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私の文章はお金にならない

少し前にnoteから、今後は売上金の預かり期間が設定されることになりますよ、という旨の変更の連絡がきた。無料記事しか作成していない身ではあるけれど以前何度かサポートして頂いた記憶があるし(そう、できるんですよ、サポートが)、ついでにダッシュボードを確認したところアクセス数の全体ビューがなんと10万6千(!)を超えていたので、noteをはじめて早4年、もしかしたら意外と貯まっているかも……?と淡い期待を胸に抱きつつ売り上げ履歴をそっと開いてみると、CDが1枚買える程度の金額が表示された。


私の文章はお金にならない。それを自分が一番わかっているからこそはじめから無料マガジンにしているので、特に落ち込んでいるわけでもない。それより私の知らない人たちが今まで10万回以上もこのnoteを開き、足跡も残さず、ハートマークも押さずに(そう、押せるんですよ、♡マークを)ただ静かに去っていくところを想像して世界の広さを実感し、謎の感動すら覚えた。もちろん他のSNSを通じてシェアをして貰うことも多々あるけれど、私の元にきちんとした通知で届くのはお金と貴方のハートだけ。「お金がすべてだぜ」と言い切れたならきっと迷いも失せる、だろうか。キリンジの歌を口ずさみながら、サポートをしてくれた数人の方々や恥ずかしがらずにハートを押してくれた167分の1ほどの勇気ある人たちに少し感謝をした。

お金にならないからといって価値がないとは思っていない。私は基本的に音楽のことについてしか文章を書く気にならないのだけれど、まず音楽自体が非常に価値のあるものだから、その出会いはどれも大切で、何か特別なものを受け取ったからにはどんなに微力だとしても言葉に変換して残しておく意味があるとずっと信じている。それはもう高校生の頃から一貫して思っていることで、誰かがその魅力を伝えてくれたから惹かれた音楽が私には沢山あり、聴いた証のようなものを同じようにどこかに残しておきたい気持ちが強い。このnoteの中でアクセス数の多い記事は90年代に書いたものばかりで、みんなやっぱり昔話が好きなんだなあと思うけれど、それは全て当時の自分が考えていたことを真っ直ぐ受け取ってその都度綴っておいたフレッシュな記録で、今の私が思い出して捻り出そうとしてもなかなか出てくる言葉ではない。よくこんなことを平気で書けたものだと他人事のように驚くような文章もあるし、僅か4年前の記事を読み返しても同じように感じることがある。そしてそのとき読まれなかった文章があてどなくうろうろと彷徨い、数年後に誰かの目にとまり、答えを見つけて勝手に動き出し、立ち止まっている自分の背中を押したりする。

私の文章は成り行きで時々お金になることがあるけれど、お金になる文章を書くことの苦労を身をもって知ったからこそ、専門的な知識を持ち生業にしている人を心から尊敬しているし、感謝している。本当に。そのうえで何が好きか、何がやりたいのか、何ができるのかを今年はずっと考えていた。以前まえがきにも書いたように、誰にも聞いてもらえないことをどうやったら聞いてもらえるのか考えて書くのは楽しい。高校生の頃みたいに規制のない自分だけの小さなメディアを作りたい、と今でも強く思う。いろんな人がいて、いろんなことを言うよ。私には鋭い批評やシーンの総括のような質の高い考察はまったく出来ないけれど、その瞬間の自分の感覚を自分の身の丈に合う言葉で切り取って張り付けておくことぐらいはまだやれるかもしれない。それはお金にならないし、たいして世の中の役には立たないかもしれないけれど、少なくとも自分の心を確実に動かす。目の前を10万人の人々が行き交う中で、数百人が足を止めて覗いてくれるような世界なら、希望があるような気がする。何もしなければゼロになる。


私はいつも好みの音楽に出会うと周りが見えなくなって浮かれてしまう。そもそも頼まれてもいない、誰が読むかもわからない文章をつらつらと書き綴っている行為自体が調子に乗っている状態だし、だいぶ浮かれているんだと思う。できれば永遠に浮かれていたいから、売上金の期限が過ぎる前にCDを買うことにする。そしてまた飽きもせずどこかに書くのかもしれない。返事じゃない言葉を。

なんとなく、キリンジの気分です。

#音楽 #エッセイ

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