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マーニーを観て、感情が迷子になった話。

こんにちは!

都内20代マーカー、映画はもっぱら泣きがちおさとうです。

昨日久々に金曜ロードショーを見ました。
昨日は「思い出のマーニー」。
勉強しながらでしたが、トータル3度目の鑑賞。

内容自体はざっくり覚えていて、
最後のネタバラシのところ(?)は忘れててウケました。

※普通にネタバレを含みます

最初の輪の話。
内側の人、外側の人。

結局定義はなんなのかわかりませんが、
反抗期、思春期ってそういうのあったなあ、と
なんとなく思い出していました。

「自分は人とは違う」
「あの人はわたしと違う」
みたいな、個性の表現について、
学生時代のほうがありありと見えたような気がする。

大人になるにつれ、徐々に薄まっていくような。
それってどの人もそうなのかな。
自分が他の人と同じじゃないことを嫌うし、
自分が誰かの真似をすると思われるのが怖い

わたしの周りはそんな感じでした。
そういう感情なのかな。

などと考え込みつつ。

話はラストに飛びますが、
サイロに行き、マーニーに置いて行かれた、と
認識したところについて。

どうして私を置いていってしまったの!?
どうして私を裏切ったの?

これです。

なんかnoteで書いたかもしれませんが、
わたしは2年ほど前に友人を自死で亡くしています。

その事実を知ったのをややラグがあったのですが、
喪失感と「そんなはずはない」という否定と、
色んな感情に押しつぶされて過ごしていました。

そのすこし後あたりから、
「どうして何も言わずに行ってしまったのか」
と、ずっと疑問が残っています。

自死の仕方が、もう完全に、そして確実に
終わろうとする仕方だったので
明らかな希死念慮を感じ、ずっといまも

「なんで何も言わずに勝手に行ったの」

という感情がずっとへばりついているし、

あんなの叫びと噛み合って、
見ながら大号泣してしまいました。

マーニーは許しを得ましたが、
わたしはまだ許していません。

友人はわたしに言うことなんてないだろうけど、
ただそれでも、わたしの思い出の中にいる友人は
いつだって楽しそうに、冷静に、一緒に生きていました。

自分が生きている間に、
いつ事故に遭うかも、病気になるかも、そして自死をするかも
わからない今の社会ですが
周りの人、家族、友人、恋人
それらみんなも同じように
いつだって当たり前にいるようで、当たり前じゃないんだよな

人を大切にするって、
自分を大切にするって、
どうやっていけばいいのかな。

最近そうやって考えてます。

マーニーの話は最後は一応まるくハッピーエンドですが
ハッピーエンドに見えるものも、色んな感情が
折り重なっているんだなあ、

そんな感じで観ていました。

重い。内容が重すぎる。

まさかこの歳になってマーニーを観て泣くとは。

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