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アートが社会的課題をテーマとして扱うことの意義って?

2024年111日目。
開催前に炎上した結果「江戸アメイジング」という文字が消えた「大吉原展」、批判が正当なものかどうか確認すべく、行ってきました。

結論から言うと、批判を受けての「女性の人権侵害を熟考する機会」とする声明に対して、見学者に対して具体的にどのように材料を編集し提供したのか?ということが、最後までよく分かりませんでした。

違和感を覚えたところをいくつか上げると、

・入口に2つ掲げられた「ごあいさつ」のひとつめ、二段落目の二番目と三番目の文の前後のつながりが不自然で、元々の文章に後から人権問題に言及する文章を挿入してよしとしたように読めたこと

・歌川国貞「青楼遊廓娼家之図(青楼二階之図)」(下記リンクで一番最初に掲示されている作品)で左上の部分、遊女が虐待されているように見えるがなんの言及もなし

・『たけくらべ』に関連する作品のところで、『たけくらべ』の解説がほぼないので作品がどのような意図で掲げられたのかが不明

・禿(かむろ)はその器量によって選別され、振袖新造、花魁とステップアップする者もいた一方で、そうではないものもいたはずだが、そうした者が年を重ねるにつれてどういう扱いを受けたのかということについての解説がない

・河鍋暁斎「吉原遊園図」のところ、同じく河鍋暁斎「薄幸物語」が作品ではなくパネルで展示されていて、後から足したもののように見えた
…等々

これらの点から、炎上を受けて軌道修正を図ったものの表面的な修正に終始して不十分に終わった、という印象を持ちました。文化と性搾取と権力…今だからこそやりがいのありそうなテーマに対して、アートならではのアプローチをすることはできなかったのかな、と。

そもそもですが、作品や美術展において、社会的な課題をテーマに置くことの意味ってなんなのでしょうか?
個人的な経験ですが、某美術館(?)のキュレーターの方から「アートはまちづくりのためにあるのではない」という発言を聞いて以来、ずっと引っかかっています。

つまり、『地域アート』で指摘されていたような、アートと行政との共犯関係を否定するならば、

アートはそれ自体に目的をすべきであって、何らかの社会的課題をテーマとして取り扱う場合は、すべて中途半端に終わるのではないか、という疑念を払拭することができずにいます。

今回のことで言えば、2020年に国立民俗博物館で行われた「性差の日本史」展が先行して行われていた中で、それでもアートは社会的課題を取扱うことができるとするのであれば、今回の「大吉原展」においては、アートという文脈から何か表現できたのではないかと思うのです。

ちなみに、「大吉原展」の前に森美術館「私たちのエコロジー」展も観たのですが、やはり私にはダイレクトにエコロジーを語ることに比べて、その問題をアートとして表現することの意義を感じることはできませんでした。

言葉ではなく「感じろ」?
感情へのアプローチ?(だとするとそれはそれで危険では?)
テーマに対する単なるデザイン???
わからない…

展示されている浮世絵や肉筆画は量も質もものすごく、大英博物館が所蔵する「里帰り品」もかなりあり、その意味では確かに”大”吉原展だったと思います。あるいは、吉原という場所がどのような構造を持っていたか、その日常な行事の一部については知ることができた点もとてもよかったと感じています。また、当時は抑圧されていた人たちについて、記録を残したり、作品として描かれたりすることは多くはなかったでしょうから、おのずと限界もあったのではないかとも想像します。
しかし、敢えてこのようなテーマを掲げる以上、アートの可能性を知らしめるような企画展になってほしかったと感じました。

なお、当日は田中優子氏の講演もあったのですが(実はそれを狙ってこの日に行ったのですが)、あまりの待機列の長さに聴講を断念しました。もし彼女の講演を聞いた方がいたら、どのような内容だったか教えてほしいと思います。

このようなことになるんじゃないかという気がしていたので、念のために数日前に企画展スタッフに待機列のこととか確認したのですが、説明とは違うところに列ができていたという…

最後に、ChatGPT4.0に「アートが社会問題を扱う際に直面する課題」について聞いてみたので、記録として置いておきます。


アートが社会問題を扱う際に直面する課題は多岐にわたりますが、主なものを以下に挙げます:

1. **感情への配慮不足**:
 - アート作品が扱う社会問題はしばしば感情的に荷重なテーマを含むため、展示や表現方法が不適切だと観る者の感情を逆なでしてしまう恐れがあります。特に個人的な経験やトラウマに関連する問題では、その配慮が求められます。

2. **過度の美化または矮小化**:
 - 社会問題をアートとして表現する際に、現実の厳しさや痛みを適切に表現しないで美化したり、問題の深刻さを矮小化してしまうことがあります。これにより、問題の本質が歪められることが懸念されます。

3. **多様な視点の欠如**:
 - 一つのアート作品や展示では限られた視点からのみ社会問題が描かれることが多く、それによって他の重要な視点や声が無視される可能性があります。これは、問題に対する理解を偏らせる原因となり得ます。

4. **政治的・商業的圧力**:
 - アートの世界にも政治的、商業的な影響が及ぶことがあり、特定の問題を扱うことがこれらの圧力によって制限されるか、あるいは特定のアジェンダが推進されることがあります。これが原因で、アートが本来持つべき自由な表現が損なわれることがあります。

5. **解釈の誤りや誤解**:
 - アート作品は多様な解釈が可能であり、作者の意図と異なる解釈や、社会問題の誤解を招く恐れがあります。これは、観る者の背景によって異なる解釈がされるため、意図したメッセージが正確に伝わらないことがあります。

これらの課題は、アートが社会的な議論を引き起こすための強力な手段となり得る一方で、慎重に扱われるべき側面も持っています。それぞれの課題に対する意識と工夫が求められるため、アートの制作と展示は非常にデリケートなバランスを要求されることが多いです。

なるほど、「アートが社会的な議論を引き起こすための強力な手段となり得る」ことは、ChatGPTも認めているのですな…

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