今年の夏に父が死んだ時の話

ついにこの日が来てしまった、と思った。母からの電話で「お父さん死んだ」と聞かされた。

その翌週の連休で、帰省する予定だった。父は近頃体調がよくなかった。それまではなんとか歩行器を使ってトイレに行ったり、食卓について食事をしたりしていたのに、ほとんど7月になってからほとんど寝たきりになってしまい、食べるものもアイスやヨーグルトを何口かとのことだった。コロナウイルスの流行で、しばらく小樽に帰っていなかった私は、看護師の姉に教わって父のおむつ替えをしよう、もしかしたら姉と協力すればシャワーくらい家でできるかな?など、腰の悪い母ができないことはなんでもやろうと意気込んでいた。その矢先だった。


父の死を知った翌日、夫が空港まで車で送ってくれた。子供たちは夫の実家へ。子供たちを連れて小樽へ行くか少しだけ迷ったが、コロナウイルスの流行と、幼い彼らがいる止められない日常を実家に持って帰りたくはなかったので一人で行くことにした。空港に着いたのは朝5時。早すぎる。売店もやっていないが朝一のフライトでどこかへ行く人たちがそれなりにいた。

父は自宅で静かに亡くなった。自宅で亡くなった場合は全て不審死扱いで警察が来て色々と調べるとのことだった。私が帰った時には母一人しかそこにはいなかった。遺体は警察へ。
私の父は94歳で亡くなった。57歳の時に私が生まれている。小さいころ、自分の父親が他の友達のお父さんよりも年をとっていると気づいた幼い私は、うちのお父さんは他のお父さんよりも早く死んでしまう!!と思って大泣きした記憶がある。結果大往生だったけど。

そういうわけで高齢の父は、週に二回デイサービスに通っていた。母しかいない、ベッドに誰も寝ていないその部屋は、普段通り父がデイサービスで不在である状態としか思えなかった。最近調子が悪いと聞いていたし、いつ何が起きてもおかしくない年齢だと頭ではわかっていたが、空っぽのベッドを見て、不思議な気持ちだった。

その日のうちに同じく帰省した姉と、母と私の三人で警察に出向いた。死に不審な点はなかったことや死因、死亡時刻を聞き、死後の処置をされた父の遺体に出会った。なんだか蝋人形みたいだった。口から綿のようなものが少しだけ覗いていた。
近くの病院へ死体検案書を取りに行き、更にその死体検案書を持ってまた警察に提出するという面倒くさい動きをし、市役所に何かの手続きをしに行った。この時は何をしたんだっけ??死亡届を出したのかもしれない。その後も役所に出向かなければならないことも多く、何がなんだか忘れてしまった。そうだ、父の遺体と一緒に葬儀屋さんの車で斎場へも行ったんだった。車中で私の横に棺があり、お父さんがこの中に寝ているのかぁ、と思ったそのとき涙があふれた。箱の中に横たわるお父さんを思った。

あと、葬儀屋さんなのにギラギラした腕時計、日焼けした肌、ツーブロックのイケイケな担当さんで、なんか不動産屋みたいな葬儀屋さんだなと思ったことを覚えている。愛想はないけど説明は丁寧で、なんとなく小樽の人って感じだった。いい方だった。

父の遺体はそのまま葬儀屋さんで一晩を過ごし、翌日私の夫と義兄も駆けつけてくれて、ほんの小さな家族の単位で父を送ることになった。棺の中には私の息子二人の写真を入れたけど、私と姉と母の写真も入れればよかったね、まあお父さんはそんなことに執着する人じゃないからいいでしょ、などとみんなで話した。顔に触っていいですよと葬儀屋さんが言ってくれたので、冷たい頬に触れた。その日のお父さんの口はきちんと閉じていて、微笑んでいるような顔になっていてうれしかった。いつも優しかったお父さんの顔。


 37歳にもなって、火葬場に行くのも初めてだった。火葬の前にお焼香を…と言われ「えっ作法がわかりませんけど!?」と思いつつ夫にコソコソ教わりながらなんとなくこなした。そして父は火葬された。人を燃やすのに数時間かかるという事実も初めて知った。ほかの死者の火葬を待つ人もいて、普通に携帯いじったりゲームしたりしている学生さんもいた。暇そうにぼーっとしているおじさんもいた。まあ大切な人が亡くなっても、24時間一時も休まずずっと泣いたり悲しんだりなんてできないよな、と思う。私も大切なお父さんを亡くしたけど、一緒に暮らしていなかったこともあり実感がそこまで沸かず、普通本を読みながら飛行機に乗ったりしたではないか。かくいう私たちも、家族でなんてことはない雑談をしたりしていたと思う。


父が大好きだった。幼少期は仕事から帰ってくるのが本当に楽しみだった。姉と二人で「お父さんが帰ってきた!」と大はしゃぎで家の階段から二人絡まって盛大に落ちたことがある。

お父さんと手をつないで寝ていた。

お風呂もかなり大きくなるまで一緒に入っていた気がする。学校の勉強も、面倒がらずにいつも優しく教えてくれた。


母よりも父のほうが心配症で口うるさく、思春期はいつもうっとうしいなあと思っていた。実家は駅から徒歩10分かからないくらいなのに、帰りが遅くなる時はいつも車で迎えに来てくれた。私が転勤で東京に行くことを誰よりも喜んでくれた。

僕は東京で仕事をしていた時が一番面白かった、よかったねと言ってくれた。

私の友達や彼氏にも、みんなに優しかったし、当然私の子供たちのこともかわいがってくれた。

お父さんがもっと若かったら、子供と遊んでくれて、なんでも買ってくれて、何でも買い与えすぎでしょ!と私に怒られるけど、めちゃくちゃ頼りになるおじいちゃんだっただろうなあと想像した。


私の子供たちが2歳と5歳で死んでしまって、もっと孫の成長を見せてあげたかったし、私ももっと恩返しがしたかったなと思うんだけど、父はたぶんそんなことまったく求めていないとも思うのだった。なんと自分の家族の葬式にも行かない人である。それは冷たいとか不仲とかではなく、人が死ぬことを当然のことと受け止め、フラットな気持ちで、「葬式」というものに意義を見出せないといった感じだった

。父みたいな人は私は他に見たことがない。24歳年下の妻(私の母)と結婚したこともなんとも思ってなさそうだったし、毎朝一番に起きて掃除機かけるのは父だったし、私が子供のころ生理で汚したパンツを普通に洗ってくれる人だった。


なんか不思議な人だった。さっさと天国に行って、さっさと転生してそう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?