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人を怒らせる才能

「人を怒らせる才能があるよね」ってぽこぽこメンバーによく言われるんです。

全く悪気なく、純粋に話したり質問したり付き合ったりしてるだけなんだが、どういうわけか相手の気分を害してしまう才能らしい。

とてつもなく欲しくなかった才能です。

俺は全く記憶にないんだが、昔、ぽこぽこメンバーの三上と、新宿で朝まで酒飲んで、二人で新宿駅のホームで始発を待ってた。
その時に、見知らぬ女性がこっちに近づいてきて、いきなり俺の頬を殴ったらしい。
突然全く知らない女に殴られたら、そりゃ仏の杉浦もキレますわ。
「ふざけんな!」みたいになったんだが、大人な三上がちゃんと俺を遠ざけてくれたらしい。

この話、三上から聞いて全く記憶にないんだが、見知らぬ人までも怒らせるという、これはもう天から授かった才能の何ものでもないと思う。

ドラゴンボールの神龍(シェンロン)が現れて「願いを1つ言え」と言われたら、「人を怒らせてしまう才能を俺から消して下さい」って真っ先にお願いするかもしれない。

LINEの文章なんかは、「言葉にトゲがある」「冷たい」とかよく言われるし、もはや文章までも人を不快にさせてしまうのなら、こんなnoteなんか書いてる場合じゃないやね。

どちらかというと、コミュニケーションを取るのは好きなんだけどね、そのコミュニケーション方法がどうやら他人とズレているのだろうか。
でも確かに、お世辞言うの下手だし、イラっとしたら確実に態度に出てしまうし、腹たってもサラっと流せずいつまでも悶々としてしまうし、心と思考のうまい切り替え、変換作業ができれば、俺もスマートな賢い大人になれるのだろうか。

周りの人間を見てると、その変換作業がうまい人はいっぱいいるし、さすがだなぁって思う。
こうなりたいなってどうしても思っちゃうけど、そう簡単には31年間根付いてきた心と思考のバランスは変えられない。
だからスマートな賢い大人には、俺は正攻法ではなれないと、もう自分で断言するしかない。

ただ一つ、抜け道があるとすれば、多分、イライラする、悶々とする余裕もないくらいに忙しくあることなんじゃないかと。

普通だったら「余裕がなくなるとイライラしやすくなる」とは言うけども、もはや逆で、そんなことにいちいち構ってられないくらい、自分を忙しく追い込む。

達成せねばいけない目的とその期限さえちゃんと持っていれば、その目的達成のためにイライラ、悶々なんかは「必要無いもの」としてうまく消化できるんじゃないか?どうだ?(←自分に語りかけてる)

その目的というのは、本を読むでも、料理をするでもなんでもいいわけで、「時間の余裕」こそが最大の敵なのかもしれない。

ってなわけで、何故イライラ、悶々としてしまうのか?に対して無理やり結論づけてみた。

きっと明日にはこの結論が違うということに気づくかもしれない。
それでもいい。
これを書いてる今この瞬間の自分は、イライラ、悶々してないから。

…ってあれ?

「人を怒らせる才能」から「怒らないための対策」というテーマに変わってしまった…。


こういうところが人をイラつかせてしまうのかな…?