渋沢史料館と飛鳥山公園
2024年34日目。節分。
渋沢栄一についての展示を行う渋沢史料館が2月1日より再開したと聞き、いそいそと行ってきました。
場所は江戸時代からの桜の名所で、渋沢栄一が晩年を含む人生の1/3を過ごした飛鳥山公園にあります。素直に京浜東北線経由で王子駅から行ってもよかったのですが、宇都宮LRTに乗って間もないこともあって、都電荒川線に乗ってのんびりと行ってみることに。
途中、車内で「栄一翁散歩もなか」のアナウンスが流れたりして、7月3日の新札発行前ですが、新一万円札の肖像になった渋沢栄一を活用して地元を盛り上げようとしている雰囲気も少し感じられました。(もなかは帰りに買って行くつもりでしたが、後述のお土産店では見つけられず。次回の宿題。)
さて、飛鳥山駅で降りなくても、王子駅から飛鳥山公園にアプローチできることに気づいた頃に飛鳥山駅に到着。
飛鳥山公園は初めての来訪。徳川吉宗公以来の桜の名所、というイメージでしたが、思いのほか普通の公園でした。
しかし、園内に掲げられたのぼりをふと見ると…
「活用方法のアイデア募集」との表記。…この由緒ある公園の利活用について、ちょっと行き詰まっているのか…?(むしろ、由緒があるが故に行き詰まっているのか?)
行政からすれば、「公園」は住民の生活に必要なものという認識はありつつも、一方で、維持管理に費用がかかる上に、苦情・要望も多い施設でもあります。(最近であればParkPFIの枠組みも使いながら、維持管理の低減と観光客の獲得を同時う事例も出てきていますが、民間事業者の目から見て、全ての公園が手を挙げるべき対象というわけではもちろんないでしょう。)また、住民からすれば、地域の中の公園は、その規模や由緒に関わらず、自分たちにとって使いやすいものであってほしいし、愛着があればあるほど、現状の変更には抵抗感があるでしょう。
…というあたりが、非常に滲み出ているなと、こののぼりを見て勝手に感じてしまいました。
それはさておき、ようやく渋沢史料館です。
建物の2階が展示スペースになっていて、大まかには、常設展の大きなスペースと特別展の部屋、外が見える展示スペースに分かれています。
常設展は、渋沢翁の主な事績をその年齢順に掲示するという構成。『青天を衝け』を観た方には今更ですが、尊王攘夷の士から一転、一橋徳川家の家臣になり徳川慶喜公の弟である昭武公に付き従って渡欧、御一新(明治維新)を受けて帰国後に新政府に出仕し財政周りの制度の創設に関わり、後に職を辞して、500社もの企業、様々な組織や学校の設立に関わったこと、養育院の感化事業(浮浪少年の更生)にも生涯を通じて関わったことや、日米の親善や関係改善にも尽力したこと…その流れが非常によく分かりました。91歳で亡くなるまでずっと走り続けていて、とにかく事績の量が凄まじい!一定のスペース内に展示を収め切らなければいけないために、産業育成のところはかなり端折られていて、特に新政府の役職を辞した後に急に「日本の資本主義の父」になっていく、その発端のところは少し曖昧な感じもしましたが、とても見応えのある展示でした。
特別展では、新札の肖像に選ばれたことを記念して、渋沢翁の様々な肖像画が展示されていました。(明治30年代=50代後半から太り出してますw)そういえば、慶喜公は将軍を辞した後の趣味として写真撮影を好んで行っていますが、渋沢翁も影響を受けたのかもしれません。
渋沢史料館の後、渋沢栄一の住居跡である渋沢庭園の方にも行ってみましたが、青淵文庫が工事中だったこともあってか人はまばら。大河ドラマ放映時に設置されたとみられるお土産店も少し奥まっていることもあって閑散としていて、ちょっと寂しさを感じました。
この後、本当はもう一ヶ所行くつもりだったのですが、渋沢史料館で頭へのインプットの許容量に達したため、この日はこれまで。
渋沢栄一と言えば『論語と算盤』。端的に言えば、経済活動は社会の利益のために行われるべき、との主張であり、渋沢史料館の運営団体・(公財)渋沢栄一記念財団を始め多くの方々がその志を受け継ぎ、実践してきたと思います。ただ、世の中全体として見た時、果たしてそうなっているのか?と問われれば、言葉に詰まってしまうのでないでしょうか。
倫理と経済との両立は、個々人の志や技量に寄らないようにすることができるのか、社会や国家にシステムとして組込むことができるのか、それは渋沢栄一という人物を通じて学ぶことができるのか…
もう少し掘り下げてみたいと思います。
さて余談。
都電に乗っていて、後ろの席の家族の会話が聞こえてきてしまいました。(おそらくは都電沿線に越してきたばかりのDEWKS。)
「これ(都電)で早稲田まで行けるんだね。のんびりしてていいかも」
「ウチの子(まだ1歳半らしい)、早稲田大学だったら電車で通えるね」
「東大は?」
「流石に授業は面白いらしいからそれでもいいかも。」
「でも、この子が大学に行く頃にはもう進学先は海外の大学が当たり前になっているかも。ケンブリッジとかハーバードとか。まあ学費がとても高いみたいだけど」
「まあなんとかなるよ」
「そういえば、ロンドン大学が意外にいいっていう話を聞いたことがある」
…東京の、自らを富裕層と思っていない富裕層のたわいもない会話というところ。渋沢栄一がこの会話を聴いたら、果たしてどう感じるのでしょうね。
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