「FPの頃」 4.版下作り。

 現代の編集作業にはこの「版下作り」という手作業での工程はありません。デジタル化の恩恵が大きいところです。
 私が編集部に入った頃はまだまったくのアナログで、本のページにある文字や図版、あるいは罫線等も全部手で作っていたわけです。版下用紙と呼んだ1ミリ罫の厚紙にロットリングというペンで罫線を引き、印画紙の裏にペーパーセメントという糊を塗って貼り、図版は紙焼きを作ってから貼り、写真であれば別版で縮小率等の指定を入れ、トレーシングペーパーをかけて製版指定を書き込み、製版屋さんに渡すわけです。
 大事な(?)ページはデザインルームのデザイナーさんたちがきれいに作りますが、私が担当していたようなページは自分で版下も作ります。これが慣れるまでは難しいし、慣れても仕上がりがデザイナーさんとは明らかに違います。しかも時間が数倍かかる。
(少し練習しないと…)
 と焦燥した私は、自腹で1本5,000円ほどもしたロットリングを購入しました。ロットリングは下手な使い方をしたりペン先から落としたりするとすぐにダメになってしまうので、会社のを使うのが怖かったからです。せめて線くらい引けるようにならないと版下は作れません。定規を当てて線を引く練習程度のことで何本もダメにした記憶が…。
 昼間にインタビューして帰社してから自分でテープ起こし、ページのラフを切って文字数を計算し、原稿を書きます。見出しは編集長のサイタニさんが考える場合もありましたが、自分で見出しも案出します。原稿を書き終えたら夜それをFAXあるいは自転車で持参して写植屋さんに写植をお願いします。本文は電算写植でしたが、見出し等は手動写植の時代でした。電算にない書体が多かったんですね。電算の写植屋さんにはFAXで送ります。そして数時間待つと、FAXが流れてきてそれで文字校正を行います。相手先のチェックが必要な場合はこの段階でお願いします。
 文字校正をきちんとやるという修正(習性だよ! そして意味的には習慣の方がいいよ! 校正について書いているところで間違える…)をここでつけておくべきだったなあとは後年に至るまで反省でした。真面目にやる気はあっても、ヘトヘトになっているところに深夜FAXで来た文字をちゃんと校正できていた記憶はありません…いや、当時なりに一生懸命にはやりましたが。
 私の担当ページではありませんでしたがお手伝いしたページに同人誌の通販コーナーがあったのですが、手書きの応募用紙を見て手書きで原稿用紙に住所等を書き写すのです。誤字誤植なんて発生するに決まっています。決まってますが、それでも毎月必死に書き写してあのページを担当していた編集は尊敬です…。
 文字校正をFAXで送り返すと朝には写植ができあがります。電算写植の写植屋さんは巡回で印画紙を届けてくれたりしました。足のない個人の写植屋さんには取りに伺います。先方も深夜の仕事ですから、大抵は仕事場のマンションに伺って誰もいない、あるいは寝てしまっている? 玄関に入って「いただいていきまーす」とか小さく言って取ってくるわけです。袋に入れてドアに貼り付けておいてくれる写植屋さんもいました。
 そこから編集部で版下作りに四苦八苦です。誤植を見つけてしまうと自分で印画紙を切り貼りして修正しなければなりません。表組み等は特に苦労しました。この修正作業には次第に慣れていって上手くなったなあと自分で思います。転職してから漫画の吹き出しに誤植を見つけても、新たに写植屋さんにお願いすることなく切り貼りして修正することができました。そもそも校正をしっかりやれよな、という話ですが。
 そしてインタビューから24時間ほどでそのページは入稿されるわけです。遅れると制作のAさんが私の席にやってきて「おまえさあ、今何時かわかってる? あ、そう。俺昨日、16時までに入稿作業しておけって言ったよね? もう印刷屋さんが来て待ってるんだけどさ? どうする? まさか何も渡さないわけにもいかないよな」という調子で叱られる日々でした。振り返ってAさんを見ることもできず、顔を伏せたまま「もうできます…」とつぶやきながら作業してました。

 必ずしも辛くはありませんでしたが「ああ、自分はこの仕事に向いていない…」と嘆く日々でした。

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