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魔法的のはなしのまえに

後悔している。やっぱりこの日の前にちゃんといろんな気持ちを思い出して書き留めておけばよかったと。

フリッパーズ・ギターが解散してしまい、その思いをぶつけるためにミニコミを作ったなんて言ってたくせに「音楽殺人」は手元に残っていないし、せっかく躊躇せず夜も寝ずにあーだこーだと書いてきた物のなかに、自分の核になる小沢健二について書いた文章がほとんどない。

自分の「シュガースウィート」では『球体の奏でる音楽』についてなぜか「(ハーバートの)ドクター・ロキットみたい」と書いた小さなレビューのみ、それから雑誌「エレキング」での「春にして君を想う」について書くところでは、シークレットで収録された「ある光」についてのレビューにほぼすり替えてしまい、

「充実したメロディーと、抽象的だからこそぐっとくる言葉の並びで自問自答のように繰り返される歌詞、掻き鳴らすギター、そのうえ途中にお得意の語りまで入るのにロック特有の臭みがない!ポップスとして洗練されてる!でも芯が強くて若さがみなぎってるからロックかもしれない!」

と、大好きな曲ですらこんな感じでなるべくふざけようとしていた頃の自分に腹も立つけれど、たぶん23歳なので大目にみてあげようと思う。

さて、長くなりそうな予感に怯えながら話を。ふー。

小沢健二のツアーに行くのは実は初めてで、行けることが決まってからはずっと緊張していた。ソロデビュー時の野音のフリーライブに出向いてはいたが、正直なところよく憶えていない。何しろフリッパーズ・ギターの全てが大好きだったので、スタジオミュージシャンみたいなおじさんを集めるのは嫌だとバックバンドに女の子を選び、アニエスb.を着て鼻をつまんでた「僕ら」の1人だった人が、おじさんバンドを従えてTシャツにジーンズ姿で登場し、急に男臭く荒ぶり「俺」と歌い始めた時の衝撃たるや。どう受け止めるべきかわからない、自分が好きだった音楽は真っ二つに割れてしまった……と勝手に傷ついて、フリッパーズ・ギターに未練だけが残った。

……いつまでもフリッパーズフリッパーズうるさいぞー、と思われるでしょうが、小山田圭吾の曲&歌に小沢健二の歌詞が乗ってるだけでもかなり素晴らしいのに、『ヘッド博士の世界塔』なんてサロン・ミュージックの人がプロデュースだぞ!(サロン・ミュージックのM★A★S★Hは最高です) 

1stアルバムの『犬は吠えるがキャラバンは進む』が出たときは、これはどういうことなんだろう、と懸命に理解しようとして何度も聴きつづけ、それまでの自分を蹴っ飛ばすようなところはカッコいいとは思ったものの、結局のところそのよさをちゃんとわからなかった気がする。

「天使たちのシーン」を除いては。

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「天使たちのシーン」は小沢ファン全員が知っているような大名曲なのであまりだらだら書かないように気をつけるとして、地球上で一番美しいと思われる綴り方をしたこの曲の歌詞の最後は

「賑やかな場所でかかり続ける音楽に僕はずっと耳を傾けている」


と締められていて、私はこのフレーズが数ある世のうたの歌詞の中でもとにかく一番好きだ。私にはその素晴らしさを全然上手く説明することが出来ないのだけれど、その瞬間をしっかり言葉で捉えてくれた小沢健二は、驚くことに次に自分が率先して「賑やかな場所でかかり続ける音楽」になった。 

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2ndアルバムの『LIFE』は大ヒット。周りの音楽好きがあれやこれや曲について元ネタ云々を言おうとするのを制して、ソウルミュージックを上級テクで上書きしたような曲を小沢健二はドーンとものすごいテンションで出してきた。自分もちょうどラブリーラブリーな頃だったし、94年はこのアルバムを繰り返し聴いていたのでもちろん大好きだったけれど、TVで観る小沢健二を直視はできなかった。いくらなんでもこれやり過ぎじゃないかと思った。紅白出場時も微妙な気持ちで見ていた。

それからはCDが出ればちゃんと買って、よく読んで聴いて、ころころ変わる口調や曲調にニヤついたりしながらも、小沢健二への執着はなくなった。97年頃のシングルはすべて気に入って、いつになってもよく聴いていたけれど。

自分も結婚して子育て期間があり、小沢健二も活動を休止していたので、そんなことのすべては大体忘れていた。そして別のところでも書いたけれど、去年から急にまた音楽を聴く余裕ができて、ツイッターなんぞをえーい、と始めてみて、何気なく昔の思い出などを呟いてみると、そこに小沢健二のファンが沢山いたのだ。途端にフリッパーズや小沢健二の事を沢山思い出した。嬉しかったなぁ。ほどなくして小沢健二の久しぶりのツアーの発表が世に出る。素直に行きたい!と思った。その気持ちは本当だったけれど、いざ行けることが決まると、自分が好きだったのは昔の小沢くんで、今の小沢健二を果たして好きになれるのか?と焦ってしまった。だって23年前のあれ以来観ていない。みんなはひふみよだの、東京の街が奏でるだのの知らない話をしていて、私は2000年以降の小沢健二がほとんどわからなかった。好きじゃなかったらどうしよう、もう裏切られたくな〜い、なんて小娘みたいな馬鹿な思い。恥ずかしくて誰にも言えなかったけれど。

こうなったらなるべく誰かの言葉に影響されずに(悪い方にも)観てみよう、と決めて、その魔法ってやつ、私にもにかかるのかな?久しぶりの小沢健二を見てどんな風に思うのかな?と思い巡らせ、ど緊張継続のままにその日を迎えたのでした。

魔法的レポに続く。長い! 

→魔法的レポはこちらをどうぞ。

https://note.com/sugersweet0416/n/n34ff527eb278




#小沢健二   




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