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「自分の選択」を確かめるためにコーチングを受けたら、「自分の物語」が見えてきて感動した話。

コーチングというものを知っているだろうか。

関心はあって、どんなものなのかは知っていたが、百聞は一見にしかず。この度あたらしい組織で仕事をはじめる決断をするまでの経緯で、このコーチングというものを受けてみたら、想像以上に良い体験ができた。

そんなわけで、初のコーチング体験についての話をしたいと思う。

🤔自分を説明するのは結構難しい

私は、いつも自分を説明するのに苦労してきた。

「私は、書店員です。」「私は、銀行員です。」「私は、起業家です。」
何でお金を得ているのか。という趣旨の説明は、自分を紹介するには乏しい感じがするし、自分の中では筋の通った、でも外から見るとバラバラにも見える複数の仕事をしている身としては、なかなか一貫した説明ができない。

これまでも自分の説明を、逐次編集するかたちで歩を進めるごとに書き換えてきたが、現在の仕事に区切りをつけ、次の仕事をはじめるかどうか、考えるためにも、もう一度見つめ直してみたいと思った。

「よし、あたらしい仕事をする。」という結論には意外とすんなり辿り着いた。でもなんとなく、その決断に対してもう一歩、踏み込んで考えてみたかった。自分をもう一度疑って、次の一歩を踏み出したかった。

「本当に、自分の選択は、心は、間違っていないだろうか。」
「自分自身に、もっと深く問うてみることはできないだろうか。」

悩んでいるだけではしょうがないので、以前からファンだったmentoさんのサービスを使い、コーチングを受けてみることにしてみた。

✍️そういえば、友達の紹介も長くなりがちだ。例えば一人の友人は「私は、ジャズピアニストです。」と軽やかに自己紹介をするけれど、僕にとっての彼はジャズピアニストという言葉では片付けられない色んなことをしている人だ。
作家の平野啓一郎さんが「分人」という言葉で説明している、人間の社会・環境に依拠して変化する多面性のようなものを僕も信じている。

💡そうだ、相談のプロに聞いてみよう。

コーチングと聴くと、スポーツとかの熱血コーチ!的な想像をしてしまうかもしれない。実際は、押し付けや一方的な指導とは真逆の、対話ベースで自分の思考や決断の後押しをしてくれるのがコーチングだ。

個人的な理解は以下のようなもの。

1:さまざまな質問を通じて、自分の内省を深め、クリアにしてくれる。

2:内省を通じて自分で決めた目標のための行動を応援してくれる。

再び1:行動に対して内省を深め、理想に近づける手助けをしてくれる。

(下の画像は、お世話になったmentoさんのウェブサイトから。)

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決めてから、すぐに何かやらないと気が済まないタチなので、早速連絡。
登録からとてもスムーズにコーチとの連絡がはじまり(よくできてる。。。)、こんなご時世なのでオンラインでセッションを受けた。

自分で自分に質問をすると、地上から問題の核に向けて、穴を掘っていくイメージ。硬い地盤に当たったら、別のルートを探したり、割れるまで頑張ってみたり。

実際にコーチングを受けた感想は、穴を掘るというより、絡まった毛糸玉を周りから徐々にほぐして行く感じ。
自分では既に考え尽くしたことも、外からじわじわほぐし直すと、違った景色が見えてくる。

📕物語のイメージ

中でも、印象的だった質問に「では、今までの人生を物語にすると、どんなお話になりますか?」というものだった。
唐突ではなく、話の流れとしても、すごく自然かつ大切なことを指摘してくれたと思う。

この回答については、また別の記事で書いてみようと思う。
ただ、自分の旅のはじまりの場所。これまでの旅の過程、渡ってきた土地、知ってきたこと、手離してきたこと、向かう場所と今いるところ。

そんなイメージが頭の中で溢れて、次の一歩を踏み出すための地図が、一気に自分の中で、手触りのあるかたちになった気がした。
「自分の物語の次の章は、こう始まる。」という確信のようなもの。

きっと、コーチによっても質問のスタイル、深掘りのスタイルは違うんだろうな。と思う。ただ、対話形式で内省するという趣旨は変わらないのだろう。きちんとトレーニングを受けている人と話すのは、やはり良いものだ。

生きていると、海原で帆を張り、風の流れのまま漂ったり、目の前の道を踏破して行ったり、道のない鬱蒼とした森をがむしゃらに切り拓いたり。色んなフェーズがあると思う。

そんな中、上り坂のような前向きなキツさを感じる場面で、歩みを止めず確かなものにしていくためのプロの相談相手という印象をもった。
かといってストイック過ぎるわけでもなく、自分をクリアにしていくような。そんな体験ができた。結構いろんな人におすすめできるかも。

🧖‍♂️少しぼやけたままでいること

雑誌だったか、映画だったかでキースリチャーズが言っていた(記憶が曖昧だ。)「足が海の底につかない、危うくて不安な気持ちの時は、たいてい正しい方向に進んでいる。」という言葉が僕は好きだ。

自分というものが、不確かで、変化し続け、少しぼやけて、明日どうなるかもわからない、環境や社会や、現在の全てと影響し合いながら豊かに滲んでいる存在だという自覚。

そして、変化の準備が出来ている、不安と揺らぎの中にいることは、なんにせよ自分に必要な正しい変化の最中にいるんだという言葉だと受け取っている。

ただ、そんなぼやけたイメージの中で、足取りを確かに、歩みを進めていくことが必要な時もある。
どうしたって、変化に身を投げ出すときはある、その時に変化を恐れないためにも、ぼやけた自分をたまに確かめるのに、今回はいい方法を知れたと思う。


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