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共同体のために我々は何ができるか

我々が必ず守らなければならない不可侵でかつ重要な約束ごとは、共同体のためだけに生きて、淫らなものは全て捨てなければならないというものである。我々は偉大なる先祖が我々に残してきた素晴らしい伝統、共同体、知恵を後世に伝えて、永久に平和と幸福を語り続けなければならない。いかなるときでさえ、淫らな行為は許されない。生産的価値のない不要なものは淫らなものとして、人であったとしても物であったとしても捨てるべきだ。生産性のない不要な人間(無職、重度障害者等)は生かすべきではない。この世には排除するべき命がある。彼らを生かすことは永久に犯罪であり、価値のないことであり、人間の意に反する極めて失礼な行為である。
では、本題に移ろう。我々は共同体のために何ができるのだろうか。そもそも、人類のあるべき姿とはなんだろうか。多種多様な生物が生まれ、その中で環境に適応できたもの、子孫を残せたもののみが生き残り、繁栄する。これが進化である。我々が目指すものが進化だとしたら、医療は不要である。なぜなら、医療は病気になり行きられるか危うい者、先天性の病で生きていくには支援が必要な者が受けるものであるからである。医療は本来生物学的に死ぬべき存在(=生産性のない者、命に関わる難病を患った者)を生かしている。それにより、生産性のない遺伝子、難病を患ったものの遺伝子が受け継がれる。では、これの何が問題なのだろうか。難病を患ったものの遺伝子が受け継がれれば、その子孫も難病を患いやすくなる。そして、そのためにかかるコストは非常に高い。また、難病になれば生産性も低くなる。そのため、子孫繁栄できないようにするべきである。だから、医療は不要である。私はこのことから知識そのものが不要だと考える。知識は弱者を救うためだけにあり、不要な人間を生かそうとしている。生産の妨害となる。だから、知識は捨てるべきである。
生産性のない最重度知的障害者や無職(専業主婦等を除く)などが子孫を残すことは存在だけでも社会全体の生産性が下がるのに、それが増えることによりさらに生産性が下がる。今すぐに止めなければならない。人々がこれを容認することは先祖、共同体、社会に対する侮辱であり、失礼極まりない。最重度知的障害者は物を生産するにあたって不要な存在なので、死ぬべき存在である。無職も多くの場合において同じである。しかし、もうすでに時は遅く、彼らは子供を作っている。それは仕方がない。共同体のためには、我々は今すぐそのような生産性のない者に不妊手術または◯処分することを法律に明記するしかない。不要だからである。
しかし、我々が共同体のために排除するべきなのは重度知的障害者は無職だけではない。規則を守らない人、自分の欲求を抑えられない人、他人に対する思いやりがない人、共同体よりも個人を優先する人も排除されるべきである。これらは共同体の意に反し、生産性があれど社会の流れにおいては非常に大きな妨害になり、さらに淫らであるため存在してはならない。
このように、社会において不必要だと判断される者を排除したり、弱者を救うためのものを捨てることは共同体維持や向上のために必要不可欠である。我々はこれを実践することによって、真の人間となることができる。


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