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忘れられなかった「男」と雪の上に落ちていた椿の花びらと~Nina Ricci "Memoire d'Homme"~

フェンディの「Life Essence」を調べていたときにクリスティーヌ・ナジェルの「テオレマ」に出会い、それからナジェルの経歴を見た際に知った香水である。「Memoire d'Homme(以下MdH)」、そもそもニナリッチの中では数少ない男性向けの香水の一本でその後、男性向けの物は発売されていないのでニナリッチにとっては男性向けの香水として最後の作品となる。

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〈ボトル〉
デザインとしては長方形のガラスがズレて重なり合っているようなデザインとなっていて、透明感のあるブルーとブラウンの2色使いとなっている。今回手に入れたものは小瓶なのでスプレイはないが、60mLのスプレイ部分は蓋のない形式。フォント含めて2000年代初頭らしいシンプルでモダンなデザインで、個人的には「見事なデザイン」だと思う(理由は後のレビュー参照)

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〈香り〉
付けたてははっきりと言って凡庸、柑橘やベチバー、アンバー等によくある老舗ブランドの男性向けの香水にある「洗い立てのワイシャツに合うクラシカルな香り」で、失敗することはないだろうが個人的には苦手な香りに落ち込んでいるとスパイシーかつスモーキーな若干甘さのあるウッディな要素が段々と表れていく。そこがリコリスやオポポナックスのいわば「魅了する香り」なのだろうが決してアーシーになり過ぎることもなく、アーバンな雰囲気というか、洗練された印象で軽やかに香り続ける。その辺りから凡庸なのに何かが違う、癖になる香りで確かに忘れられない香り(記憶)といえよう。
ナジェルだけではなくパコ・ラバンヌの「XS」のロセンド・マテューとの共作でもあるMdHは、マチューの部分であろう「派手な」印象もあるが、ナジェルの香りに個人的に抱いている特徴、スモーキーな部分やどこかで嗅いだことがあるはずなのに何かが決定的に違う香調といった印象もこの頃から表れているといえる。その塩梅が絶妙、しかも消え方が上品でファッションフレグランスにしてはなかなか良い作品かと思う(スプレイでないのもあるだろうが)。

ナジェル作でメンズの香り、最近だと「H24」が挙げられる。個人的には「H24」も付けたての悲しいくらいの凡庸さ、だが時間が経てば経つほど、甘みのあるウッディの要素が出て複雑さを増していくのが特徴的だと思ったのだが、このMdHも同じような印象がある。ただその「複雑さ」という面では個人的にはMdHに群牌が上がる。

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H24のキャンペーンの一枚
少しダークでセンシティブな男性像というのはMdHと似ている

H24はその凡庸さからナジェルらしいスモーキーさとメタリックな要素といったクセが少しずつ表れて香り自体も段々と変化し強く香っていくのだが、MdHは最初の平凡さの上にクセのあるスモーキーなウッドの要素がただそっと重なるだけで、付けたての香りは消えることなく残っていく。そして、両者は混ざり合うこともなく二面性を保ちながら香っていく(しかも共に静かに消えながら)。その奇妙な「二面性(それはボトルからも分かる通り)」は「H24」だけではなくファッションフレグランスではなかなか見かけない。また同じくエルメスの「Terre d’Hermes」を想起させるとレビューされているのも見かけるが、これともまた違う印象で、TdHに比べるとMdHはダークな印象が強い。それこそCMのような曇り空、または薄暮の頃が合うような香りで、センシティブで独特な世界観はこの香水が発売された後の、ティスケンスによるニナリッチを思わせる。

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ニナ・リッチ、2007春夏キャンペーン。ティスケンスの頃のもの


ところで「Memoire d'homme」、本来なら「ある男の想い出」や「人々の記憶」のように訳すべきなのだろうが、日本ではどうも「想い出の彼」と紹介されていて、それでは若干意味合いが異なる気がする(そもそも「想い出の彼」という名の香水を自ら付けるのはなんとなく引けてしまう)。とはいえ、なかなか「洒落れて」いるのでそんな人は私にいたのだろうか、と思い出してみる。

それなりに成長しているのに髪がキューティクルが守られていてずっとサラサラだった男、綺麗な顔立ちなのに下ネタばかり言っている男、いつも目が「爛々」として作品を作っていていた男…等々、忘れられないだろう男どもが多々私の周りにはいたが、その中でこの香りを嗅いで思い出した男はそんな彼らではなく、そんな記憶の先にいたある男、中学の頃に通っていた塾にいた普段は粗野で横暴、しかもおしゃべりでただただ鬱陶しいのに、ある日だけは大人しかった男だ。というのもその日、塾に来る前の学校で喧嘩したらしく目の周りに痣が出来ていて、その痣は彼の色白い肌に痛々しく目立っていたが、それはまた雪の上に落ちた椿の花びらの如く、美しくも思えた。坊ちゃん育ちであるのは彼が通っていた学校や顔つき、雰囲気でわかっていたのだが、彼の家庭が非常に複雑であるというのはもっぱら風の噂。その日の妙に大人しく寂しげな姿にそんな噂も踏まえつつ勝手に彼に哀切さをも感じたのだが、次会った際はまた「嫌なヤツ」でしかなく、見事に踊らされてしまったかつての自分にバッハの「シャコンヌ」を授けつつ、この香りはそんな二面性を持った男、そして彼も時も既に私の元から過ぎ去ってしまったことを感じさせる香りなのかと気がついた今日この頃である。


こんな綺麗な音色のような想い出なんてないに等しいのですがね…

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