コメント欄で「予期せぬ良」を発見されたい

YouTubeで動画を観ていると、
たまにこのようなコメントを見かけることがある。

「A君がB君のために椅子を引いてあげていて、
 とっても優しい」

このコメントは、その動画に出ているA君が、B君が座りやすいように
椅子を少し引いてあげるという
0.5秒程度のとても短いシーンに対してのコメント。
このシーンは、別に動画の主題とは全く関係もないし、
本人たちも(動画のために)意図的に行った事ではないだろう。
私はこういったコメントを「予期せぬ良のコメント」と名付けている。
この言葉の定義はそこまでハッキリはしないが、
「コンテンツを作った人の予期していない視点から 
そのコンテンツの新しい楽しみ方を発見する」というイメージだ。

一本の大喜利の動画を例に出してみよう。
出題者は「こんな学校は嫌だ、どんなの?」と出題し、
回答者は「校舎の形が、使徒と同じ」と言って
ホワイトボードに書かれたラミエルの絵をこちらに見せる。
大体20秒前後の動画、普通だったら
「授業受けるの難しそう」
「唐突のエヴァで草」
「絵の右下に小っちゃく綾波いない?」

などといったコメントが付きそうだ。
しかし、高評価順に並べられたコメントの中には、
「出題者の人の声好き」
「回答の間が完璧」
「後ろの棚にある置物、俺の母ちゃんが騙されて買ったやつに似てる」

というコメントも散見される。
このようなコメントこそ、私の言いたい「予期せぬ良」なのだ。
きっとこの動画を投稿した本人は、
大喜利の回答一本で楽しんでもらおうと動画をアップロードしたのだろう。
しかし、実際にこの動画を観た視聴者たちは、
声のかっこよさ、お笑いとしてのテクニック、自分の思い出との結び付け
など、本人が楽しんでもらおうと思っていない別の場所から
「楽しさ」を発見したのだ。

私も見つけて欲しい、予期せぬ良を。
自分が頑張って10個の「オモシロ」や「楽しさ」を入れた動画から、
100個の「オモシロ」や「楽しさ」を発見してもらえれば、
こんなに嬉しくてワクワクすることはない。
自分の動画を、自分の知らない視点から見られる。
やはりどんな見方であっても、自分の動画を観て、
ポジティブな感情を抱いてくれるだけでとても嬉しい。
それだけで万々歳。感謝。


最後に言っておくと、
上記の内容は完全に私の主観であり、願望だ。
世の中のクリエイターが、全員これを望んでいるとは限らない。
自分の伝えたいこととは違う見方をされて悩む人も居る。
表現が行き過ぎれば悪質なコメントとなってしまう。
これだけは分かっておいて欲しい。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?