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伊丹十三映画4Kを観る② 『お葬式』という事件

1980年代前半頃、ぼくは都内の名画座通いをしていました。池袋・文芸地下、八重洲スター座、銀座・並木座、大井武蔵野館といった、古い日本映画を連日上映していた映画館です。

その日は、市川崑監督作品を観るために、文芸地下を訪れていました。まだ開館前でしたので、一番乗りかと思いきや、すでに入口に並んでいる人がいました。その人物が誰であるかは、遠巻きからでもすぐに分かりました。伊丹十三氏です。トレードマークの帽子を被っていたと記憶しています。せっかくの機会なので握手を求めると、気さくに対応してくれました。
その後も、前述したような映画館に、伊丹氏はたびたび姿を現わしました。

それが何故なのかは、伊丹氏が映画監督デビューするという記者会見を見て分かりました。しかも「私の師匠は市川崑さんです」とまで明言していましたから、これはもう、監督業の準備の一環として観に行ってたんだな、と。当時は、あまりビデオ化もされておらず(されていてもシネスコの左右がバッサリと切られていた)、サブスクなんてものももちろん無いので、旧作を観るためには映画館が最大のメディアだった時代です。

そうして生み出された記念すべき第一作が『お葬式』でした。
俳優としての伊丹十三も好きでしたが、市川崑監督を師匠と設定しているとなると、崑映画マニアのぼくとしては、初日に駆けつけるに十分な作品でした。

『お葬式』は、おそらく誰もが予想しなかった規模の話題とヒットを呼び、当時も現在も、一定の評価のある作品であるかと思いますが、ぼく個人としては正直、「う〜ん・・・」という感想でした。

新しいことをやろうとしてる監督の意気込みは、十分に伝わりました。実際、題材から表現スタイルまで、これまでの日本映画の枠を超えている作品であるのは間違いのないことです。
しかし、どうも乗り切れない。笑えない。
例えばカーチェイスのシーン。葬式の映画なのにカーチェイスをやろうとする伊丹監督の遊び心は分かるのですが、あまりにも不合理なのです。カーチェイスといっても、単に山崎努のクルマから財津一郎のクルマにサンドイッチを渡すだけなのですが、土砂降りの中、あえてそれをカーチェイスとして見せるところに”新しさ”があるということなんでしょうが、「停めて渡せばいいだけじゃん」「サンドイッチが雨でぐちゃぐちゃでは?」と思ってしまうわけです。少しでもそう思わせてしまったら、カーチェイスの迫力も、カーチェイスを逆手に取ったギャグとしても、決して成功してるとは思えないわけです。

人物描写で言えば大滝秀治。棺桶を設置する方角に執拗なまでにこだわる人物として描かれていますが、もう一つ笑いに昇華しない。なんとなく、伊丹監督の影がチラついてしまい、引いてしまうのです。他の人物たちも、あたかも伊丹監督に操られているかのような気がしてしまう。いや、もちろん伊丹監督が演出してるわけですから、ある意味操っているのですが、それが見えすぎるのです。「面白いでしょ?」と。
そう感じてしまう場面が、ほぼ全体にわたっていたので、ぼくとしては「もう一つ」という印象になったのです。

いきなりネガティブな感想ばかり述べて来ましたが、『お葬式』を失敗作と断定するかというと、それは違います。
もし伊丹十三が『お葬式』一本で終わっていたら、上記の感想が全てだったでしょう。
しかし、言うまでもなく、このあと9本もの作品が制作されます。その原点として『お葬式』は、〈必ずや通らなければならなかった通過儀礼〉というのが、ぼくとしての評価です。
現在では考えられないことですが、まず『お葬式』というタイトルからして、縁起でもないという人たちが存在していた時代です。そうした空気を読まないスタンス自体、賞賛したいと思います。
時代ということでは、〈大人をターゲットにした現代劇〉が不足していた時期でもあります。
そもそも80年代は、若者を中心に、スピルバーグなどの洋画(アメリカ映画)の時代でした。日本映画で客が入る作品と言えば、角川映画、アニメ映画などが中心で、大人向けの映画としては、『二百三高地』『日本海大海戦・海ゆかば』『零戦燃ゆ』といった戦争映画や、『柳生一族の陰謀』『天平の甍』『空海』『利休』などの時代劇などが目立っていた状況です。
そこに〈葬式〉という、誰しもが身近に感じるリアルなモチーフを持ち込んだことは、当時としては画期的なことだったのです。
そればかりか、『お葬式』が持つ〈情報映画〉としての側面は、90年代に入ってから発生する「これまでのメディアではニッチとされてきたようなジャンルを、徹底した現場取材でレポートする」という、「別冊宝島」に象徴されるムーブメントの先駆け的な意味も多分にあると考えられます。
つまり、作品内容の評価に関わらず、『お葬式』という作品そのもの、伊丹十三の試みそのものが“事件”だったわけです。

さらに、監督伊丹十三としても、彼独自の表現方法を確立するための実験場としても機能したのだと思います。
いい意味で創作に貪欲な伊丹十三のことですから、『お葬式』の出来栄えに満足していたとは思えません。
よし、映画の作り方はだいたい分かった。次はもっと自分のやりたいことをやって、さらに世間をアッと言わせてやろう。
・・・と思ったかは分かりませんが、そう思えるような作品を、第2作として世間に投じます。『お葬式』というセンセーショナルな作品によって、否が応でも高まる期待に対して、監督伊丹十三が投げつけた次のボールは、タイトルを聞いただけでは何の映画か分からない作品でした。
『タンポポ』です。

(了)

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