど」
空気を凍らせたり、火に油を注ぐのが得意な市川は普段めったに飲み会に呼ばれないし、呼ばれても参加しない事が多かったので、こういう席での対応に慣れていなかった。慣れていないにしても大人なら分かりそうな事を平気でするので、市川は芸人から非常に嫌われていた。

「言うに事欠いて、てめぇは……」
なにかがブチッと切れる音がして、弓場は立ち上がって市川に詰め寄った。

「てめぇみたいなセンスあるフリしてるだけの芸人なんか山ほどいるんだよ、身勝手で面白くもなんともない、中途半端な演劇芸人が。お前のファンなんて顔にくっついてるようなもんで、顔がブサイクだったら誰も見向きしねぇよ、カリスマ気取ってんじゃねーよ」

「はははは! めっちゃ盛り上がってるじゃないですか!」
そこになにも知らない上機嫌のアザラシが帰ってきた。

「お前はタイミングが悪いな! あと便所が長い!」
弓場の握られた拳がアザラシへのツッコミへとシフトしたのでなんとか暴力沙汰にはならなかった。
「いや~オレの前の人がずっと個室に居て、ギリギリだったんですよ。あのおっさんなんですけど」
アザラシが指した『おっさん』に弓場と市川だけが驚いていた。

「なんでこんな所に……」
視線に感づいて、そのおっさんがテーブルに寄ってきた。

「久しぶりだよね? ポリラバの……」
「ポリエステルラバーの弓場です、ご無沙汰してます」
1番上の芸人が頭を下げたので、アザラシ以外の芸人が頭を下げた。
「誰すかこのおっさん?」
「バカ、元QQグレゴリーの青山さんだよ、今は放送作家やってる」
それでもピンと来ていないアザラシを弓場はさらにどついた。
「すいません、こいつ酔ってって」
「へーき、へーき、俺がテレビ出てたのなんて20年前だし。ゴメンね来ておいてなんだけど、今手持ちが5000円しかないから奢れないんだわ」
「いや、滅相もないです。あのここにいるのって偶然ですか? それとも?」

弓場の期待するような視線に、めんどくさそうに鼻をかいた。
「うん、観てたよ。今の子は面白いね、特に君」
市川は何も言われていないのに、一歩前に出た。
「アザラシ君だっけ? 君はテレビでもウケそうだよね」
「あっ、ありがとうございます! えっ、本当ですか?」
褒められたアザラシは急にペコペコしだして、市川は信じられないという風で呆然としていた。
「うん、君の芸は唯一無二だし、なんていうの汗芸? アザラシ漫談よりも尋常じゃない汗でスウェットが染まっていくのがすごいねあれ」
「はい、弓場さんに衣装替えた方がいいって言われて」


楽しそうに談笑する芸人たちを横目に市川はショックを隠せていなかった。往年のQQグレゴリーは向かう所敵なしの演技派のコント師なのに、テンパって汗をダラダラかいて、トチる芸人を評価している事が市川には許せなかった。

「いやーやっぱ天然ものには敵わないね、うん、やっぱりライブ会場にこないと分からない事も多いからね、話せて良かったよ、じゃあ俺そろそろ帰るわ」
「明日も仕事ですか?」
「うん、貧乏暇なしだからね」
「いやいや、放送作家なんだから結構貰ってるでしょう」
「まぁーねー」

ドッと湧くような愛想笑いを残して青山は去ろうとした。

「待ってください! ボクはどうでしたか?」

市川は珍しく声を荒げて青山に喰ってかかった。

「君はね、まぁ別の使いどころならあるかな?」

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