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人生映画『ユンヒへ』

人生アニメや人生映画が更新されるたびに生きていて良かったと思う。

自分に心底嫌気が刺してきた今日この頃、自分という存在の奥深くの柔らかい部分に触れられたような感覚になる映画に出会った。アマプラの学生お試し版?的なやつに入会して、ずっと観てみたかった『ユンヒへ』を観た。結構傷つく覚悟をして観たのだが、想像以上に優しくてなんだか泣きそうになった。てか普通に泣いた。

ユンヒが娘に彼氏ができていたことを知りながら、いつ娘本人の口から教えてくれるのか待っていたと言うシーン、ユンヒが娘の喫煙に実は気づいていたと言うシーン、ユンヒと娘が雪合戦をするシーン、、、どうやら私は母親と娘の関係性がよく表されているシーンに感動するらしい。どのシーンも大袈裟さは一切なく、スッと心に入ってくるセリフばかりの映画だった。

最近いろんなことで親、特に母親との関係が今までとは大きく変化した。簡単に言うと、「母親が見ていた私」=「私が母親の前でこうありたいと思って演じていた娘像」であり、母親は本当の私を知らなかった。そして、最近、親の未必の故意によって「本当の私」が白日の下に晒される事件があった。母は驚いていた。当たり前だ。私はずっと真実を隠していたのだから。

『ユンヒへ』で描かれる母と娘の関係性は、私と母の関係とは大きく違い、静かな愛にあふれていた。家族だからといって土足で相手の人生に踏み込むのではなく、お互いがお互いをちゃんと見守りつつも「自分にはいつ教えてくれるのかな」と待っている。なんて暖かい愛なんだろう。私と母もちゃんと向き合っていたらこうなれたのかな、と涙が出た。悲しいけど、いつかそうなれるかもしれないという希望も感じた。

何か言葉として残さないと落ち着かなくて、まだ涙が渇かぬうちに日記を書いた。

夜の港で再会する2人が笑顔だったのが意外だった。もっと泣いたり抱き合ったりするのかと思っていた。ただ見つめあって、時には目を逸らして、お互いのことで胸がいっぱいになって、別れた後の人生の辛さではなく、好きな人と今また会えたことを感じて微笑んでいるように見えた。画面には、静かで巨大な愛が溢れていた。自分の人生に深く刺さる映画は評価できない。よかったとか悪かったとか、このシーンが好きとか嫌いとか、このキャラがどうとかこうとか言えない。ただ胸がいっぱいになって、自分のことのようにたくさん泣いてしまう。『ハチドリ』の時もそうだった。なんで?って思うようなシーンで泣いてしまうのが不思議。そんでしかもめっちゃ静かに涙が出る。隣に人がいても気づかないくらい静かに泣く。どうしてだろうか。誰かに、心の底に流れている小川の水を掬われたような感覚。暗渠だから普段は他人の目にも自分の目にも映らない小川。この映画の風景、言葉、感情がその小川の水として今日新たに加わった。前まで流れてた水と混ざってもう区別がつかなくなった。
私も「あなたの夢を見る」って言われたいな。いつか冬の小樽に行ってみたい。好きな人と夜の小樽港を散歩したい。そんで、昔、『ユンヒへ』っていう映画を見て1人でベッドの中で泣いたんだって教えたい。その時の私が幸せならいいな。

その日の日記


今気づいたこと。私の病んでる時の日記は、将来の私の幸せを願って終わるものが多いこと。これが何を意味するのかは今はわからない。遠い遠い将来の、今よりずっといい大人になった自分が、今の惨めな自分を抱きしめて髪を撫でて涙を拭いて「大丈夫だよ」って優しく言うところを想像する。ただこれだけで心が軽くなった気がするんだから、人間の想像力って偉大だ。それと同時に、将来、自分の人生(キャリアとか恋愛とか諸々)の目処が立ってしまった時、自分は何を想像したら鬱から抜け出せるのだろうか。死に近づく恐怖を感じてただ怯えることしかできないのだろうか。未来って麻薬みたいだ。何を想像してもいいから何だって想像できる。それにばかり救われている。でもいつかその麻薬は時間によって私の手から取り上げられて、私はひどい禁断症状に悩まされる。人生の見通しが立ってしまったらどうしようか。私は生きていられるだろうか。

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