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日々の実り

春は地味に忙しくてなかなかnoteを更新できずにいたまま、気づけば前回の記事から3か月も経っていた。そういう時に限って知らない人に何故かフォローされたり、太古のテクノミニコミ(ネット上でそう記されたことがある)の記事がよく読まれたりするもので、いいねの通知が時々くる。いいねは嬉しい。ほとんどの人が足跡も残さず覗いて帰るというのに、わざわざ意志を残して立ち去ってくれる、良識のある素敵な大人って感じの読者がいるなんて嬉しいじゃないですか。で、どれどれ、貴方様がいいねと思った記事はどんな内容だったかな?……と昔の記事を開いて自分で読んでみると、特にたいしたことは書いていない。大体書いていない。そりゃあ足跡も残さず帰るわな、と思うのと同時に、大事なのは瞬発力で、そんなにかしこまった文章を書こうとなんてしなくていいのかもね、と気が楽になり、久しぶりに日々の音楽にまつわる出来事をだらだらと書いてみたくなった。コロナのなんやかんやと、昨年のオリンピックに関連した出来事や、友人の死や、戦争や、そういう事柄が生活にうっすらと暗い影を落としていたせいか、最近はなんとなく真面目なトーンで書いた文章が多くなってしまうのが悩みの種で。

春は何をしていたかを思い出す。そういえば3月にミツメとDYGLのツーマンライブを恵比寿ガーデンホールに観に行った。ここ数年はライブ自体をあまり観に行けなくなったなかでも、ミツメはわりとよく観に行っている。活動歴が10年以上あるバンドは曲の母数が多く、毎回どの曲を演奏するのか予測できないところと、曲のアレンジを突如ガラッと変えてくるところ、ライブでは特にファンク色が強調されるのもよい。そのあたり少し似ているのがOgre You Assholeで、以前はよくライブに足を運んでいたけれど、オウガの持つアグレッシブさよりも今はミツメの素っ気なさやシンプルさ、穏やかさとそこはかとなく滲みでる不気味さが、最近のメンタルがうっすら弱っている自分にはちょうどよく馴染む。

DYGLは2ndのリリースツアー以来だから2年半ぶり。ここしばらくはnever  young beachのメンバーをサポートドラムに迎えた5人体制でライブを行っていて、ギターの音数が増えたことでだいぶオルタナ寄りの厚みのある演奏だった。セットリストも以前とは違って、更に進化したDYGLを堪能できた気がする。直前にリリースされた初期曲の「Waves」(これがまたいい曲なのです)を披露してくれたのも嬉しかった。

DYGLのオフィシャルで公開された
当日のプレイリスト。
東京では「All I Want」と
「Summer Babe」は演奏せず

ライブは息子と行った。5年ほど前にDYGLにインタビューをした際に、当時まだちゃんと音楽を聴き始めることすらしていなかったうちの息子がYkiki Beatの曲を気に入っている、という話をボーカルの秋山氏にした場面をふと思い出し、並んで一緒に観ているのがなんとも不思議だった。そういえば3年前にCorneliusにインタビューをした際にも「……ふーん、息子いるんだ?何歳?音楽なに聴いてるの?」とポテチをポリポリ食べながら雑談をしている小山田さんに聞かれて、んー、サカナクションとかですねー、と答えたことがあった。その息子は昨年の大晦日にDOMMUNEのあの極上サウンドシステムでサカナクションのCornelius mixを聴いて以来、CornerliusやMetafiveのレコードに時々針を落としたりもしているし、どこで何が浸透して、いつ芽を出すのかはわからないものだなと思う。

しかし若い人はのめり込むスピードが早い。スポンジのようにぐんぐん吸収していく。前触れもなくWet LegのレコードやSay Sue MeのCDを買ってきて驚かせる。わたしはといえばWet Legのアルバム(よかった)を聴いてみて、ん?なんかShampooに似てる!と93年にSaint Etienneのレーベル〈Icerink〉からリリースされたシングルをゴソゴソと引っ張り出して聴き比べてみて、いや、そうでもないか……と空振ってみたり。いよいよ年相応の退化が訪れつつあるのを身をもって感じている。

『Painless』/ Nilüfer Yanya


今年に入ってからレコード類を増やすことにやや慎重になりながらも、新譜は少しずつチェックしていた。UKのSSW、Nilüfer Yanyaの2ndアルバム『Painless』が非常に良かった。Pitchforkなどで絶賛されたらしい1st『Miss Universe』は発売当時は正直そんなに引っかからなかったけれど、『Painless』はアルバム先行曲の「stabilise」や「the dealer」のリズムの躍動感と効果的に使われるギターのストーロークが耳に残って、興味を惹かれた。そこから他の曲も聴いてみると、あれ?この感じもしや……と思う箇所があり、調べてみたらやはりクレジットにBullionの名前を見つけた。BullionことNathan Jenkinsが関わっている数曲は、同じくプロデュースを手掛けたロンドンのSSWのWestermanの楽曲のややニューウェイブっぽい雰囲気と重なる。それだけでなく、いくつか読んだレビューでも引き合いに出されていたRadioheadの『In Rainbows』に通ずるゼロ年代の音像を捉えた質感が漂っていて、繰り返されるUKオルタナティブのしっかりと根を張った底力のようなものを感じた。聴き進めるうちに、取っかかりになる先行曲のあいだに配置されたわりと地味なタイプの曲に心を奪われながら、トータルで聴くことでどんどん輝きを増していく過程は、いつまで経ってもアルバムを聴く楽しさのひとつ。



YouTubeで動画をチェックしてみたら、最新アルバムの曲をサポートメンバー1名と演奏しているライブ映像を見つけた。音が最小限に減らされた分、曲のよさがぐっと伝わり、ハスキーな歌声が際立っていて、魅力の塊かよ!と大好きになってしまった。女性アーティストに「だけ」いちいち "ちゃん" を付けて呼びたがる奴らを拒むような、鋭い目つきも恰好いい。


5月の終わりにはこだまの森のフェス「FFKT」に行ってきた。「TAICOCLUB」時代からラインナップのよさが気になっていたフェス。ただ初夏の長野の夜中の寒さやキャンプが主流の山奥の会場は初心者にはなかなかハードルが高く、毎年決めかねていた。今回は直前になって行くことを決めて、夕方に最寄駅に着く時間を目指してゆっくり電車で向かった。駅からの小型シャトルバスは所要時間15分程度であっさり到着。入口やメインステージのSTEELまでの移動もスイスイと進んで、毎年行っているフジロックに比べたらなんて快適なんだ!と驚いた。
しかし日の暮れた会場はすでに寒い。しっかりとした上着を羽織って山の上のONGAKUDOというステージへ向かい、Petrolzを観る。意外なことに彼らのステージをちゃんと観たのは初めて。3ピースのタイトな演奏、めちゃうま!「Fuel」が生で聴けて嬉しかったのと、御多分に洩れずわたしも生の長岡亮介の色気にやられっぱなしだった。

再びSTEELに戻ってDos Monos。刺激的なVJをバックにステージ上でメンバー3人がテンポよく持ち場を入れ替わり、ヒップホップかと思いきやギターまで弾き始めるので、ああ、いま最もエッジの効いた音楽を観ている……!と興奮させられる。急遽出演キャンセルとなったLaurel Haloらの代打を務めるにふさわしい、国内トップの勢いあるパフォーマンスだった。
その後は想像以上にアッパーなテクノだったAndy Stottの重低音の振動を浴びている最中に、インナーダウンがまったく機能しないほどの寒さに襲われ、暖をとるべく買った豚汁を食べるために座ったが最後、足が冷えっ冷えで感覚がなくなり、慌てて出店で厚手の靴下を購入して生き返るなど。



少しでも動いていないと危険な寒さだと身をもって知り、奥地のCabaretまで移動してノルウェーのユニットSmerzを拝見。低温トランスサウンドに合わせて踊ったり踊らなかったりする怪しいパフォーマンス、その横で燃えたぎる薪が謎の儀式を演出していて、初めて来たにもかかわらず、つまりこれがこだまの森らしいステージってことか!と一瞬でフェスの本質を掴んだ感覚があった。しかし夜も更け、寒さと疲労が蓄積された状態でこれ以上ここに滞在するのは危険だ、魂が抜けてしまうぞ……とそそくさとONGAKUDOへ戻る。

スチャダラパーは優しい。秘境から実家に帰ってきたような安心感を与えてくれる。「アーバン文法」で幕を開けて「皆さんの知らない曲ばっかり演ってますけど」と『FUN-KEY LP』の曲を多めにバンドセットで披露する前半に続き、フェス対応の代表曲を粛々と披露し湧かせて終わらせる。満足度は高いのに貫禄みたいなものを一切感じさせない人懐っこさは、変わらぬセンスの表れだと思う。ダテにやってねーぜウン年目、だ。
D.A.N.は久しぶり。昨年リリースの『No Moon』からの曲を中心にノンストップでダンスのグルーヴを追求した、あっという間の40分。じわじわとあげて、さあここから、というところで終わりを迎えたので、深夜2時に夜空の下で精神的に放り出された観客たちが若干ざわついた。「SSWB」すらやらない攻めに攻めた貴重なセットリストだった。

少し仮眠を挟んで朝が来た頃に会場に戻り、Fumiya TanakaのDJを待つあいだに、山を登ってJohn Calloll Kirbyをちらっと観に行った。人もまばらな早朝の、小鳥のさえずりが聴こえるのどかなステージで、ひとり楽しそうにピアノを弾き語る姿が眩しい。ここで青葉市子を観たら最高だろうな〜とうしろ髪ひかれながら下に降りて、またSTEELへ戻る。
壮大な森の景色をバックにいつもの感じのハウス寄りのセットを披露するFumiya Tanaka。こんなに明るい時間に外でフミヤさんのDJを聴いたのは初めてかも。いやナチュラルハイ以来?27年ぶりとか?それはともかく蕎麦が美味しかった。

いろんなことが原因で自分も周りも無理をしなくなったけれど、大抵の場合は迷ったら行くのが正解で、ひとりになりたいと思っている時ほど人に会うと元気が出る。天候に恵まれたおかげで場内の移動も楽だったし、寒さ対策さえしておけばかなり快適なフェスだと思った。テントがあればなおよし。また行くような気がする。

その後しばらくして、フミヤさんのインスタグラムでFFKTの前日に愛知のフェス「森、道、市場」に出演した際の短い映像を観たら、Two Lone Swordsmenの「Sex  Beat」をDJで流している瞬間が映っていた。えっ、よりによってこの曲を、森道の、藤井隆とTHA BLUE HERBの裏のステージでかけたの!?テクノどころかロックじゃん……!と、変わらぬ姿勢に痺れた。 

一昨年Andrew Weatherallが他界した時に悲しくてしかたなかったわたしは、海外の有名DJが大勢の聴衆の前でPrimal Screamの「Loaded」を流して喝采を浴びるいかにもなパフォーマンスの映像を目にしてナーバスになっていた。その直後に帰国したフミヤさんが自身のパーティー「CHAOS」で〈Junior Boy's Own〉からリリースされたThe Chemical Brothers(The Dust Brothers名義時代)の「Song to the Siren」のSabres Of Paradise Mixを流すのを聴いて、粋なセレクトに思わずフロアで涙がこぼれた。追悼の仕方はそれぞれ違うけど、故人の偉大な経歴を把握したうえで何を選ぶかが信頼できる理由。表現としてのDJのすべてを理解できるとは思っていないけれど、言葉の少ないダンスミュージックにもメッセージがあり、解釈はオーディエンスに委ねられる。そこがダンスミュージックのいいところだとわたしは思う。勘違いだったとしても。


『I Guess Nothing will Be The Same』/ Liss


デンマークのLissというバンドの待望の1stアルバム『I Guess Nothing Will Be The Same 』が6月にリリースされていた。2016年にUKの老舗レーベル〈XL Recording〉から4曲入りの『First-EP』がリリースされたことが話題になった彼ら。当時の空気感からデンマークのSuchmosなんて私は呼んでいた。音はジャンルでいうとUKネオソウルとエレクトロニックを融合させたいまどきのインディーバンドという感じ。数年のあいだにシングルやEPを何曲も発表しながらもなかなかアルバムがリリースされない状態が続いたので心配したけれど、2020年の『Third-EP』は全曲が抜群にクオリティーが高く、そこで更に期待が膨らんだ。ただ、その後のLissの情報をまったくチェックしていなかったので、詳細やアルバムに関する情報を調べて驚愕した。ちょうど1年前の2021年5月に、ボーカルのSøren Holm が亡くなっていた。その直前に完成したアルバムは、彼の意志を継いでリリースされたという。あまりの出来事に暫く動揺しながらアルバムを聴くことになってしまったが、たとえ作品の背景を知らなくても彼らの1stアルバムは力強く、構成を含めすべてが美しい。




前述のニルファー・ヤンヤも参加しているこの作品は、4人のメンバーが揃って腕にバンド名のタトゥーを刻んだ時の写真がジャケットに使われ、楽曲の重要な要素であるLenny Kravitzにも似たセーレンの魅力的な歌声は、再生するたびに瑞々しく息を吹き返す。お気に入りのバンドの悲しい知らせも知らずに1年も過ごしてしまうほど小さな世界でわたしは生きていて、それでもLissの『First-EP』を購入して何度も聴いたり、ラジオの選曲で紹介したことは、日々大量に生産される音楽のなかで何か特別な縁があったからだろう。だから今からでも遅くはない。このアルバムが届くべき人にちゃんと届けばいいと願う。


会えるかもしれない、とわたしは思い続けることができる。会わなかった年月の分、年を取った彼らと。たぶんそれが、生きてる人と死んだ人の違うところ。
『わたしがいなかった街で』/柴崎友香


友人でも、ましてや知人でもない音楽家の死にいちいち心を痛めたり、都合よく何かを思い出して悲しんだりする。何年も忘れていたくせに、と自分の図々しさに腹が立ったり。忘れていたけれど、またどこかでその人が作った音楽に心を動かされたいと頭の片隅で実は思っていたのかもしれない。ただ、作品は形として世の中に存在することでまた何度も会えるし、いつまでも残る。残り続けるためには、残すための意志と、語り継いでいく言葉が必要だと思う。


今年の3月に山本アキヲさんが亡くなった。様々な名義で活動していた音楽家で、90年代の日本のテクノを創りあげた重要な人物のうちのひとり。アンダーグラウンドなシーンのなかで、知名度ではなく評価の高い、理想的なミュージシャンだった。

『Version Citie Hi-Lights』/ Tanzmuzik

好きな作品はいくつもあるけれど、とりわけTanzmuzikの『Version Citie Hi-Lights』。日本のテクノのアルバムではいちばん好きな作品で、いつ聴いても初めて聴いた時の興奮が蘇る。そういう特別なアルバムはなかなか現れない。

それから〈とれまレコード〉からリリースされたAkio Milan PAAK名義の『Lamborghini EP』。
Claude Young のDJ-Kicksでも使用された「Urraco」収録。レーベルを活性化させる転機となったクレイジーなダンストラックが3曲も入った名EP。

そしてHoodrumの貴重なMVがタイミングよく田中フミヤのオフィシャルYouTubeにアップされている。何度も観たわたしも、まだ観ていないあなたも。





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