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考えよう

10月の中旬、すっかりと読書の秋!といえるのではないでしょうか。
上の写真は、長野県にあるビーナスラインです。
開けていて本当に気持ちの良い場所でした。


さて今回は私がなるほど、と感じたことを皆さんにも考えてほしいなと思います。

『舟を編む』という小説は主人公の馬締(まじめ)くんが玄武書房で辞書を編纂するお話であるのですが、自分が知らない言葉について自分自身が体験しながら気づくといった描写がとても読者を楽しませてくれるそんな魅力があります。

ではここで私がなるほど!と感じたことですが、
『あがる』と『のぼる』の違い
みなさんは分かりますか?


小説では馬締くんの住んでいる早雲荘の大家の娘が登場するのですが、休日の恰好〈ジーンズとセーター〉を見て心拍数が上がるというシーンがあります。
ここで馬締は「これがまさに、緊張するの意の『あがる』だな」と気づくのです。
また、彼女から後楽園に誘われて鼓動に跳ね飛ばされ、魂が体から出てしまうかと思った馬締は、
「これがまさに、『天にものぼる気持ち』というものだな」と感得するのでした。


少し難しいかもしれませんが
「あがる」は上方へ移動して到達した場所自体に重点が置かれているのに対し、
「のぼる」は上方へ移動する過程に重点が置かれているのでした。

例えば、「あがってお茶でも飲んでいって」とは言うが、「のぼってお茶でも」とは言わない。重要なのは「お茶を飲むのにふさわしい場所(すなわち、室内という到達点)」があって、「庭先から家のなかへ移動する過程」にあるのではないからだというのです。

また、「山にのぼる」とは言うが、「山へあがる」とはまず言わない。登山とは、両の足で頂上を目指す行為全体を指すものであり、頂上に立った瞬間のみを重視するものではないからだ。
ここでひと段落かと思いきや、

「舞のぼる」ではなく、なぜ「舞あがる」と表現するのか。と馬締は気づいてしまうわけなんです。
その場合、「舞いあがって、どこへ到達したかが重視されているのではなく、上方へ舞うかのごとき「気持ちそのもの」に視点が置かれているのではないか。となると、気持ちはすでに、平常よりも、上方に到達した状態にあるのだから、上方への移動の過程を強調する「舞いのぼる」よりも、「舞いあがる」と表現するほうがふさわしい。

と「あがる」と「のぼる」のちがいについて、一応の決着を見た馬締くんでした。

「いやーなるほど」って馬締くん本当に脳内でこんなことを展開できるのか、、、と関心しましたが

それよりも娘の姿が車庫から消えていることに気づく馬締は「後楽園とか?」に答えずに考え込んでいたのでした。
せめて返事はしようよ^^

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