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湯島聖堂はもっと大事にされていい

2024年3日目(180)。
今度は北九州市で大規模火災…一昨年に同じ小倉北区の旦過市場で大きな火事があったことも記憶に新しいだけに、なぜ?と思わずにはいられません。。。

今日は年末参拝した際にお返しし忘れていた平将門の御札をお返しに神田明神に行ってきました。

江戸総鎮守だけあって想像を超える人の数でした。
右奥にはスカイツリーも見えます。

その帰り途、年末の時には既に年末年始の休館になっていた湯島聖堂にも足を向けてみました。

神田明神から御茶ノ水駅へと向かう途中の道から入ったので、いきなり大成殿(孔子廟)の正面へ。

湯島聖堂は、1690年に林羅山を始祖とする林家の私塾を第五代将軍徳川綱吉が現在地に移して設置された、孔子廟と講堂を兼ねる建物群のこと。後にここを中心として幕府直轄の教育施設である昌平坂学問所が設置され、それが、明治以降に、文部省、国立博物館、東京師範学校(後の筑波大学)、東京女子師範学校(後のお茶の水女子大学)などになっていきます。関東大震災の時に焼失してしまいますが、再建され、国指定史跡として現在に至ります。

メインの建物である大成殿は、1月1日から4日まで特別公開で開いていたので、そのまま中へ。

大成殿の扁額は綱吉公の字とのこと。屋根には、弘道館の孔子廟の屋根にも鎮座する霊獣・鬼犾頭(きぎんとう)が水を噴き上げ、火災から建物を霊的に守っていました。

正面奥には孔子像があり、その手前には孔子とその高弟を祀るまつり・釈奠(せきてん)のセットが設置されていました。(畏れ多いので写真は撮りませんでした。)
そして手前には、神社ではないにもかかわらずお賽銭箱も設置され(史跡の維持管理に使われるとの但し書きあり)、見学に来られた方は神社同様お金を入れつつ祈っていました。ただし、神社ではないので二拝二拍手一拝ではなく、さりとて、もちろん寺院でもないため、私も含め「参拝」されている方々には若干の戸惑いもあったことは付記しておきます。

さて、大成殿内の左右には、高弟の像や掛け軸、修復の資料などが展示されていました。

孔子廟向かって左側の壁面沿いに鎮座する孟子(左)と曾子(右)の像。見分けが…
ちなみに、反対側の壁には、子思と顔子の像もあります。
曾子(親孝行な人)と顔子(早世した一番の高弟)が孔子の直接の弟子、子思は孔子の孫で曾子の弟子、孟子は子思の弟子で儒教において孔子の次ぐらいの重要人物。
弘道館にもいる霊獣・鬼龍子(きりゅうし)。
こちらは魔除けが役割。

ちょっと面白いなと思ったのが、宥座(ゆうざ)の器。

空の時には器が傾き、適度に水を入れると真っ直ぐに立ち、水を入れすぎると器がひっくり返るようになっています。
「中庸」「足るを知る」という、何事も極端に振れるべきではない、バランスが大事…って、これは弘道館・偕楽園の「一張一弛」を、物理的に表現したものですね。

さて、ひと通り楽しんだところで時間が押してきたので今回の見学(参拝)はここまで。
建物内には何故か御守りなども販売されていましたが(弘道館における北澤売店みたいな立ち位置なのか…?)、湯島聖堂の本来の入口近くの建物では御朱印を発行しているとのことで、記念にそちらを購入。

今いただくと、栞もオマケしてくれます。
四つ葉はよいとしてアマビエちゃん…
現在の敷地はそれほど大きくはありません。
本来の入口。

感想ですが…
大河ドラマや新札の発行により、渋沢栄一がビジネスの世界では注目されるなど、現代日本においても儒教への関心は一定数あるような印象がありますが、その割には、このような儒教に関連した施設にはあまり注目が集まっていないような気がします。あるいは、学問のパワースポット(?)的に受験生やその親などがもっと来てもいいかも。
そもそも学問所跡でもあり宗教施設跡でもある、という難しい立ち位置ですが、それ以前に、世の中の耳目を集める仕掛けをする人、そして仕掛けのための軍資金も足りていないようにお見受けしました。やり方は必ずあるはず。

さて、本日の余談。
実は芝大神宮にも行っておりまして、強運(ごううん)御守をいただいて参りました。また、神田明神でも「ん」お守りを入手。
シャンフロの主人公を参考に、厄を除けるのではなく、困難は強運で乗り切る方向で今年は進みたいと思います!(自助努力しろや)

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