2021年の夏休み
新しい曲をApple Musicで聴いて気に入ったものをどんどん追加していくプレイリストを去年の1月から月ごとに作っていて、あとで忘れた頃に改めてチェックしたり、そのときの気分の傾向を振り返るのに結構役立てている。ふと先日、今月のプレイリストは……とライブラリを辿ってみると、どこを探しても今年の8月分が見つからない。そういえば作っていなかった。Apple Musicはほぼ毎日使っているので、あれ?と思い履歴を確認したら旧譜などは再生しているし、家で過ごすことの多い今はCDやレコードをゆっくりと聴く時間も増えたので、別に音楽を聴いていないわけではない。けれどこのプレイリストがわりと自分の心身のバロメーターになっているところがあり、新しい音楽を聴き漁る貪欲さがあればあるほど元気な証拠で、ここ数ヶ月は追加する曲が減っていたのにも薄々勘づいていた。それがなんと、8月はゼロ。
マリカ・ハックマンのレコードを迷ったあげく買わなかった話や、春に発売されたミツメのアルバムのことなど、最近聴いている音楽についての雑記を書いて、途中で続かなくなって下書きに入れたまま数ヶ月放置していた記事もあるというのに、7月の半ばからずっと気を揉んでいた小山田圭吾の件について書いておこうと決めたら一心不乱に取り掛かり、仕事と家事の合間のわずかな時間を使って夜も寝ずに2日間で5千字以上の文章を書き上げていた。あんなに全然、何も書けなかったくせに。没頭するのはそのプロセスが正しいからだ、と私が敬愛する人が以前書いていたけれど、はたしてそれが正しかったのかわからない。書いてはみたものの、まったく気分は晴れなかった。
晴れなかったけれど、noteは異例な読まれかたをした。アクセス数に関しては他の記事に比べてさほど多くなかったのに、反応は大きかった。優しい人が大半だったけれど、覚悟していたとおり、ここに記すのもためらうような酷い言葉も送られてきた。行き場のない感情はどこかを彷徨って、形を変えたり誰かを傷つけたりするものだ。でも考えが違うからといって見ず知らずの相手に対し、汚い言葉をそのときの気分で見境もなく投げつけてくる人の気持ちが私にはよくわからない。立っている場所が違うから、見えているものも思いの強さもそれぞれまったく違うのは当然だと思う。だからこそ今回、記事を読んだ数人の方々からサポートをしていただいたことは嬉しかった。もちろんお金を貰うつもりで書いたわけではないけれど、コーネリアスの音楽を守りたい気持ちに少しだけ価値がついたような気がした。せっかく関係者やコーネリアスをよく知る人たちが沈黙を貫いて耐えているのに、あの件に関してファンの立場から意見を述べるのは「火に油を注ぐような余計なこと」だったのかもしれないし、じゃあ黙ってコーネリアスの音楽と名前が次々と消えていくのを眺めているのが正しかったのか、また昔のように見て見ぬふりをして静かに離れていけばよかったのか、そもそも正しいことなんてあるのか?と、結局そのあともずっとずっと考え続けていた。去年から続いた虚無感を乗り越えるために気を紛らわせながら保ってきた心が、一瞬で押し潰されそうになる8月の半ばだった。
Everybody wants to have their say
Forever waiting for some car crash
I need a little time out
I need a little time out
From me
And you
7月の初めは『FOREVER DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER』が完成して、さあこれからどしどし発送、という時期で、水曜日には『FLAG RADIO』を聴いて、金曜日の夜は『サ道2021』を、土曜日の朝は『デザインあ』を観てから出勤し、もうすぐMETAFIVEの新譜が出るなあ、ライブも楽しみ、コーネリアスのライブも1年7か月ぶりだ、フジロックどうしよう、なんて感じで、楽しい思い出がひとつもなかった去年の鬱憤を晴らすべく、今年こそ充実した夏がくるぞ!と期待に胸を膨らませていたはずだった。7月の15日くらいまでは。たかが1ヶ月、2ヶ月のあいだに気分がこれほど変わるものかと思う。そういえば『FOREVER DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER』の発送作業をした日の帰り、一瞬だけ私が夜の暗い車中にひとりで取り残されたことがあって、そのときカーラジオからはフィッシュマンズが流れていた。もしかするとそこで時空が歪んで、私は90年代に取り残されてしまったのかもしれない。湿気を含んだ重たい空気がまとわりつくような長い長い夏を過ごした。
8月の終わりに耐えきれなくなって外に出た先で、偶然なのか必然なのか、昔の友人と出くわした。しばらくたわいもない話をしたあとで、「一昨年は瀧が捕まって、去年はアンドリュー・ウェザーオールが亡くなって、今年はコーネリアスがあんなで、もう散々だよ。」と私が言うと、ハハハッと大きな声で笑った。10代の頃の友人はいい。私が深刻ぶって溜息をついたりしても、笑い飛ばしてくれるから。その日の夜、奇しくも電気グルーヴの復活を観た。感極まって泣くかもな私、と思ったのに泣かなかった。泣く場面なんてひとつもなかった。電気グルーヴは楽しそうに笑っていた。配信を観たあとでうちの息子が電気を気に入ったらしく、家のCD棚を漁り出した。えっ、このCD、30年前からあるの!? 30年前ってヤバくない!? と驚かれた。そこで30年前の8月に、日清パワーステーションで初めて電気のライブを観たことを急に思い出した。……ピエール瀧の不思議ナイトだ!2ヶ月前の気分はすっかり忘れてしまったのに、30年前の出来事をまるで昨日のことのように思い出す、2021年の夏休みの終わり。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?