MY (K)NIGHT マイ・ナイト(刹那&灯/イチヤ&miyupo/刻&沙都子)感想・考察

こんにちは。ただ今BOTこと、BATTLE OF TOKYOに狂っている杉山です。
今回は映画『MY (K)NIGHT マイ・ナイト』を刹那&灯、イチヤ&miyupo、刻&沙都子の3組のペアを中心に考察、感想を書きました。
思い切り本編のネタバレになっていますので、本編を鑑賞された方、ネタバレしても構わない方はぜひ読んでください。また映画を一度しか鑑賞していないので、セリフなどうろ覚えですがご容赦ください。


刹那と灯


・主題「母親」
・灯のデートセラピストへの依頼「婚約者の振りをして死期の近い母親に紹介する」
・灯が刹那を指名した理由「カメレオンセラピストでどんな要望も叶えると書いてあったから」

まず、刹那と灯は双方、「母親」に対する問題を抱えている。刹那は母親と縁を切ったが、灯は縁は切れていないどころか大人になっているにも関わらず、「支配」されているように見えた。
当初は死期が近い母親に婚約者を紹介して、母が亡くなっても残される自分は大丈夫、幸せに生きていけると伝えようとしているかに思えた。
しかし病院に向かう途中、刹那の服装を変えようとする。それが灯の理想の男性に仕上げるならまだしも、どうやらそうではない。何か必死に考えこんでいる。この時点でその場に居ない母親の顔色を気にしているのが分かる。

意を決して母親の居る病室に赴く二人であるが、何も言わずとも気迫溢れる雰囲気を出していた坂井真紀さんの演技は圧巻であった。
そして灯が刹那を婚約者だと紹介した際、
「あんたも私を捨てるんだね」
と言い放つ。
この瞬間、娘に過干渉する典型的な所謂「毒親」であると思えた。
それは「病気の私を捨てて、あんただけ幸せになるの」と言っているように思えた。その後灯は泣き出して病室を後にする。

病院の外で灯と刹那が話すが灯はいつも自分のものを買う時も「母にどう思われるのか」を気にしてしまうと嘆いた。デートセラピストとして客の要望に応える前に、刹那自身が母親との間に問題を抱えており、灯に自分を重ねてしまったのだろう。
刹那は病室に戻り、「お母さん」と呼ぶと「他人に『お母さん』なんて言われたくない」と返され、刹那も「そうですよね。親子だって他人みたいなものなのに、結婚相手の親なんて完全に他人ですよね」と苦笑する。この言葉で母親は刹那に幾らか心を開いたと思う。病室から出て消火器のBOXの中から煙草を出した時は衝撃だったが、慣れた手付きで吸い始めて言う。
「娘は私が煙草を吸っているのを知らない」
「あの子は親離れしないといけない」
ここでようやく灯が母に支配されていたのではなく、実は灯が母に依存していたことが分かる。

灯が幼少期に母親に過度に干渉されていたのは事実だと思う。しかし大人になっても灯は母親の視線、母親の意見を気にしてしまい、自身で物事を決められない。そんな娘を見て母親は自立してほしいからこそ、あえて灯を突き放す言葉を発したが灯には伝わっていない。
灯も母親もお互いが嫌いと言う訳ではない。むしろお互いのことを考えているが、その想いは届いていない。母親はもう灯を解放している。後は灯の方が母親から自立する、離れる覚悟を決めなければいけない。

刹那の「お母さんの期待に応えようとしなくていい。そのままの灯さんと話したいと思うよ」と言う言葉は、灯の中で肥大化した母親への恐怖を断ち切ったように見えた。
そして母親ともう一度話してみると決意した灯。
ここで刹那の仕事は終わる。

この後、灯が母親と何を話したのか。
お互いの本心を話せて、理解することが出来たのか。
それは描かれていない。
映し出さなかったからこそ、観客である我々は色々と想像することが出来て余韻に浸れる。

個人的には、刹那が繋いでくれた縁。
灯もお母さんも、お互いの本音を明かし、笑い合えているといいなあ。

また灯と母親の出会いによって、刹那も母親との関係に変化が現れた。
冒頭で母親からかかって来た電話の録音メッセージを聞いても無視をしていた刹那。
刹那は灯に「子供の不幸を願っている親なんていないと思うけど」と言う言葉をかける。この言葉はそのまま刹那の心にも響いていたのではないか。
最後、刹那は母親に電話を掛けてメッセージを残す。
灯と彼女の母親同様、刹那も彼の母親との関係に前進が出来たと思う。
デートセラピストが顧客の女性を癒すだけでなく、セラピスト側も女性によって心境が変化することが表れていたと思う。

刹那と灯。
一晩限りの出会いでもう会うことはないと思う。
ただ灯は真面目だから、メッセージか何かで「先日はありがとうございました。母と話をし、上手くいけそうです」と短く近況報告をしてほしい。
そしてそのメッセージを見て煙草を吸いながら笑みを浮かべる刹那。
こんな妄想をしてしまいました。

イチヤとMiyupo


・主題「夢破れた者」「撮る側/撮られる側」
・Miyupoのデートセラピストへの依頼「SNSにあげる為の写真を撮るからついてきてほしい」
・Miyupoがイチヤを指名した理由「いっぱい食べそうだから」←この理由、凄い好きです(笑)

Miyupo(以下、ミユポ)はフォロワー数7万人のインフルエンサーで、所謂映え写真を撮る為にイチヤを連れまわす。美味しそうな料理も写真を撮ったらすぐに「食べて」とイチヤに渡して食べさせる。要するに「食べる」為に料理を頼むのではなく、「写真を撮る」のが目的である。写真を撮った後の料理は彼女にとってどうでも良い。でも残すのももったいない。だからイチヤを雇った。また彼に自分の代わりに料理を食べて欲しいだけでなく、1人では行きにくい場所についてきて貰ったり、夜で女性1人も危ないので用心棒代わりに雇ったのかと思った。

話が動き出すのはミユポがある写真の個展に行きたいと行った時だ。その個展を開いているのはイチヤの知人であった。更にはイチヤは昔の先生と思われる男性に「君は才能があると思ったんだけどね」と辛辣な言葉を受ける。ここでイチヤは昔写真を撮っていて、カメラマンを目指していたことが分かる。しかし夢破れ、どう言った経緯かは分からないがデートセラピストとして生計を立てている。彼にとっては自分と違い、カメラマンとして成功している友人の個展を見ることは苦痛以外のなにものでもないだろう。

その後、雑居ビルの屋上に行くが、ミユポはイチヤに「何故写真を撮ってあげていると思う?」と尋ねる。この質問にイチヤは「別の人生を生きたいから?」と答えるが、ミユポは「全然違う。今ここに居る自分もSNSの自分もも同じ自分」と答えた。そしてミユポは唐突に語り出す。「バレエをやっていたんだ。でもいつからか楽しくなくなっちゃって。それでやめた。その時になんとなく撮った写真をSNSにあげたら、たくさんいいねがついて、嬉しかった」このミユポの言葉でイチヤは原点回帰したと思う。

人が何かをする時、趣味でも何でも「楽しい」「嬉しい」と言った、シンプルだがエネルギーの原点ともいえる感情に出会うと思う。
ただこの楽しい、人に褒められて嬉しいを通過して、壁にぶつかったり、思うようにいかなかったりすると苦しくなり、いつしか好きな気持ちよりも辛い、嫌いと言う感情が大きくなることがあると思う。イチヤは写真を撮ることに関してそうだったのではないか。
イチヤはおそらくプロのカメラマンを目指していて、周囲からの評価も高かった。ただ何かスランプだったり、挫折を味わって写真を撮ることが楽しいことではなくなってしまった。

同じくミユポもバレエを辞めた人間だ。
ミユポは「諦めるってそんなに悪いこと?」と言った。
人はいつも何かを選択して、選ばなかった選択肢は諦めている。
ただミユポもバレエを諦めたから、続けることを選ばなかったからインフルエンサーになれた。
イチヤも写真を諦め、デートセラピストになったから、今こうしてミユポと共にいる。

ミユポの言葉で吹っ切れたイチヤはようやく顔色が明るくなって、笑みを浮かべたのが印象的だった。ただこの後、まさか二人でスパーリングをするとは思わなかった(笑) そしてイチヤと言うか、演じているRIKUさんの日頃のトレーニングの成果だろうか、イチヤの放った拳の空気を切る音が熟練者のようで凄かった。

この後、工場?でミユポがバレエを舞い、イチヤがその様子を写真を撮っているのが今作で一番印象に残った。
最初のレストランでの食事の時のイチヤはミユポに写真を撮らされていたが、この時は自発的に撮っていた思うし、何より楽しそうにしていた。これはミユポも同様でSNSでいいねを貰う為ではなく、料理と自分ではなくミユポ自身だけの写真を撮って貰っていた。バズる為ではなく、写真の被写体として舞っていた、素のミユポだったと思う。彼女をインフルエンサーではなく、素の姿を曝け出せたのはイチヤだからこそだと思う。

また壇上で舞っていたミユポがイチヤに手を差し出す。
イチヤがその手を取ろうとするが、ミユポは手に触れる前に手を上げてしまい、二人は笑い合う。
この場面は写真を撮られる側、撮る側。
金銭を払ってサービスを受ける顧客と金銭を頂いて顧客の要望に応えるデートセラピスト。
同じ空間には居られるが、同じ立場ではないことを表現していてとても美しくて、切なく感じた。

最後、車に乗っている時にイチヤがミユポのSNSのアカウントを見ていた。そこにイチヤが撮ったミユポの写真が上げられ、たくさんのいいねが付いていた。
私は映画を見た時には気が付かなかったのだが、文庫本を買いセリフを確認する為にめくっていたところ、ミユポがイチヤが撮った写真のハッシュタグに「#天才カメラマン」とハッシュタグを付けていて思わず涙が出てしまった。

イチヤはプロのカメラマンにはなれなかった。諦めてしまった。
しかし諦めてデートセラピストになったからこそ、ミユポと出会い、撮った写真がたくさんの人に見られ、いいねを貰うことが出来た。
プロのカメラマンになれてもここまで大勢に写真が見られていたか分からない。
例え職業に出来なくても、誰かに「天才カメラマン」と言われたことは誇りで、自信にも繋がり、何より嬉しいと思う。

また冒頭で1人でトランプタワーを作っていたイチヤが最後、刹那や刻の写真を撮っていたのも印象的だった。
イチヤにとって写真を撮ることは過去の写真を諦めた自分を想起する為避けていたことかもしれないが、ミユポと出会って吹っ切れたイチヤが楽しそうにしていたのが良かった。顧客であるミユポによって、過去の自分に折り合いを付けられたのだと思う。

イチヤとミユポはこの三組の中ではもしかしたら今後も会うかもしれないと思った。
ミユポの方が「また写真撮ってよ」と依頼して、写真を撮るみたいな。
何だったらミユポとイチヤがビジネスパートナーになって、お互いの夢ともう一度向き合う展開でも良いけどどうなのかなあ。色々想像してしまいます。

刻と沙都子



・主題「自分は何者なのか」
・沙都子のデートセラピストへの依頼「若い女と不倫している夫のように自分も若い男と遊んでみたい」
・沙都子が刻を指名した理由「夢に見る、都会で暮らす、イケメンだけど孤独な男の子像にぴったりだったから」

沙都子は旦那が若い女と浮気していると知っているが、口には出せず自分を同じことをしてみようとやって来る。一見刻と楽しそうにしている沙都子だが、何処かぎこちない。こんなことをしても何の解決にもならないと彼女の理性が言っているのかもしれない。沙都子は終電前に帰ると刻にお金を渡して去ってしまう。

その姿を見た刻は沙都子の寂しそうな背中を見て思わず手を取って言う。「なんかやりたいことをしようよ」
しかし沙都子は「分からない。自分がしたいこと」と言う。それに対し刻は「じゃあ昔やりたかったこと」と言い、「貴方になってみたい」と答える。
沙都子は沙都子ではなく、「刻」として一緒に過ごしている時にやっと笑顔になる。旦那に浮気された女から、都会で生きる男に変身したのである。

沙都子が「刻」として過ごす時間から、彼女の顔は生き生きし始める。煙草を吸うこと、立ちションを見ること(刻の「もう閉まってもいいですか?」はさすがに笑った)、トッピング全部を乗せたラーメンを食べること。彼女が今まで出来なかったことが出来ている。

更に沙都子は刻の家に行きたいと言う。それは生活している家を見ることで沙都子の中の「刻」をより深く知り、理解したいからだと思う。そこで刻の家に行き、彼女の茉麻と対面し、刻の本名が「ケンタロウ」であることも知る。刻に自分を重ね、他人になれたからこそ、「自分は何者なのか」と客観視出来たと思う。沙都子は自身のことを「塔の上でひとりぼっち」と言った。しかし今は閉じこもっていた塔から抜け出し、自分が行くことのなかった別世界へと旅をしている。

沙都子がどのような人生を送って来たのかは想像することしか出来ないが、彼女の立ち振る舞いを見ていると、気品があり、控えめな性格のような気がする。旦那が浮気する以外の情報しかないが、旦那の前では「愚妻」と紹介されても笑みを浮かべ、旦那の一歩後ろを歩き、立てるように生きて来たのではないかと思う。いつしか旦那の言うことを何でも聞くようになり、自己を殺して生きて来た。
だからこそ刻に「今何がしたいか」と尋ねられた際、「(旦那を)殺したい」と答えたのではないか。自分は旦那の為に何でも言うことを聞いてきたのにどうして浮気するのか。その怒りすらも押し込める程、沙都子は「自分自身」忘却していた。
しかし城を抜け出し、刻と出会い、彼の生き方を追体験し、自分が本当にしたいことを、忘れてしまったことを取り戻したように思う。
刻や茉麻にパンチの仕方を習い、実際に実践したことで自分が空手をやっていたことも思い出した。そうして沙都子は「旦那と話すこと」を決断する。ようやく自分の「やりたいこと」を見つけ出した。

一方の刻も沙都子と出会い、美しい外見ではなく、自分の中身を否定せず、本当の自分を受け入れてくれたのは嬉しかったのではないかと思う。仕事では「年下の王子様」を演じているが、実際は全然違う。多くの人間が刻の容姿しか見ないが、沙都子は違った。沙都子だからこそ、刻は本当の自分を曝け出せたのだと思う。

刻と沙都子はこの夜の後、もう会うことはないだろう。
ただ沙都子にとって、自分が何者か思い出させてくれた刻との一夜はかけがえないのない時間で、刻が自分を救った騎士として、ずっと彼のことを覚えていると思う。友達でも家族でもないけど。ずっと覚えていると思う。

総評


当初は見る予定がなかったが、Twitter(X)の評判が良かったこと、「恋愛映画ではない」と言う感想を見て鑑賞したが、本当に恋愛描写は一切なかった。
また男性が女性を癒すのではなく、セラピスト側も顧客の女性との出会い、一晩の出来事で特別な夜になったこと、自分の過去と折り合いをつけたことが出来て、男女双方が救済される話も良かった。
人物だけでなく、夜の横浜の街並みを情緒的に映し出しており、現実世界を映し出しているのは理解しているが、夢の中のような幻想的な映像に仕上がっていたのも印象深かった。
冒頭と最後、刹那、イチヤ、刻の3人のやり取りも面白かったので、ぜひ続編かドラマでまた3人の姿を見たいと思っている。もっと彼らが世界を救うところを見たいです。

以上、感想でした。ここまで読んで下さり、ありがとうございます! BOTのアニメ情報と共に、マイナイトの続編も待っています!!


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