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令和2年 noteをはじめてみる

男もすなる、日記といふものを、女もしてみむとて、するなり(土佐日記 紀貫之)

周りを見回すと、昨年末あたりからnoteを書き始める友人・知人が増えている。みんなが書いているnoteというものを、私もしてみようかなと思って始めてみる。

知っている人の文章を読むのは楽しい。

会話は、言葉以上に表情や声のトーンの感覚的なものが先にくる。そして、お互いが発するセンテンスのやり取りが刺激になり、繋がり、即興的にできあがる。

一方、書いた文章は、その人の関心で切り取られ、その視点から見えたモノが言葉の連なりで表現される。それが、私の中に取り込まれ、再構成されて初めて感覚的なものが湧き上がる。

友人たちのnoteには、リズム感や温度感がある。トピックは人それぞれだけど、確実に、対面で会話しているときとは違う、静かな、確かな、その人らしさがにじみでている。その人の心の声の色がでている。一つ一つは、ぼんやりとした明るさなのだけど、日を重ね、文章が連なると、その人の関心ごとが浮かび上がる。その人らしい方向性がみえる。それが普段の会話で見えるものと違うのがとても楽しいし面白い。書くことって、自分の輪郭をくっきりさせることなんだな。

友人たちのnoteを読んでいたら、私も何か書いてみたくなった。

noteで発信したいこと

我が家は来月高校生になる息子と夫の三人暮らし。私は家庭と仕事と平行して”家庭のマネジメント”をテーマに研究をしている。

日々の暮らしはその人の礎であり美の源泉でもある。そして、その暮らしを含めた家庭をマネジメントできれば、イキイキと楽しく生きられるのではと思っている。ここでいうマネジメントとは、一律で融通が利かない機械的で管理ではなく、実現したいことをなんとかしてやりきる手仕事のようなもの。そんな家庭のマネジメントの話とか、日々の生活で感じたことや考えたことを少しずつ綴っていきたい。

その中で、ぼんやりとしか見えない自分の関心の輪郭がくっきりしたらいいな。そんな想いで”noteというものをすなり”。

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