ラーメンズ「アトム」(2003)
“芸術知能犯”との異名を持つコントユニット・ラーメンズが2003年に発表したコント『アトム』は、未来が輝かしいものになっていると信じていた男(片桐仁)がコールドスリープから目覚め、三十年後の世界(=現代)に生きている息子(小林賢太郎)の頬に触れるシーンから始まる。そう、男には息子がいる。男が眠っている間、その姿をじっと見守り続けてきた息子である。
男は彼から情報を得ようとする。かつて、自分が想像していたような、輝かしくきらびやかな未来を感じるために。事実、未来は訪れていた。近眼なのに裸眼で過ごせている息子の目に貼られているコンタクトレンズ。コードも本体もない折り畳み式の電話。目的地への行きかたを教えてくれるカーナビゲーションシステム。それらは三十年前にはなかった、未来のカタチだった。
だが、それが現実の未来の限界だった。
犬のロボットは、遠くにボールを投げても取りに行かない。その場で転がっているばかりだ。パソコンは一般に普及しているけれど、未だに紙やペンが使われている。宇宙人とは異文化コミュニケーションを取っていないし、人類は火星に転居していない。息子の仕事は時空管理局でも重力コントロールセンターでもない。二〇〇三年には生まれているはずの、あの科学の子もいない。何処にも、いない。やがて、思い描いていた未来とかけ離れている現実に対し、男は不満を爆発させる。
「未来、来てねえじゃん! 全然違うじゃん! なんだよこの二十一世紀!!!」
その幼稚で身勝手な要望は、しかし見ている人間の心を静かにざわつかせる。何故ならば、男が思い描いていた未来の姿は、かつての日本人が思い描いていたであろう未来のカタチそのものだからだ。だが、多くの人たちは、何年もの月日を重ねていくうちに、少しずつ、少しずつながら理想と現実の折り合いをつけていく。その行程があるからこそ、過去の気持ちのままに現代へ現れてしまった男の言葉が刺さる。どんな言い訳を並べ立てても、夢見た未来とはかけ離れていることには違いない。
そして男は、再びコールドスリープに入ろうとする。自らが望む未来の世界になっているであろう三十年後を目指して。しかし、そんな男の行動に対して、今度は息子が感情を爆発させる。当然だ。未来の世界を見るために眠り続けていた男に対し、息子は未来としっかりと向き合いながら生きてきたのだ。三十年後、自分の父親が目覚める日が来るまで、毎日を過ごしてきたのだ。
「あんたはこの時代に生まれたんだよ! この時代に生きて、この時代に死ぬんだよ! そっから逃げるなんてズルいと思うよ!」
あまりにもありがちな言い回しだが、これ以上に適切な反論もないだろう。
……と、本来ならば、このあたりで本文を終わらせるつもりだったのだが、本作の鑑賞中にTwitterでフォロワーから受けたリプライが興味深かったので、その辺りの話も載せておこうと思う。
先述したように、このコントが演じられたのは2003年のことになる。それから十三年が経過した今、世の中は更に大きく変化している。例えば、折り畳み式の携帯電話は、より機能の充実したスマートフォンに取って代わられた。ロボットはより人間に近い形となって、言葉を発したり、行動したりするようになった。新聞や本も電子書籍に移行しつつある。時代は確かに変わっている。少なくとも、2003年の当時よりは、着実に。
大胆に変化が生じているわけではないが、我々もそろそろ、胸を張って、この台詞を言ってもいいような時代になってきたのではないだろうか。
「来てるな! 未来!」
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