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疲れた時は「他人のためにやらない」

よる7時。
仕事がひと段落して、小腹もすいてきて
そろそろ晩ご飯を作ろうかと動き出す。

冷蔵庫には、根菜一通りと鶏肉1パックが残ってる。
あと最近ハマっているキャベツの千切りが冷凍庫に
まだまだ残ってたはず。

「鶏肉根菜のスパイス炒めとコンソメキャベツでもするかー
あ、でも久々に唐揚げもいいな...人参も揚げると旨いんよな...」
とか思いつつ、とりあえずビールを開けて、飲みつつフライパンを火にかける。

そんな料理の仕方が大好きで
ひとり暮らしの時はよくやってた。

いや、前の家で同棲してた時も結婚してここに越してきてからもよくやるし
あまりお酒を飲まなくなった今では、飲まずとも
相変わらず、料理は楽しい。


でも、すごく稀に、仕事でとっても疲れてる時や
トラブルでソワソワしてる時は
そんな料理すらも、しんどくなっちゃう時があるんだ。

人だからしょうがない。そりゃ、そんな時もある。

と頭ではわかっていながらも
「なんで、こんなしんどい時におれが料理せんといけんのかなー」などと
思っちゃう時が、正直ある。
(※夫婦間のコミュニケーションとしては、お互いにこういうことあるはずだけど、基本的にしんどい時は「ごめん今日はしんどいわー」と言うことで何もしなくていいという共通ルールで解決してます!念のため!)


なんで、いつも私ばっかりしないといけないの?

そう思っちゃうことって、よくある。

仕事でも、このくらいの資料作っといてくれたらいいのになー
この調整ってそちらの仕事では....?? なんてこともあるし

洗濯物を家族分たたむの面倒くさいなって思うこともあるし

友だちと飲みに行く日程をいつも自分が調整してるなー
って思う時もある。


そんな時に、最近しているアンガーマネジメントが

「他人のためにやらない」

「先方がやってくれないから、しょうがなくこちらで資料を作る」
→「自分がこの資料あると便利だなと思ったから作る」

「家族の洗濯物を誰も片付けないから、たたんであげる」
→「後で自分が取りやすいように服をしまう」

「パートナーのために料理する」
→「自分が食べたいから料理する」

主語が他人から自分になると、すごく気が楽になる。
むしろ好きなことやってるんだから、ちょっと楽しくなりそうじゃない?


さらに良いのは
自分ごとに言い換えると目的がはっきりするから
手を抜けるようになることだ。

・自分がこの資料あると便利だなと思ったから作る
 = 言葉遣いや使うツールは自分がやりやすいもので良いし、やりたい時にやればいい
・後で自分が取りやすいように服をしまう
 =綺麗にたたまなくても人と種類で分けてカゴに投げ込むだけで十分かも
・自分が食べたいから料理する
 =晩ご飯食べれればいいのだから、お酒飲みつつ作ってもいいし食べたいメニューにすればいい


どうせ、気づいかれてないということは
他の人は大してこだわりを持ってないことが多い。

のに、そこに気づいちゃった自分は、色々考えて
「べき論」に乗っ取って動いちゃうから、しんどくなるんだ。


「他人のためにやらない」は、「他人のせいにしない」ということ。

この文章を書きながら
「他人のためにやってあげてる」って言葉は
すごく押しつけだし言い訳っぽいなぁと思った。

自分事だから責任を持とうなんてことは絶対言いたく無いけれど
何でも他人事にして、自分から遠ざけようとするのは
寂しいし、一度気になるとそれを忘れるのは結構エネルギー使うんだよね。


何事も自分事が最強のモチベーションを持つことができる。
1日24時間という限られた時間全てを自分のために過ごせたら
楽しさしかない人生なのでは?

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