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HAPPY PROMENADE

 ハッピープロムナード。とか言っても誰も知らないとは思いますが、94年12月18日に原宿のホコ天で行った、私達の仲間内のイベント。え〜内容は「ラブリーな人たちによるピースでハッピーなハチャメチャ野外テクノイベント」って、たったいま私が勝手に考えたんですけど、バカっぽいかしら?でもやっぱりバカなんじゃない?みんな結局、楽しいことが大好きで変に気取ってないもんだから、人生やKLFやデイヴ・クラークやLFOやオザケンまでかけちゃう。それを聴いて両手を挙げてギャ〜だって。日曜の昼間に。だから私たちはクラブで騒ぐときに「いまここで奇声を発したらちょっとカッコ悪いかしらん?」なんて、いちいち考えたりしない人間だってこと。
 ライブもやったりして(かなりいい感じ)雰囲気もわりといいし、あとは技術と客のみ!ということで次回のイベントは「FANTASIA」で、なあんと(95年)1月6日の夜からぶっ通し2DAYS!場所は幕張の海浜病院前の検見川浜の「F」マークのあるところ。詳しくはレコード屋のフライヤーをチェック!私も目指せ女・田中フミヤ、追いつけ追い越せサスキア嬢をモットーにDJ頑張りますのでヨロシク。新年早々楽しく踊りたいかたはぜひどうぞ。

(1994年 シュガースウィート第1号)

 1号で紹介したハッピープロムナードっての、覚えてます?私も参加しているホコ天のイベント。それが今度から毎月第3日曜日に月イチで行われることになりました。おめでたい。
 95年3月は19日に決行。天候がよくない、Macの調子が悪くライブが中止、などトラブルもありましたが、みんななんとか楽しんでくれたご様子でとりあえず成功。ラスト、DJブースが濡れないようにみんなでシートを支えながら踊ったあとにかかった「虹」には結構グッときてしまいました。あ、DJ KOURAはいいですよ。彼のようなモロ卓球出身(電気のオールナイトニッポンのオススメコーナーがきっかけでテクノを聴き始めた人)のDJがこれからわんさか(は怖いか)出てきたら面白いと思うんだけど。
 いまのところ外国人と奇妙なオヤジに人気なのが笑えるけれど、でもやっぱり若い人に来てほしいっす。だってさ、ホコ天だよ?野外だよ?日曜だよ?無料だよ?そりゃお得だ、って思わない?え〜行く行く、って思わないの?思ったらぜひ買い物ついでにでもCISCOの帰りにでも寄ってみてくださいな。ホコ天のいちばん最後のあたりで異色な連中がガンガン踊ってますから。いつかたくさん人が集まって、ラブ・パレードの1000分の1縮小版イン・トーキョー、みたいなのができたらすごいかも。あんなに自由にできる場所をほっといたらもったいないと気づいた人はいたとしても、実行した人はいなかったでしょ?これなら中学生も外泊禁止の人も安心して来れます。次回は4月16日です。私もほんのちょびっとDJやります。

(1995年 シュガースウィート第3号)


 ハッピープロムナードのことは前に何度かこのシュガースウィートでも紹介済みで、もうしつこい手前味噌はやめろと言われるかもしれないけど、今回だけは宣伝でもなんでもなくホントに書かせていただきたい。ハッピープロムナードは本当にすごい!!!!
 何がすごいって、やっぱりこれは来た人にしかわからない。日曜の昼にあの場所で若い男女(外国人含む)が無我夢中で踊り狂ってる。奇声を発しながら。その中のひとりが自分だとしたら?みんながニコニコしているとしたら?

 しかし95年5月21日の第4回ハッピープロムナードの盛り上がりは、最初から異常なくらいでした。MANIAC LOVEから流れてきた人が多かったのに、みんな元気。踊りまくり、はしゃぎまくり、写真撮りまくり。なんて健康的なの。やっぱり外はいい。その場の状況がよく見えるので、熱気というものがダイレクトに伝わる。
 それに刺激されたか、DJのほうもかなり気合が入っている様子で、YAMADA氏のハウス、HIRAYAMA氏のゴア入りトランス、HAMADA氏の演歌トランス、KOURA氏のギャグDJはどれもステキ。94年12月の第1回目に比べると、客の質、量、DJのクオリティ、全体の雰囲気が驚くほど確実に成長していっている。しかも1日に身長が10センチ伸びちゃうくらいの速さで。
 週間予報でも1週間前から雨マークがついていたようなあやしい天候だったけど、雨なんて全然降ってない。もう、それだけで嬉しい。万が一、雨が降ったときのためにと、ホコ天の道路じゃなく隣の公園の入り口の歩道橋の下あたりでやったのが正解でした。音もよくてほんとにキモチイイ。

 夕方に近づいてもその場の興奮は冷めず、知らない人と手を繋いだり抱き合ったり。ハッピーもいいかもねえ、と思っていたときになんと!朝から遊びに来てくれていたTOBYさんが、自らDJをやりたいと申し出てくれて、急遽トビ入りで参加することに!それだけで大歓声モノなのに、マイク・ヴァン・ダイクMIXの貴重なレコードをかけてくれたりで、たまらずその場の熱気が5度は上がった。ああこれはきっとラブ・パレードだ。私が想像しているラブ・パレードはこんな感じだ。ただここはドイツじゃなくて、ここでDJをしているのはスヴェンじゃなく、TOBYさんなだけだ。あの場にいた人で、私のこの表現を大袈裟だと思う人がいるのでしょうか?
 再びDJ KOURAに代わり、信じられないくらいすごい状況。踊っていた人全員で大きな輪を作り始め、とうとう泣き出す子まで。いよいよラストというときに遠くから聞こえてきた「虹」。もう喜びというより感動というより、どうすることもできなくてみんなが泣いた。あの音が声が歌詞がその場を恐ろしいくらいに取り込んで、もう何が何だかわからない。TOBYさんを歌うお兄さんにして、全員で大合唱した。

 これは書いておかなくてはいけないことだけれど、あのとき見えたものはテクノの可能性ではなくて、テクノに関わる人間の可能性だったと思う。日本じゃいつまで経っても普及しない(するわけがない)クラブ・カルチャーじゃなくてもこういうことができるじゃないか。この日わたしはいろんな人に「ありがとう、ありがとう。」と抱き合いながら言われたけれど、楽しんだのはあの場全員のおかげだったんだから。
 自分たちのイベントをこんな風に自分で書くことははっきり言ってあまりかっこよくないことだけれど、こういうことを書いておかなきゃミニコミなんてやっている意味がないと私は思う。このイベントのスタッフでいられることが私は本当に嬉しい。そして、つい半年前に仲良くなったばかりの人たちがこのイベントのスタッフに私を入れてくれたことに大感謝。

(1995年 シュガースウィート第4号)

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〈HAPPY PROMENADE〉はその後、1996年1月の原宿の歩行者天国(ホコ天)の廃止に伴い、やむを得ず終了した。その直後の96年2月には、スタッフによるデモ行進が企画された。

(※デモ行進に伴うこの声明文は私が書いたものではなく、本人に確認が取れないので掲載することは少し迷ったけれど、これはいま読んでも素晴らしい文章だと思うので、勝手ながら使用させてもらいました。)

しかし、このサウンドデモは大雪の影響で延期になり、結局は数ヶ月後の1996年6月に決行された。その様子を書いた記事が96年発売の『ele-king』vol.9に掲載されているので、まだお手元に雑誌が残っているかたはぜひチェックしてみてください。

#音楽 #テクノ

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