見出し画像

映画《画家と泥棒》

友人に勧められてアマプラで観た

自分の絵を盗まれた画家が
盗んだ泥棒の肖像画を描くというのが
物語の軸なドキュメンタリー

『画家と泥棒 観た

登場人物が出来好きてて事実は小説より奇なりでしかないのねぇ…
自分の中で突飛なものが全くないのでなんかリアルに、そっちの世界線に行かなかった自分グッジョブ!
ラストの画、絶対そーだろーなと思った…』『そして、映画の題材になってもバルボラは画家としての知名度は上がってないってとこが
ヨーロッパだなぁと』

と感想を送った

《あら、あんまり面白くなかったかな?

まあドキュメントといっても映画だからね 創作世界ではあるんだよね
撮った側のこう見えてほしい意図が強すぎるてのはあったかも》

『わたし感想文ヘタだね(笑 面白かったよ

そっか。なんかこう、もやっとしてるのは「撮った側のこう観て欲しい」ってとこだったんだね。
それが「わかりすぎちゃった」って感想になったんだね』

《いや、あざとさも含めて出来過ぎ感があるのはその通りかもね〜》

『最近、重いオーラ(雰囲気)のものが苦手になってきていて、Instagramの写真が素敵で好きになっていた造形作家の展覧会が偶然近くで開催されたので行ってみたんだけど、写真と実物が違くてびっくりして帰ってきたよ』
『写真から受けていたのは雨上がりみたいな綺麗な感覚だったんだけど実物は重くて重くて』

《「重さ」への反応は
インスタの見るかぎり、素敵そうに見えたけど 小さいサイズのが密集してたらちょっとイヤかも

全然関係ない話だけど仲悪くなってた知人と今日仲直りできて良い日だったわ

ほんとに関係ない 笑》

『知人との話
「関係性」ってことでいうと、全然ではないよね。

インスタ、そーなの
写真上手くて、その空気感が作品とイコールだと思ってたんだけど、今思い返すと、作品は主観というか中身でつくってて、写真は客観的に撮ってるから、実物と違うなということなのかも』

《面白いね。
写真の印象との違いってとこだと画家と泥棒への感想ともつながるわけか》

結局、画家と泥棒の関係は本物だけれど
量子力学的にも感覚的にも
「観察者効果」が発動してしまっているから
わざわざドキュメンタリーにしてしまった事で
純粋性がなくなってしまったように感じた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?