映画メモ: スポットライト 世紀のスクープ

昨夜観た映画は「スポットライト 世紀のスクープ」https://movies.yahoo.co.jp/movie/355060/

2002年、聖職者による性的虐待と教会による組織的な隠蔽という信じがたいスクープを米ボストングローブ紙が出した。

この映画では実際にジャーナリストたちが、立ちはだかる強大な権威カトリック教会の闇を暴くまでの奮闘を実話に基づいて描いている。

◎ブラックボックスの恐ろしさ

伝統的に権力があり、聖域とされ、限られた人しかアクセスが許されないクローズドな組織では、問題が発覚しても明るみにくく、それがじわじわと広まり、長年受け継がれてしまうのだと思う。おそらく性的虐待に限らず、そしてカトリック教会に限らず、こうした組織の闇は深そうだ。

聖職者という虐待と一番遠い存在であるべき人たちが、こういった罪を犯してしまうのは、本当に悲しい。しかし、人間が集まり、大規模な集団になった時、大なり小なり何らかの不正や不祥事が起こるのは必然だ。

民間企業では、近年になってからようやく、内部統制システムが義務付けられ、その重要性が高まっている。内部告発が権力にもみ消されずに届くようにホットラインが整備されたり、社内に独立した内部監査人がいて監視し、取締役は半数以上社外から選ばれ、全くの第三者機関からの監査をうける。公開企業では、そうした資料が常に開示され、投資家たちが監視している。

反対に、映画中のカトリック教会は、内部告発を徹底的に揉み消し、権威を利用して周囲を内部で固めて、裁判文書を削除し続けてきた。

そして残念ながら、こうした行為が行われている組織は、カトリック教会だけではない。宗教団体、学校、官僚、行政など、ある種の聖域化された場は、往々にして不正の温床になりえる。

◎ジャーナリズム、よそ者の力

映画の始まりは、ニューヨークからユダヤ人局長が送られてきた場面だった。そしてこれこそがこのスクープを生み出すきっかけでもあった。彼がボストンについて知識も人脈もなかった人間だったからこそ、最後まで冷静に観察し、強大な権威である教会に斬り込むことができたのだろう。これについては、同じくキーパーソンである被害者側の弁護士が、「俺は部外者だからできるんだ」と言っていたのが印象深い。

◎1つの事例から上流へ遡る

このジャーナリストたちが素晴らしかったのは、1人の神父が犯した犯罪から、教会組織全体の腐敗を暴きだしたところだ。

地元の神父が何年にもわたり、何十人もを虐待していたというニュースはそれだけでスクープだ。しかし「それを報道するだけでは、1人の神父が謝罪して終わりだ。教会のシステムをターゲットにするのだ」とユダヤ人局長が言い、デスクがそれを辛抱強く賢明に行った。まさに目先の利益に囚われず、ジャーナリズム精神を貫いて、社会を変えた例だ。

ここで大事なのは、1つのエラーを単なる異常として終わらせないこと。本当の問題は何か。川を上り、発生源を究明すること。

仕事でもおおいに役立ちそうだ。

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