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選択的夫婦別姓の議論の問題点について~「家」と夫婦別姓について~

無題

選択的夫婦別姓の議論について、私は非常に大きな違和感を感じる所です。

「選択的夫婦別姓に賛成か反対か。あなたはどちらか。」
「別姓の強制ではなく、選べるのだから何の問題もない。」
「"家に入る"とかの理由で姓を変えるのは古い。」
「いやいや、家族の絆のためにも、夫婦は同姓であるべきだ。」
「次は戸籍制度を廃止して、日本国家を解体するつもりだろう。」

・・といった議論を見かけますが、私はこれらの【議論】に全く賛成できません。

1.私のスタンス

まず、私は「選択的夫婦別姓には賛成」の立場です。

長年生まれ育ってきた「姓(せい)」にアイデンティティを持つのは当然だし、婚姻でそれを強制的に変更させられるのは人権侵害であって、主にそれを女性が被っているのは事実です。
従って、この問題は解消されなければならないのはその通りだと思います。その意味での「選択的夫婦別姓には完全に賛成」です。

しかし、それに至る【議論】に賛成できないのです。

本当に、「賛成か反対か」といった二者択一の単純な議論なのでしょうか?

2.私の置かれた事情

冒頭の写真は息子で、杉本家の11代目です。
そして、杉本家では偶数代目の当主は亀吉となるため、12代目の当主は「杉本亀吉」を名乗らねばなりません。
一方で、私は10代目なのに諸事情により「杉本亀吉」ではありません。
しかしながら、私の中では「私は本当は杉本亀吉なのだ」という強いアイデンティティがあります。
だからこそ、私の孫にも「あなたは本当は杉本亀吉なのである」という事は過去から引き継がれた者の責任として強く伝えていきたいと思うのです。
これを単なる「呪い」と指摘する人もいるかもしれません。
であれば我が国"家"において「あなたは日本人である」とする事もまた「呪い」とでも言いたい価値観になりはしないでしょうか。

選択的夫婦別姓を採用されると、例えば私の息子は結婚して子どもを授かった際、その子どもが「杉本」を名乗らないかもしれません。すると、果たして14代目は「亀吉」を名乗るでしょうか。恐らくそうならないでしょう。
同様に、マイナーな「氏」、例えばその土地と共に生きてきた道祖土(さいど)氏などは早期に消滅してしまうでしょう。

従って私も「当事者」として声を挙げさせて頂いている次第です。

3.この問題の根本原因は何か

あらゆる問題には、根本原因があります。
選択的夫婦別姓の議論では、問題の根本原因に議論が至って無いのだと感じます。だから私は【議論に反対】なのです。

明治より前は、氏、姓(かばね)、家、苗字は全て異なる概念でした。
しばしば「源頼朝の妻は北条政子であって、古来から夫婦別姓ではないか」といった主張も見られますが、北条政子は平政子なのであって、夫婦別姓("かばね"ではない)ではありません。「姓(せい)」は明治時代から導入された新しい概念なので、江戸時代以前には夫婦別姓もなにもあったものではありません。

明治政府は、それまでの封建的支配制度から、政府が国民を管理するための仕組みとして、明治8年に全国民に「姓(せい)」を名乗る事を強制しました。

その際、
「氏、姓(かばね)、家、苗字を全て統合して、新たに姓(せい)とする」
「戸籍+姓+名を主キーにしてデータベース管理する」
「結婚すると戸籍を一緒にして、どちらかの姓に合わせる」
という仕組みで、国民管理を簡易化しました。

諸問題の根源は、「この簡易化した仕組みがボンクラだったので、100年近く経った現在で問題が顕在化した」という事だと思います。

「戸籍制度は日本の伝統」というのも誤りで、明治政府以前はそのようなものはありませんでした。江戸時代の支配制度について「どこどこに住む誰べえ」という公的な名乗りや公文書的な記載方法を真似たのだと思いますが、現在は住んでもいない地名が付いて回りますのであまり意味のないものになっているでしょう。

そもそも、【戸籍+姓+名を主キーにしたデータベース設計】が、いかにボンクラなのかはデータベース設計者でなくても理解できると思います。

4.歴史的な背景を考える

前述のように、データベース設計についても問題がありますが、そもそも論として、
【共同体の永続を目指す概念である「氏」や「家」】

【自分の血筋や出自を示す概念である「姓(せい)」】
とを無理矢理に統合したままで議論する事には限界があったのだと思います。

議論が割れている最大の焦点であり、問題の根源はここではないでしょうか。
従って「家族の絆が弱まる」という議論にも、私は懐疑的です。そこではないと思います。

血筋を示す「姓」のみの是非について、選択的別姓が「賛成か反対か」と言う二項対立の議論を行う事は、先祖代々の「氏」や「家」の継続(ひいては国"家"の継続)への配慮が無いので問題だと申したいのです。
言い換えれば、明治政府による制度設計がボンクラなのに、そこを再考する事なく、現代の価値観のみで賛否を決めて良いハズがないと申したいのです。

かつて西ヨーロッパや日本がモンゴル帝国に占領されなかったのは、封建制に由来する「先祖代々の土地を守るために必死に抵抗した」という側面が大きいのです。
先祖代々の土地を守るという考え方は、名前では「氏」として現れます。
Patoriotismの語源は「父、父祖の、先祖代々の土地」です。

一方、国民同士お互いさまの気持ちという連帯感、即ちNationalismの語源は「生まれる、出産、自然の」です。これは「姓(せい)」の考え方に近いでしょう。

従って日本では、名前には「姓(せい)」の概念に加えて「氏や家」を示す概念の両方が含まれているべきだと私は考えます。
決して「姓(せい)」のみで統一して良いものではなかった、という事が【根本原因】のはずです。

5.ではどうすれば良いのか

選択的夫婦別姓の問題は、
「先祖代々の姓を大切にしようとする【先祖と子孫に関する気持ち】」
ではなく
「長らく生きてきた自分の姓名を変更し、それに伴う手続きをどちらかが一方的に負う【現代を生きる人のアイデンティティに関する気持ち】」
と言う事だと思います。

単に選択的夫婦別姓にして、現代を大切にする事で過去を無視すれば良いと言う問題ではないと私は思います。同様に、過去を重視して現代の問題を無視すれば良いと言うのも異なると私は思います。

先祖代々を思えなければ子孫の事を思えないのと同様、現代がなければそれもまた子孫の事を大切にできないので、【これらを両立する概念】が新たに必要なのだと思います。

例えばですが、新たに、
【姓】:血縁関係を示す概念で、選択的夫婦別姓とする。
【氏】:土地等と共に勢力的な一族としての概念(道祖土氏や徳川氏の場合など)
【家】:家業等により代々受け継がれて伝えていく概念(二代置きに当主が「亀吉」を名乗る家系や、代々当主が「源之助」を名乗る家系、他には明石家・市川家など)
【苗字】:自らの社会的なポジションに自他共に想起識別されるための概念(武蔵坊、神領、あるいは失本とか)
・・等と定義しなおして、設計しなおすべきだと思います。

主キーは、住基ナンバーにすれば良いです。
現在では高度に電子化されていますので、これらを用いたデータベース設計にそれ程コストはかからないでしょう。

また、普段の名乗りや手続きは全て選択的別姓で「姓+名」を使えば良いと思います。
例えば旦那の家族とかが何らかの理由で「あなたに家を継いで欲しい」とかなら、姓名の他に「氏」とか「家」とかを適宜追加できれば良いです。
「家」は複数保持できるし、息子が継いだタイミングとかで、何なら外せば良いです。新規申請もOKです。

・・こんな感じに柔軟にできませんかね?とか思ってしまいます。
もちろん、私が主張する通りに設計せよ、という話ではなく、「氏」「家」「姓」について、それぞれ議論して欲しいという事です。

6.最後に

江戸時代以前、「家」は血統によって継がれるものでもありませんでした。現代であれば、養子の他にも、親しい友人や家業における家族同然の優秀な従業員に継ぐのでも良いと思います。
(私の家系である杉本家もそうで、江戸時代後期、養子をいただいて"家"を継いでいる。このことは、姓と家の違いが理解できる今であればともかく、幼少の頃は認めたくない事実であった。これも「姓(せい)」に統一した事による問題だろう。)

このようにして「何とかして概念的共同体である【家】を未来に継続しよう」として努力する事は、私は非常に重要だと思います。

なぜなら「国民国"家"」を継続させる力の源泉に、「家」を継続させようとする努力が背景にあると考えるためです。
というのも、国家は「誰かが自然にやってくれているものであって、そのようなものが生じていて当然のもの」・・などでは決してないのです。
普段は空気のようなものだと思っているように見えますが、実の所、国民が「父祖から受け継いだもの」として維持・継続しようと努力しない限り、それは気が付くと破壊されて取り返しがつかないものになっているためです。

7.おまけ

オランダおイネは、職業として医師(恐らく日本初の西洋医学の女医)を務めるにあたり、「失本イネ」を名乗ります。これは武士のように偉くなりたかったから失本を名乗ったのでしょうか?

恐らく違って、本人が名乗りたいと言うよりも、医師と言う職業を務めるにあたり「周囲の住民が必要とした」のだと思います。そして、失本は「氏」でもなければ「家」でもありません。「シーボルト」から付けたので、現在の「姓(せい)」に近い命名だったと思いますが、当時はそのような概念は無いのですから、苗字といった所でしょう。仮に婚姻しても、「医師の時は失本」を名乗り続けた事でしょう。

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