見出し画像

バカと言われ続けても、自分らしくあり続けた男の物語#3部完結作

みなさん、初めまして、スギコーと申します。

大手メーカー勤務でBtoBtoC向けに制作した商品を販売し、エンドユーザー様のご自宅に届けることが当社の販売モデルです。

 紆余曲折あり、更にはタイトルにもある通り、周りからは『バカだ』とか『頭がくるってる』と言われ続けながら歩んできた35年間のスギコーという男の物語をつづっていきます。最後まで読んでいただければ幸いです。

初めに
 私が今回このnoteを綴らせて頂こうと思ったきっかけは3点あります。

1、自分史を知ってもらい少しでも勇気を与えられたらと感じたこと
2、自分の人生における棚卸がしたかったということ

3、Twitterにてnoteの存在をしり、ブログと違う魅力を感じたこと

↑↑上記は私のツイッターアカウントです。よろしければフォローをお願いします。 

 このようなことから執筆するにいたりました。事実に基づき、ありのままを書き進めていきます。

1、自身の価値観が作り上げられたきっかけと時期

 私の人生とは『自分らしく』『常識を疑う』という2点を中心に構成されています。自身の価値観と他の価値観の衝突と融合、私の今までの人生における全てであると考えています。
 
この価値観を作り上げた最初のきっかけは幼稚園年長のとき。

「なんで、みんな一緒に遊ぶんだろう?」
「なんでみんなで一緒の事をしないといけないんだろう?」
 
「みんなで遊んだりご飯を食べるのはあたりまえのことだよ」

この【あたりまえ】という言葉にとても引っ掛かります。あたりまえってなんだ?自分にとってはそんなことないのに。

画像1



 こんな疑問を持ち始めて、周りとなじむのにものすごく苦労したのを覚えています。幼稚園の敷地を抜け出して、行方不明になるので何度も先生に怒られ、母は毎度呼び出されていました。

 けれど、ここで母は私に対して何も怒ったりはしなかった。母はとても苦労人のため、人の価値観を受け入れることがとても得意な人です。私を認めてくれる唯一の人でした。

 だから、自分らしく、日々の疑問と向き合いながら成長させてもらったのかな?と母には今でも凄く感謝しています。

2、集団価値観と戦い続けた高校時代まで

 この時代は自分にとっても暗黒時代の中に少しの光しかなかったぐらい苦しい時期でした。

画像2


 小学生になって、親の都合で九州の田舎に転校しました。田舎は閉鎖的(特に私の実家はそういう風習が根強く残っていました)で、最初は物珍しさに近寄ってくるものの、やっぱり、新たな価値観に触れるのが怖いのか、仲間には入れてもらえなかった。

 中学も持ち上がりでメンバーも変わらなかったので、ずっとなじめず、すごく苦しかった。いじめられて周りから必要とされず、自分のしたい事や、長所も分からない。
 
 人と同じことをするのが正義、そんな集団生活でした。そんな中、自殺をしかけたこともあります。それが母にみつかって泣いて止められました。なんとか生きるために頑張りなさい、と言われ、仕方なく生きていた感じが当時ありました。

 この時よく聞いていた音楽

19の【西暦前進2000→】
  ♪横を見ては、歩幅を合わせるだけで、楽しい自分を演じてた♪

 この歌詞を聞いて、当時の自分と重ね合わせていました。けれど、現実は自分じゃコントロールできないことばかり。楽しいふりをするのは誰よりもうまくやってたんじゃないかな。この頃は自分らしさを完全に失っていたと思います。
 
 高校生になり、少しだけ光が差し込んできました。それは、バスケットボールとの出会い。もともと野球をやっていたのもありましたが、自分には向いていないのは明白でしたので、部活を変えようとしていました。

 きっかけは後ろの席のS君。
 「身長まあまあ高いし、バスケ一緒にしない?」ただこの一言。
 何か気になり、一緒に練習に参加してみると、今までにないチーム感というか、だれでも主役になれる可能性に惹かれました。バスケットボールについては、書き出すと愛があふれきりがないので、別の記事で触れていきます。

 そんな高校生活でしたが、やはり、周りとの価値観はあまりあわず、なじもうと、溶け込もうとすればするほど苦しくなる自分がいました。

 県外に出ればまた違う価値観と触れることができるんじゃないか?
こんなことを考えながら大学受験をむかえ、九州を離れることとなります。

3、真の仲間と巡り会えた大学時代

 大学生になると自分の人生が一変します。ここには2つの自分らしさを出せる大きな価値観との出会いがありました。それは

1、お互いの価値観を否定しない、個性を理解しあえる集団
2、お互いの価値観をぶつけ合い、個性をまとめあげる集団



 否定せず、個性を理解しあえる集団は、お互い無理をせず集まりたいときにゆるーく集まる、そんな魅力的な仲間たちでした。

 出身地や血液型もバラバラ(血液型で人は判断できませんが、この仲間たちは露骨に出ていましたw)でしたが、まったく衝突せずに集まってはバカ話をして、お互いの弱みについて受け入れながら誰もが着飾らない、自分らしさを出しても誰も否定せずに一緒に笑ってくれる仲間たち。今でも時折ゆるーく集まる大切な仲間たちです。

 価値観をぶつけ合い、個性をまとめ上げる集団。この仲間たちは、バスケ部の仲間たちです。

 きれいごとじゃなく、まず意見を言う、そして議論に議論を尽くし、最後はみんなが納得して決定したら誰も反発せず目標に向かって猪突猛進。ひたすら練習し、絶対勝てないといわれた相手に勝ち、ともに抱きあって涙を流した仲間たち。

 うれしくて涙を流したのは人生で初めてだった。

 この集団でのルールはたった一つ、

「どんなにイライラしても、落ち込んでも、ネガティブ発言は禁止。ポジティブに切り替えてみんなが進む」

これだけ。これだけで集団が恐ろしくまとまる。

 審判のジャッジが気に入らなくても「ナイスジャッジ!」仲間がミスをしても「次がある!ディフェンスで取り返そう!」こんな素敵な発言でみんながまとまってた。

自分らしさを出しつつも、最後はまとまって目をキラキラさせながら進む仲間たち。今でも熱く語れる、そんな大切な仲間たちです。

初めて自分らしさをだして付き合えた2つの仲間たち。ほんとに感謝しています。

そんな楽しい4年間もあっという間に終わり、社会人生活を迎えていきます。

4、営業プレイヤーとして抗い続けた7年間

画像3

 
 ここからは社会人になってからのお話です。自分らしさの追求と共に人間とは何か?常識って何?そういったものを徹底的に追及するようになるのもこの頃からです。

 まずは新入社員で配属先が決まったとき。宮崎県に配属が決まり、当時は絶望しました。全国に営業所があるため、仕方のない事なのですが、知り合いもまったくいない土地に配属される。こんな不安なことはありませんでした。しかし、配属先へは同期と二人で行くことが決定。すごく心強い存在です。

 同期との10年間は別記事にできるくらい濃い内容がありますので、別仕立てで綴ります。

 私は営業職だったこともあり、さっそく担当を持ち、お客様と向き合うようになります。営業を始めて、すぐに疑問を持ったことが2つ

1、新入社員はかわいがられなさい
2、お客様には誠心誠意尽くしなさい


この2つは誰でも耳にしたこと、言われたことがあるのではないでしょうか?私はここに真っ先に疑問をもちました。なぜなら、

 新入社員だろうが何だろうが、私たちは会社の代表としてお客様のビジネスが成功するよう支援するプロ。その価値の対価としてお金を頂いているのではないか?
 
 人として誇れるビジネスをしていない人たちにまで、お金を頂いているからと言って協力する必要があるのか?それこそ不幸な人を生み出すお手伝いをしてしまうのではないか?

 上記2点の疑問を解消するため意識したこと

1、自分の扱う商材に関連する情報は毎日勉強し、お客様の前でアウトプットする。

2、認識や勉強している内容にズレがないかお客様の反応を見ながらチェックし、言い回しや声のトーンを変えて伝わるように工夫する。

3、「御社のビジネスですと、今のお客様の動きからこういった仕事の仕方に変えてみてはいかがでしょうか?」と恐れず提案する。

4、お客様のビジネスモデルに納得できない場合は、契約する前に徹底的に議論してあるべき方向性を探る。

その時はお客様からも、上司からも怒られまくりました。

・「社会に入りたての小僧に何が分かるんだ?」
・「君のやっていることは所長クラスがやることだ!新入社員らしく振舞え!」
・「だまってこちらの言うとおりに仕事したらいいんだよ!」

こんな罵声を浴びながら日々仕事していました。なぜ、新入社員はかわいがられなさいと上司が言っていたかというと、前任の先輩が、かわいがられて全国一の数字をたたき出していたから。3年目とは思えない実績でした。

「○○君だから仕方ない。ミスした分も在庫とるよ」
「○○君は面白いよね。今後も仕事頼むよ」

前任の先輩がお客様から言われていたのはこんなこと。
反対に私が先輩に対して感じていた感情がこんなこと

1、30歳にもなってミスを頻発する営業マンから買いたいか?
2、キャラだけで生き残っていけるのか?


上記から、私はあくまでお客様にこびない、と決めて自分を貫きました。しかし、口とは正反対で成果が出ない。

1年目・・達成99%
2年面・・達成100%
3年目・・達成101%

周りからはこんな言葉も。
「あいつ偉そうなこと言いながら対して実績出せないじゃん」
「やっぱりかわいがられてる○○君のほうが正しいよね」

画像4


毎日苦しかった。自分の考えが間違えているのか?どうしたら売れるのか?やはり可愛がられるのが正解なのか?寝れない日も続いたし、アレルギーがでて、全身がボロボロになった日も。

 精神的にもボロボロだった時、ひとつの出会いが。その方が「そのままの生き方でいいんじゃない?考え方は間違っていないから、あとはやり方を工夫するだけだよ。私は全力で応援するよ」と言ってくれた。

その方と結婚することになりました。

そんな言葉の一押しもあってからか少し考え方が変わった。私は法人のお客様が自分のお客様だと勘違いしていた。でも実際にお金を支払ってくださるのは、その先のエンドユーザー様。もっとエンドユーザー様に利益をもたらす提案にしよう。

ここから私の人生は急上昇していきます。お客様の言葉としては

「君から買ってよかったよ!」
「スギコー君がいなくなったら買わないからね!」
「君の提案で売り上げがかなり上がったよ!」

私にとっては非常にありがたい言葉でした。この頃には営業約50名いる支店でも常にTOP3に入る成績をたたき出しており、売上伸び2桁はざらでした。

この時、会社の常識や風習を変えることができた。次の世代に新しいスタイルを残せた、と思った瞬間でした。

 売れることは当たりまえ、自分の提案であれば誰しもが共感してくれる。なにより自分らしく仕事ができている。そんな天狗になっていた時期でした。

ここで一つ、転機が訪れます。

5、営業としての転機

 天狗になりかけていた私ですが、いわゆる【天狗の鼻を折られる】ことが勃発します。それは・・

井の中の蛙であることに気づかされる

 勢いで売り上げを伸ばし、過信していたことから、より年収のいい会社へ転職しようとします。年齢30歳。もちろん実績をあげることや、営業スキルに関しては自信を持っていました。他の業界の方からのお誘いを受けることも多く、いけるだろうと。

しかし甘かった。転職はそんなに甘くなかった。

ここで転職活動中に面接官の方から言われたひとことが私の人生を一変させます。

「君が実力があるのはわかった。お客様に向き合う姿勢も素晴らしい。けれど君がいなくなったらその会社はどうなる?お客様はどうなる?君が目指すべきは転職することではなく、君だけでなく誰もが売れる仕組みを作って、再現性高くほかの人もできるようになることじゃないかな?」

正直、衝撃でした。自分の考えがいかに浅はかだったか。いかに井の中の蛙だったか?そして、この人事担当者の言葉は私の現在の価値観を確立させる大きな原動力となりました。

ここから私の営業スタイルの変革が始まります。具体的方策がこれ

・法人のお客様がエンドユーザー様にどう訴求していただくかの徹底検証
 いわゆる軽いロープレです。
・ロープレの内容を資料化し、法人のお客様内で再現性高く実行していただけるようにすること。更には若手教育にも活用いただく。
・最後に、その資料はロープレが行われるたびに「更新して頂くこと」

2つ目までは誰でもできるのですが、3つ目が曲者。組織というのは、時間がたてば形骸化し、風化し、マンネリ化する。しかし、更新するという作業を一つ加えるだけで、大きく組織変革が起こります。

・更新者は聞いて文字化する力がつく
・閲覧者は更新された文章をみて変化した部分を読み取る力がつく
・更新する事がマインドとなり、生き生きした新しい発言が次々と出る
・更新された内容を実践し、フィードバックされる機会が作られる

このように、ひとつの作業を付け加えるだけで、これだけの利益がもたらされます。

最後にここで一番重要なことは

自分ごとになること

これが核心をついていると思っています。

法人のお客様が自身の力で売れるようになることで、私が動く回数がとてつもなく減りました。いわゆる売れる仕組みづくりです。その分、組織文化の育成やマインドについてお客様から、相談を受けることが多くなりました。

 ちなみに私のビジネスは物を売ることなんですけどねw

そして、ここから私は自分のキャリアプランについて深く考えることになります。

5、現在における自分らしさの追求

売れる仕組みづくりに没頭したわたしは、営業だと自分の担当者や所属している営業所だけにしか影響を与えられないよな。もっとたくさんのお客様に成功してほしい、その仕組みを提供したい!と思うようになり、本社営業本部への転勤を上司へ申し入れします。

 しかし、当時の上司からは「営業本部行くなんて馬鹿じゃないか?」「そんなやつ今まで見たことないぞ!」と言われ、周りからも、そういった目で見られていました。
 
そこから3年間営業としてモンモンと過ごす日々が続きます。

なぜ、前例がないことが認められないのか?
チャレンジを否定されるのか?

そこで私は気持ちを切り替え、営業本部から来てほしいと言われるぐらい、突き抜けてやろう!こう考えるようになります。

この考えが功を奏したのか、売上の伸びが異常なほどに上がっていきます。最後の年は

売上2億、利益1億を叩き出しました。

もっと突き抜けてやろうと突き進む中、とある一本の電話が入ります。

「スギコー、転勤だ」

えっ?いきなり??

「どこですか?」

しばしの沈黙。。

「営業本部だ」

開いた口がふさがらなかった。
ある種の不安と感動が同時に込み上げてくる。

みんなにそのことを伝えると、本当に喜んでくれた。私のキャリアプランの1つがかなった瞬間だった。

こうして、私のサクセスストーリーは続いていく。
現在も本部で自分らしさと、常識を疑いながら日々過ごしています。

画像5

6、まとめ

1、自分史を知ってもらい少しでも勇気を与えられたらと感じたこと
2、自分の人生における棚卸がしたかったということ

更には

自分らしく生きること。
常識を疑うこと。

以上の点を中心に、バカと言われ、頭がおかしいと言われた物語を綴らせて頂きました。

これからも、スギコーを応援よろしくお願いします。

【続編予定一覧】

・バスケ愛について
・営業編 より具体的なサクセスステップ
・大切な同期の存在 助け合った10年間
・企画職編 現在の立ち位置における苦悩

以上を予定しています。

お楽しみに。

最後までお読みいただきありがとうございました。

画像6


Twitterでは日々思ったことを発信しています。
宜しければフォローお願いします🍀


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?