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『ゼイリブ』映画評(1)(評者:西井琉季)

 12月24日の3回生ゼミは映画回でした。鬼才ジョン・カーペンター監督の『ゼイリブ』についてディスカッションしました。

『ゼイリブ』(ジョン・カーペンター監督、1988年)

評者:西井琉季

 「目に見えるものだけが、ほんとうのものとは限らない」これは小説家の村上春樹による名言の一つである。村上春樹が言いたかった意味とは少し違うかもしれないが、今回の作品である『ゼイリブ』を視聴していて一番に思い浮かんだのがこの言葉だ。いつも通りの日々が実は知らないうちに正体不明の何物かに侵略されているかもしれない、隣にいる友人、恋人が実は人間ではないかもしれないと考えた時、目に見えているものだけを信じるということがとても恐ろしく感じた。
 この作品の世界は貧富の差が拡大することによって、失業者が増える一方だった。主人公のネイダもその一人であり、職を探してとある建築現場にたどり着く。そこで知り合ったフランクという男に誘われ、空き地に建てられた貧民たちのキャンプに住み込むようになる。キャンプ場でテレビを見ていると電波ジャックを受ける。電波ジャックの男は「私たちは奴隷にされている」という。ネイダはキャンプ住人のギルバートが怪しげな行動で教会に入っていくのに気づき、教会に忍び込むとそこで電波ジャックが教会で行われているということと怪しげな実験道具を発見する。数日後、突如警察が現れ、教会やキャンプ場を破壊した。後日、教会を訪れたネイダは怪しげなサングラスを発見する。そして、サブリミナル効果のような形で洗脳されていたことと異星人について知る。異星人の存在を知ってしまったネイダは警察に追われる身となり、近くにいたホリーに匿うように頼むが、家についてから殴られ、通報されてしまう。逃げる中で、フランクと出会い何とか事情を知ってもらって協力してもらう。二人はたまたまギルバートと出会い、レジスタンスの存在を知る。レジスタンスの集会でホリーと再開するが、警察に襲撃されてしまう。ネイダとフランクは異星人のワープ機能によって逃げるが、逃げた先は敵の地下都市であった。逃げる中で、人々を洗脳するために発している電波装置はテレビ局の屋上にあると知り、向かうともう一度ホリーに再開する。ホリーの無事を喜んだネイダはホリーを連れ三人で屋上に向かう。しかし、屋上ではヘリに乗った大量の警察と銃口を向けてくるホリーがいた。ネイダはホリーを撃ち、何とか電波装置を壊すことに成功し、人々は異星人の存在に気が付く。
 冒頭でも述べた通り、この作品を視聴していて「目に見えるものだけが、ほんとうのものとは限らない」という言葉が浮かんだ。知覚できないものであっても潜在意識に影響を与えるサブリミナル効果などを用いたものが町中に大量にあったり、異星人が人間に紛れて生活していたりだ。目に見えている現実が、本物現実ではなく、知らないうちに洗脳されていたとすればそれはとてつもない嫌悪感や恐怖があるだろう。しかし、私が個人的に一番この言葉が思い浮かんだのは最後のホリーの裏切りが発覚したシーンだ。ネイダは異星人が見えることにより、異星人ではない確証を得ているホリーのことをある意味で洗脳されているかのように盲目的に信じてしまった。同じ人間であっても裏切ることがあるということは直前に同じ貧民であった男とあったことでわかっていたのにそのような行動をしてしまった。ネイダはサングラスを手に入れたことで、目に見えないものが見えるようになった。その結果、目に見えるものだけを信じてしまったということが皮肉のように感じ「目に見えるものだけが、ほんとうのものとは限らない」ということを思い知った。

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